2017年2月25日土曜日

澄川喜一(彫刻家)     ・石見神楽が創作の原点

澄川喜一(彫刻家)     ・石見神楽が創作の原点
島根県出身、木材が本来持っている反りを生かした作品、反りのある形シリーズで知られています。
日本各地で屋外彫刻を手掛けるほか、東京スカイツリーのデザイン監修を務めました。
東京芸術大学学長を歴任、島根県芸術センターのグラントワの設立に携わり、現在はグラントワセンター長を務めています。
自らの創作の原点と故郷島根西部石見地方とのかかわりについて語ってもらいました。

小学校に行く前、石見神楽を 毎年10月神社で盛んに行われました。
父親と一緒に行って、天の岩戸開きが朝まで続く、最後におろちがでてくる。
おろちは悪者ではない、本当は良い神様なんです。
ここのおろちは遊び心を入れたおろちを作りました。
小学校の時に竹下富士子先生?の書道があり、正装して見えてタスキがけをやっているのが面白くて、清書の後似顔絵を描いたら絵が上手だねと言ってくれました。
その時に絵描きになろうかなと言うような気がしました。
その後岩国の工業学校に行き、最後には芸大を受けるように先生が引っ張って行ってくれましたが、親に相談したところ、行くなと怒られました。
先生が家に来て親を説得してくれて、芸大に入ることができました。
入った時には影響は受けてもいいが、人のまねをするなと言われました。
学長からは卒業証書は役に立たないといわれました。

4年間は基礎を勉強するということで、全裸の女性の彫刻勉強をします。
表面を見るだけではなくて、その形の中を知らなければいけない。
美術解剖学、骨と筋肉を2年間勉強します。
中が判ると外側が判るんです、そうすると形がよく出来るんです。
美術解剖学を教えたのは森鴎外です。
東京国立博物館 森鴎外はそこの総長にもなっています。
東京に行くときには、荷物にならない本、柿本人麻呂、森鴎外、雪舟を持っていくように言われました。

須佐之男命(すさのうのみこと)が降りてきて、おろち退治をやってそれがお神楽になりました。 伊奘諾尊(いざなぎのみこと)伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子
お神楽の最後にしっぽを切ったらかちっと音がして剣が出るがそれが天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)(鉄剣)なんです。
鉄文化が入ったのを劇にしている。
たたら文化、鋼を作るときには砂鉄を集めて木炭で熱して溶かして作る。
おろちになってるけれども、本当は鉄を作る民族が入ってきて、木炭が必要なので山をちょっと荒していたと思う。(切りっぱなしにしていた)
山が荒れると洪水になる。
須佐之男命(すさのうのみこと)がやめなさいと言った、そう言った神話を話を子供のころ聞きました。

反りのある形というタイトルにして反った形を木からとりだしている。
学長を退官するときに、郷里のためにと思いまして、今お手伝いをしています。
グラントワは10年になりますが、お客さんが400万人来ました。
そのうちの6割が島根県外です。
アテンダントの制服は森英恵さんのデザインです。
雪舟の絵は墨の濃淡で色を感じるんだと教えてくれました。

若い美術家に対して森鴎外の力が凄く大きかったので、グラントワでは森鴎外を一つの柱にしようと思いました。
フランスでは森英恵さんが一番尊敬されている。
森英恵さんは外国の真似をしていない、日本を持っていった。
ファッションと言う柱も立てようと思い、ファッションの学芸員はいないのでニューヨークの美術館に留学してもらって2人のファッションの学芸員がいます。(全員で学芸員は5名)

島根県は文化施設も充実していて、文化に力を入れている県だと思います。
15年前に大勢の女性ボランティアの人たちが石見地方は文化施設がないのでここになにかを作ろうと声を出しました。
運動が進んで行ってこれは町おこしになるということで、飛行場も出来て、今は80名を越すボランティアが居ます。
支援部隊の結果が出ています。