2017年5月29日月曜日

鈴木文弥(元NHKアナウンサー)・【特選スポーツ名場面の裏側で】(H19/10/11 OA)

鈴木文弥(元NHKアナウンサー)・【特選スポーツ名場面の裏側で】(H19/10/11 OA)
平成25年1月に88歳で亡くなられた鈴木さん、戦後の昭和23年にNHKに入り、以来34年間スポーツアナウンサーとして数々の名放送を残してきました。
昭和39年の東京オリンピックのラジオの開会式や女子バレーボールの金メダル実況等、名調子の文弥節は多くのスポーツファンを魅了しました。

NHKを退職して24年、82歳。
*昭和39年の東京オリンピックのラジオの開会式の実況放送。
昨日のことのように思い出します。
私はTVをやりたかったが、呼ばれてラジオをやってほしいと言われました。
妻から「オリンピックの開会式の実況するってすばらしいことじゃない。」と言われてはっと目が覚めました。
絶対ラジオの開会式を完全にものにしようと思いました。
私は原稿を持たない、参加94カ国を全部覚えました。
163段の階段を上がる坂井義則君が一つのポイント、それから選手の入場。
国によって人数が違うのでたとえばフランスは25秒かかる、25秒間にその選手団の事が全部云えるようなアナウンスを考えるんです。
毎日94カ国を1カ月やりました。(実況の練習)

開会式の実況放送のなかで、
「開会式の最大の演出家それは太陽です。今日の主役は太陽です。」という言葉があるが、前の日は大雨で、志村正順さんから最初の文句を考えて居たかといわれて、私は考えて居なくて、志村さんが「この天気を見てみろ昨日は大雨で、これは神風が吹いた、元寇の役だ」と言って、「神風が吹きました、と言え」と言いました。
部長の命令でもさすがに神風はいけないと思って、席に座った時に青い空を見てこれは主役は太陽だと思いました。
その場でぱっと出た言葉です。
163段の階段を上がる坂井義則君の実況、「・・・聖火台の右手に立ちました。」これが53秒で、52秒でも54秒でもいけない。
そのために練習をしました、努力ですよ。
原稿は無くて目と大きな時計だけです。
1カ月以上かかりました。

「一世一代の放送をしてやろう。この開会式は自分の最高傑作であるとうぬぼれている。」と本に書いたが、人間は天才はいないと思う、努力ですよ。
王貞治さんにいろいろ教えられました。
人間って、毎日毎日努力を重ねることによって出来て来るんです。
新しい言葉が出てくる、体燥の「ウルトラC」、バレーの「金メダルポイント」
技のなかで易しい順からA,B、Cとあり、日本は二つCをやっていてダブルCにしようとしたらそれはだめということで、「ウルトラC」にしようと言うことが最終的になりました。
「ウルトラマン」はここから来ました。

「金メダルポイント」 当時女子バレーの日紡貝塚が金メダル候補だった。
大松監督は厳しくて練習風景を見せないが、私だけは練習風景を見させていただきまして、2時ごろ見に行きましたが、7時、8時に成っても終わらない、やっと終わったのが10時半ですよ。
毎日そういう練習をするんです、見て居て涙が出ました。
無敗同士のソビエトとの対戦で、第1,2セットを日本がとり、第3セット 14対9ここでマッチポイントを日本が迎えるが、その時ぱっと出たのが「日本金メダルポイントです。」という言葉ですが、その後決まらないで14対13まで追いあげられる。
6回の金メダルポイントを発言することになる。
終わった瞬間に涙があふれて止まらなかったです。
予定していた言葉と云うのは心に響かない。

昭和44年高校野球決勝の松山商業、三沢高校 延長18回で0対084時間16分の激闘)で再試合。
昭和29年から高校野球の実況を担当していましたが、こんな名勝負はいまだにはっきり頭に残っています。
あんなにしゃべりっぱなしなのは初めてでした。
本当に優勝旗が二本欲しかったという思いです。
決着がつくかどうかのボールかストライクかの場面、即時描写は遅くても早くてもいけない。

スポーツ放送の一番の魅力は筋書きのないドラマだと思います。
それをいかに描写するかがアナウンサーーだと思います。
スポーツアナウンサーの条件は4つ
①即自描写力 ②必要かつ十分なスピード ③豊富なボキャブラリー ④人並み以上の体力と気力
本を読むとボキャブラリーが増える。
普段努力しなくてはいけない。
人と同じことをしていては人と同じことしかできない。
自分のたった一回の人生で人と同じでは面白くない、そのためには努力する。
生きて居ると辛いこと悲しいことがいっぱいあるが、誰も助けてはくれない。
楽しいなあ、嬉しいなあと思うと変わってくる、自分の人生は一回しかないから。

定年退職した翌年、58歳で脳内出血で危篤状態に成り、左半身不随、言葉も十分に喋れることができなくなってしまった。
入院して言葉もしゃべれなくなってしまって、よしもう一度喋ろうと決心した。
朝起きて、あいうえお順を何回も繰り返す、毎日やる。
そうすると最初は喋れなくても段々言葉が出てくる。
人一倍の努力をしました。
「闘病生活のなかで自分の気持ちにピリオドを打ってはいけない。」というふうに本の中で書いています、そこで止まってしまったらそこでおしまいです。
生きて居る限りは人と同じ事をしてはいけない、自分の人生は自分で作っていかなくてはいけない。
「あいうえお」を忘れて居る日本人の数が増えて居るのが、日本が元気がない原因です。
「あ」は相手の立場を考えよう。
「い」は厭なことを進んでやろう。
「う」は上を向いたらきりがない。
「え」は笑顔は自分で作れ。
「お」は御礼の気持ちを忘れるな。

「あいうえお」を毎日やると人生が変わってくる、たった一回しかない人生に大論の花を咲かせてもらいたい。