2017年2月3日金曜日

橋本道範(ギタリスト)      ・左手でつむぐ生命のメロディー

橋本道範(ギタリスト)      ・左手でつむぐ生命のメロディー
かつて国内トップクラスのクラシックギターリストの道を歩んでいた橋本さんは21年前脳出血で倒れ、右半身不随となりました。
ギターを弾くのはもちろん歩くこともままならず絶望感から15年間もうつ病を患いました。
そんな橋本さんに転機が訪れたのは東日本大震災が起きた6年前、何とかまたギターを弾きたいと熱い思いで、左手だけでギターの弦を押えると、微かにメロディ-が聞こえてきたといいます。
この命のメロディーを演奏するため橋本さんは必死に練習を繰り返し、ギターにも改良を加えて、ついに大勢の人たちの目の前で再び演奏するまでになりました。
橋本さんがどのようにして左手一本で命のメロディーを取り戻したのか、ギターにかける情熱を伺います。

「ふるさと」を演奏  ここまで来るのは本当に大変でした。
出身は広島県、福山市、母親がピアノの教師で小さいころからピアノを教えてもらっていましたが、ギターが好きだったのでギターも一緒に習っていましたが、いつの間にかギターだけになってしまいました。
当時の愛聴版はショパン、ジョン・ウイリアムス、ビートルズでした。
高校卒業後、上京して日本ギター音楽学校やコンクールで腕を磨いて、19歳の時にプロへの登竜門の全日本ギターコンクールの重奏部門(3人で弾きました)で優勝、独奏部門で2位になりました。
25歳の時にスペインで1年間過ごしていったん帰国、そのあと35歳まで夏ごとにスペインに留学して著名なギタリストのホセ・ルイス・ゴンサレス等の指導を受けました。
いちから直されました。
世界各地で演奏しました。
日本では日本武道館を始め全国の演奏をしました。
「男はつらいよ」のギターを担当しました。
失恋の場面で後ろにギターが流れるのが僕なんです。(アジサイの歌)
国内でも期待されるギタリストだったと思います。

1995年10月、ザルツブルグでのコンサートに向けて、練習していた42歳の時に自宅で脳出血で倒れました。
救急車で運ばれて、翌朝目が覚めると、病院の集中治療室に横たわっていました。
生死の境をさまよい、4カ月後に退院しました。
右半身が動かない。
退院の直前にあなたは一生そのままですと言われてしました。(地獄の底でした)
歩くことさえままならずギターを弾くということを考えることもできない状態でした。
ギター教室の指導、教本の執筆などは再開したが、絶望感からうつ病になりました。
15年間薬を飲み続けていましたが転機が訪れて、2011年の東日本大震災の時に交通機関が東京でも動かなくなって、薬を取りに行けなくなり、近所の精神科医に相談したところ、薬を止めてみてはと言われて、同時に下手でももう一度ギターを弾きたいと思いました。
左手でギターを握って指で弦を押えてみた、小さな音だがメロディーが響いて心が弾んで、生きているということはこういう事なんだと心の底から思いました。

それから2年かかって左手の指で指板の弦をたたいたり、弾いたりするタッピングという演奏方法にたどり着きました。
スピーカーで増幅すると板の音が大きくなってクラシックはだめで、弦の振動をコイルで拾うエレキギターに変更し、ギターも改良しました。
それからはひたすら練習に打ち込んでどうやら人前で演奏するようになりました。
左手一本での、難しさは実感しました。
インスピレーションも湧くようになり、薬を止めてさらにその傾向は増え「ねぶた」という曲を作れるようにもなりました。
激しいリズムも弾けます。
「ねぶた」を演奏。

作曲は全部で10曲になります、これから増やしていきたいと思います。
うつ病も治って薬を止めて創作意欲も湧いてきて、作曲活動や小さな演奏会、病院、福祉施設の演奏を徐々に再開させています。
脳出血を起こす前からそういった活動はしていて、一番長かったのは全生園で15年間やっていました。
行き始めたらずーっと行くのが僕の主義ですから。
ギターを弾けるようになったことに感謝し、同じような困難を抱える人たちの励みになるといわれるのが一番うれしいです。
半身不随の不自由さは自分でなければ判らない。
ミチギター合奏団の指揮者として片手で指揮をして、2年に一回ウイーン、ザルツブルグ、グラナダ音楽祭、カーネギーホールの日本人祭り、ハワイの日本人祭りなどに参加していました。
ソロ活動は2013年ごろからです。

再起コンサート、2014年の秋、高校時代の同級生の支援で再起コンサートを成功させることができました、友達はありがたいです。
去年の10月、福山市、東京でベトナム戦争で散布された枯れ葉剤の被害者を支援するチャリティーコンサートに参加しました。
海外でも左手だけのギタリストがいることを知りまして、グエン・テ・ビンさんはベトナム戦争で孤児になり、事故で右腕を失って左手だけで演奏します。
左手の指3本で弦を押えて人差し指一本でクラシックギターを弾くという独特の奏法です。
私から共演したいということで、他にベトナムの民族音楽家なども参加して面白いコンサートを開くことができました。
ギター教室を再開したら一人も辞めずに残ってくれて、ずーっと続いていて、一番長い人で38年、35年が2人 20年はぞろぞろいます。
80代の人が結構います。

死の恐怖から這い上がって、再びギターを弾ける喜びを少しでも他の方に役立てればと思うんです。
聞く人の立場に立って楽しんで頂けるようなレパートリーを広げていきたいと思います。
4月に2回ホーチミン市でコンサートが予定されていて、ベトナムと日本の架け橋になろうということで開いていただきます。
私のギターで障害や様々な困難を抱えている方たちが少しでも元気になってくれればこんなうれしいことはないです。
私自身も誇りを持って明るい障害者として生きていこうと決心しています。
音楽のパラリンピック(これはスポーツの世界の言葉)に似たイベントがあれば出てみたい。
カタロニア民謡の「糸を紡ぐ娘」・「聖母の御子」・「赤とんぼ」を演奏