2017年2月14日火曜日

三枝俊介(ショコラティエ)  ・ショコラの誘惑

三枝俊介(ショコラティエ)  ・ショコラの誘惑
三枝さんはチョコレートを専門にする職人ショコラティエです。
洋菓子承認を経て、チョコレートの専門店を開き、3年前からはカカオ豆の加工から製品作りまでを一貫して行う、ビーントゥバーに取り組んでいる日本のチョコレート職人の先駆者の一人です。
カカオ豆を扱って見るとまだまだ謎だらけというチョコレートの世界について伺いました。

2月14日バレンタインデー、年間を通して一大イベントになり、ショコラティエの職業の中では年間の売上の1/3がこのバレンタインに出て行くので、昼夜を問わずひたすらチョコレートを作り続けて大変な時期です。
販売されているチョコレートのなかでショコラティエが手作りで作っているのは、全体からみるとごく一部で、カカオの産地からたどってゆくと製品になるまでの膨大な時間と手間を考えると、一粒があの値段でも安いぐらいだと、雑誌の編集者などから言われます。
ワインも200万円するものもあれば何百円で買えるものまであるので、手間、こだわりが重要な違いになってくる。
ショコラティエ、チョコレートを作る人、お菓子屋さんの様だけれども、チョコレートだけを作る人。
パティスリー「メランジュ本店」を開店。
13年前に専門店を開けてから、これは片手間では出来ないと思って、お菓子の店を閉めてチョコレートだけに限ってやっています。
シンプルで幅が狭いように見えるが、奥行きがどこまでもあってまだ手つかずのものがいっぱいあります。
まだ開発されていないものがいろいろあって、こっちをやろうと思って自分の人生の残り時間を全部使おうと思って、お菓子屋さんを閉めてチョコレートの方に進みました。
子供の時からお菓子は好きでしたがチョコレートは特に好きで、どれを買おうかと1時間ぐらい迷った時期もあり、お店の人が呆れていました。
一度食べた味はほとんど覚えています。

我々の仕事の基本は作るときに食べます。
同じものでもロットによって違ったりして、そのものの味が判るようになります。
あのチョコとこのチョコをこういう具合で合わせると、この味に合うと瞬時に判るので、試作をやったりするということはなくて、僕の場合には一発で出来ちゃうんです。
最初音楽をやろうと思っていましたが、英才教育を受けている人が圧倒的に多くて、デザイナーとか絵描きを考えましたが、自分よりはるかに優れた才能の人が長い歴史のなかで前にいるので、越えることは難しいと思ってこれはやめようと思って、第三志望でしたが、浪人して、その間に自分の気持が決まりました。(場所は清里でした。)
清里でアルバイトをしながら自然の中で暮らしていると、毎日自然の中で暮らしているとなんかいやになって、下りてきてからお菓子屋さんになりました。

ホテルプラザ(大阪)、食のプラザといわれていろんな事に画期的な事を始めました。
初代料理顧問がポール・ボキューズさんでした。
そこで修業させていただいて、ボキューズさんにも仕事をさせていただいて、ボキューズさんの有名なケーキがあるんですが、これを作ってといわれて、見た目だけでこういうものかなあと思って作ったんですが、後にベルナシオンに勉強に行くと、ボキューズさんとホテルプラザの時代とかいろいろ繋がっていくんです。
ベルナシオン、フランスにある老舗の有名なショコラティエ、チョコレート屋さん。
お菓子屋さんの原点といわれる、これ以上手をかけられないと云うぐらい手をかけたお店屋さんです。
半製品を購入するところが多いが、そこはアーモンドの皮をむくことから始まります。
行って凄い衝撃を受けました、香り、味も違うしチョコレートは鮮度があるんだということが感じました。
いつかショコラティエをやろうとそこで思いました。

チョコレートは26度で溶けるので、店を運営するのに寒い時期でしかできないので、お菓子屋さんをやりながら冬場にチョコレートを作るというところに落ち着かざるを得なかった。
上品な街並みが無かったところにたまたまお話をいただいたのが13年前になります。
チョコレートの消費量は日本は低いので、大阪でお店を出したところは高級ブランドが集積された様なビルだったので、ここだったら何とかやっていけると思ったが、1年やって難しいと思い始めて、東京には出されないですかと云われて、銀行とかが反対するなか、今東京に出さないとやってけないと思って、東京の丸の内にお店を出すことになりました。
10年たって両方はできないと思って、残り人生をカウントダウンをするとお菓子はやめてチョコレートを専門にと思ったのが3年前です。

どうしても越えられないものが見えてきて、既成のものはすでにメーカーが完成品として出来上がっている。
素材に合わせて、全然違うものを混ぜ合わせることによって自分の味を作って行くが、上手く行かない事がある。(混ぜたものと混ぜたものを混ぜるからうまくいかない)
カカオ豆から行かないと駄目だと思いました。
ビーントゥバー それぞれ拘ります、カカオ豆の栽培から発酵、乾燥から、処理してどういうチョコになるかを追求してやってゆくわけです。
全世界のカカオの8割はアフリカで作られているが、元々カカオはアフリカには無くて、中南米がカカオの原産地です。
植民地等にどんどん木を植えて、病気に強い品種ということで決まった品種が多い、栽培しやすいがベーシックな味わいになる。

栽培技術が最近確立されつつあって、原品種が凄く多くて、もともと3種ぐらいなのがDNAなどを調べて10種類ぐらいある事が最近分かってきました。
カカオ豆は自由に手に入らないだろうと思っていたが、手に入ることが分かった瞬間にすぐに行動におこしました。
ビーントゥバーをやろうと決めて半年で、お菓子屋さんを次々閉めて、数か月で商売替えをしました。
20年間やっていた清里の店に機械を入れて、そこで作ろうと思って豆工場を作りました。
清里は夏でも暑くならないのでカカオの保管、できたてのチョコを寝かせるのにもいいんです。
色々なご縁、タイミングで仕事をしてきて自分の意志ではないような気もする時があります。
チャンスは来ないと思っている人がいるかもしれないが実はその辺に有るんで、見つけるかどうか手に取るかどうか、だと思います。
気が付いているがやらない子がいる、そこで違いが出てくる。
銀行とか周りに反対されても、これかなと思ったら躊躇しないで進んできました。

大きなメーカーは分担してやっているので、1から10までは判っていない。
チョコレート、カカオに関する謎はいっぱいあります。
今まで接しているチョコレートは味からくる、飾りから、形からくる、その中で素材の組み合わせ、豆からどうというのは無くてそこが原野なんです、道がないんです。
カカオ豆はいろんな使い方があるとおもって、石鹸を今実験中です。
カカオ豆の皮で紙を作っていこうと思っていて、それも実験中です。
チョコレートの魅力はだんだんわかってきて、高カカオのチョコレートを食べることが人間に良い効果があるということが最近言われ始めて、内閣府でも正式な研究を投資して行くと云う事で食べると気持ちが落ち着く、頭のめぐりがよくなる、ポリフェノールは赤ワインの16倍ある。

ハイチ、原産国だが食べられていない。
ハイチの豆で作ったミルクとビターチョコがこれです。
ガーナは世界第2位のカカオ生産国で労働力が足りず、子供まで狩り出されて児童労働をなくして行くためにNPO法人がガーナに出かけて行き、児童労働が無い状態にして、それで出来上がったカカオ豆で作ったのがこのチョコなんです。
買っていただくことによって次の活動のもとになって行く、寄付を盛り込んだ形のチョコです。
産地は裕福ではないので、うまく廻っていければいいと思っています。
チョコレートを通じて何ができるかを考えていますが、一杯作って儲けて大きくしてということをあまり考えていなくて、チョコレートを媒介にして何をどうやっていけるのかという道筋みたいなものを作っていければいいなあと思っています。