2017年2月17日金曜日

佐治薫子(オーケストラ音楽監督)  ・モーレツ指導で世界の舞台へ

佐治薫子(千葉県少年少女オーケストラ音楽監督)・モーレツ指導で世界の舞台へ
千葉県少年少女音楽監督 佐冶さんは81歳、10歳から20歳の子供たちで成る少年少女オーケストラの演奏技術は、芥川也寸志さんがこれほど精度の高い音楽は奇跡に近いと述べたほどで、定期演奏会では井上道義さん佐渡裕さんなど、世界的に著名な指揮者を迎え多くのファンを魅了しています。
佐治さんの現在に至る道のりは、山間の村の中学の音楽教師で、楽器に触れたことのない子どもたちを、音楽コンクールで優勝させたことから始まります。
音楽教育に全身全霊を傾け教師をしていた40年間、全国優勝は四十数回、その教え子はプロとして活躍したり、教え子たちによるアマチュアオーケストラができたりしています。
教師を定年退職後、千葉県少年少女オーケストラの音楽監督に就任し、以来21年間今も変わらぬ熱血指導で、子供たちに音楽の素晴らしさを伝えています。
音楽で子供たちに何を伝えようとしているのか、佐治さんに伺いました。

バッハ先生といわれていました。
バッハの音楽は心が静まってとてもリラックスしてていられるということで、子どもたちにもバッハの曲で心を癒してあげたいと、バッハの曲ばかりやっていたものでバッハ先生になってしまいました。
ずーっと教員の時もいい音楽を作ろうと、聞く人に感動を与え自分も感動するような、音作りですね、いい音でハモる様に演奏して行くと本人も感動するし、お客さんも感動する。
いいものを作るにはどうしたらいいかということをずーっと教員の時から考えています。
70歳代の教え子と話しますが、前から変わらないですねと言われます。
オーケストラも技術も必要ですが、ハーモ二―が良くて綺麗な音が広がって出てきたりすると子供達もいいねと云います。
今ベートーベンの4番をやっていますが、子供達はいい音楽だと言います。
バッハ、ベートーベンの音楽が大好きでこういう音楽こそ子供たちの血となり肉となると思うので、バッハ、ベートーベンの音楽は常に演奏しています。
ここでベートーベンを全曲やり終えました。(21周年)

小学校の先生の時に集会の時にはオーケストラの曲を聞かせたり行進させたりしました。
そのあとで小学校2年の生徒が教室で1回しかやっていないのに歌っていました。
オルガンで一緒に10分ぐらい指導したら、もう喜んで演奏してしまうんです。
子供って凄いと思って、1年生では駄目ということはないと思いました。
弾けるところだけ弾いて音楽に参加しなさい、と言って後は聞いていることも楽しいので、そういうふうに言っています。
世界でも素晴らしい指揮者、ソリストと一緒にやった時に声や音で感動して、自分も高まるんです。
そういった人たちは忙しいので、5年前から頼んでます。
予算は無いので後から何とかします。
井上道義先生も子供たちをヨーロッパに連れて行きたいといって演奏したいと云う事で、ちょっとやらせてほしいということを言って、エンカント序曲をやったら向こうが感動して、デュッセルドルフ(大人のオーケストラ)の方が呼びたいと云ってくださいました。
ケルン、デュッセルドルフ、ソフィアも全部向こうが招待してくれる形になりました。

悪いところは悪いと言ってあげないと駄目です、聞く耳を育てることが大事です。
いい音に出会っているとその音を出したいと思う様になる。
音符も読めるようにしていって、いい音を出せる人から順番にやって行くと、真似してクラス全員が綺麗な音を出せるようになる。
そうすると授業が面白くなり、休み時間でもやるようになる。
子供たち同士でも、誰かが上手になってくると、その人からみんなが教わっていろんな音をやってしまう。
音楽が嫌い好きというふうにどうしてなってしまうのか分からないが、私は全部一歩から始めます。
前にやったと思っても、もう一回一番易しいところから始めて、できない子がなくなってきてみんなできるようになる。
中学校の各教室にオルガンを設置してもらって、バッハのフーガの曲を弾いていたりして、音楽的な環境も大事です。
私がオルガン、ハーモニカ、アコーディオン楽器の修理も夜やってきました。

行った学校では楽器が無いので最初は合唱からやっていました。
初めてハーモニカの合奏を自分で習ってから、子供に教える様にして、東京でコンクールがあって出たら、山根銀二(ベートーベン研究家)さんが感動したということで、ただ金賞だけではなくて、感情という賞も貰いました。
1年目は君津、木更津市内で最優秀をいただきましたが、それからだんだんコンクールに出たりして良い先生にも出会いました。
エレクトーンが世に出てきて、皆さんから寄付をしてもらってエレクトーンを購入して練習に励んで日本一になってしまいました。
中学では10年間教えましたが、もう少し小さい時から教えて上手になったほうがいいと思って、小学生を教えるようになりました。

最初の小学校は音楽室もありませんでした。
アコーディオンとハーモニカを5月に買ってもらって猛練習をしてその年に予選に出て合格しました。
フーガト短調のバッハの曲があっという間にできて、6月下旬のコンクールで入選しました。(地域代表となる)
月曜から土曜まで練習していて日曜日は休もうとしていたら、先生日曜日にも教えて下さいと言われて、一日中弾いて段々上手くなっていきました。
現田茂夫さんのときには、よくやってくれて音楽が大好きになってくれました。
いいものしか教えたり与えたりしなかったんです。
現田茂夫さんたちは休み時間5分間やると一曲終わるので、終わると駆けて教室に帰って行きました。

コンクールに行くと必ず教えてくれる先生がいまして、中山富士雄先生(トランペット)が手弁当で来てくれたりしました。
千葉県少年少女オーケストラにつながって行きました。
一番しつけは大事だと思っています。
挨拶はやはり人間の一番大事な事で「こんにちわ」「さようなら」を言える人間になろうと言っています。
しつけをきちっとしているといい音が出る、音楽をきっかけにしての人間教育です。
私はこの道を選んで来て幸せだと思います。
音楽の素晴らしさを感じ取って世の中に出ていって立派な人間になって明るく楽しく過ごしてもらいたいと思っています。