中村俊郎(義肢装具メーカー代表取締役)・ 大きな夢を持って働く
68歳、中村さんの会社がある島根県大森町には10年前、ユネスコ世界文化遺産に登録された石見銀山があります。
江戸時代の鉱山の最盛期にはおよそ20万人が暮らしていましたが、400人余りまで減っています。
過疎化が進むこの町で生まれた中村さんは、京都とアメリカで義手や義足、コルセット等義肢装具作りの修行をして43年前故郷に帰り、義肢装具の会社を始めました。
シリコンゴムという高価な素材を使った義肢装具を開発して特許を取得し、海外からも注目される会社に育てました。
その一方で社会貢献活動として古民家を再生して、魅力ある街作りにも取り組んでいます。
こうした取り組みに共感して、この会社で働きたいと県外から移住してくる若者も増えています。
今約75名の方を中心として、作業しています。
医療用具なので、けがをした方治療中の方のためのコルセットなどを製作して医療用の器具作りだと思ってもらえればいいと思います。
義手、本当の手のような感じで、血管の浮き具合、毛の生えているところもあり、爪などもしっかり作っています。
柔らかさのあるシリコンゴムを使っています。
いろいろ要望が出るので、次のステップアップのためにお役にたてるように用具を作っています。
少しでもショックを和らげてあげたいと思ってもの作りをやっています。
兄弟が5人で末っ子で一番上の姉が国立病院に勤めていて、その関係で整形外科医の副院長から医療用の義肢装具を作る製作所が京都にあるということで、紹介されてスタートしました。
取引先が京都大学医学部で、日本の整形外科の先端行かれる先生方のもとでコルセットをつくったり医療用装具をつくる、そこの出入り先が京都大学医学部だったんです。
先生方の熱心な姿を見て自分も、もっと勉強しないといけないと思って、通信教育で大学にも行って、そしてアメリカに行って世界を見るような仕事をやってみたいと思って、あてがなかったが21,2歳の時にアメリカに行くことを決断しました。
アメリカに命懸けで飛び込んで行って、アメリカの人の心も広大だと思いました。
サンタモニカの会社のオーナーと出会って、非常に歓迎してくれました。
オーナーは2世で両親は和歌山の出身、奥さんの両親が島根県の江津市の出身で、昨日迄は他人だった人に留学させてもらいました。
広い社会を見せてもらった、チャレンジ精神、独立心を多く学ぶことができました。
自分が努力する事によって道が開けるという、そういう考え方をつくってくれました。
半年後に夜に交通事故に遭ってしまい、気が付いたのが霊安室でした。(ひき逃げでした)
数日後に気がついて、生きているということを知った時に、人生がまた逆に最悪の状態から開いてきた。
生かしてもらっているのなら残された日々を勉強して、将来医療用具を製作する立場になって、多くの世界の人に喜んでもらえるような仕事をしたいとベッドの中で気付かされました。
サポートしてもらったのはかつての石見銀山の地であり、街をもう一度よみがえらせたいという思いがありました。
ゼロからの挑戦に対してやっていけそうな気がして、すごく前向きに考えている姿を見た両親はある意味あきれながらも、大きく見てくれました。
最初は仕事がありませんでした。
120~30年前の掘っ立て小屋の納屋を改装して立ち上げましたが誰一人お客さんはありませんでした。
伯父が私の激励に来てくれて、腰が痛いのでコルセットをつくれるのかと聞かれて、夕方帰る時までに作りました。
帰りのバスに乗るときにすごく楽になったと言って、こんなに楽なコルセットなら近所のおじいさんおばあさんに紹介してやるとのことだった。
100km離れた米子の病院に直談判に行きました。
副院長と話をして信用してみようということで、病院に出入りしてもいいということになりました。
取引病院も広がっていって、10年ぐらいかかって社員を10人ぐらい養成するようになって、若い一人の社員が展示会に行かせて欲しいということで、展示会の帰りに記念品としてシリコンゴムを使った灰皿を持って帰ってくれました。
通気性、安全性がある素材だったが、価格は高い。
これを何とかならないのかと、思いました。(35歳ぐらい)
日本で特許出願しようとして、特許事務所の人と相談して出願して3年後には取る事が出来ました。
アメリカ、ヨーロッパ、の国で8,9カ国の特許を取ることができ、自信がつきました。
シリコンを使って人口乳房を作る。
乳がんで無くされた方の女性の希望を提供することはできるのではないかと思いました。
術後の精神的にデリケートな中なので、深い悩み、生活面への不安、家庭内の立場など男性の数倍の悩みがあることを知って、次はさらにもっといいものを作りますと対応して、お送りすることも何回かありました。
男性中心の技師中心でしたが、新しく女性の技師を入れて、同性同士の悩みなどを言える状態が出来て、男性ではできない技術を持った人口乳房を作る製作者が生まれてきました。
一番素直に喜んでくれた手紙があって、今まで長い間女性を忘れていたが、人口乳房を手に持って、離れて生活していた主人にすぐ帰ってきてというメールを出しました。
人口乳房をつくった甲斐がありました。
この仕事を50年やっていると、解決できない事がいっぱいあって、本筋を歩ける(?)、走れる、義足をつけてお風呂に入れる、そういったことも考えてあげたい。
サポートされずにお風呂に入れたり、シャワーを立って浴びることができたりする、そう出来ればいいと思います。
現在年商10億円。
一人の顧客から始めて、若い従業員もよく付いて来てくれたと思います。
年商がいくらということではなくて、やさしさが若い従業員に伝わってきているのが最大の財産だと思います。
現在80名おりまして、ここで仕事をしたいという若者が増えています。
400人の人口で、歴史は古いが、古い街並みを修復しようと、やれることをやろうということでかなり修復も進んでいます。
自力で直してきて50数軒になっています。
食堂兼喫茶室、銀細工の店への提供、古民家ギャラリー、1年前に東京からドイツパンの職人さん夫婦が住む事になり、非常に人気のあるパン屋さんになっています。
古い銀山の街ですが、面白い街だと思われるような街になってきたと思います。
皆さんが楽しまれる街になってくれる事、銀山の深い歴史を自然に味わえるような街、歴史が皆さんに元気を与えられるような街、新しい試みが見られるような街になっていければいいなと思っています。
子供たちが誇りを持って世界の友達たちと交流できるような街になって行けたらいいなあと思います。