2017年2月4日土曜日

豊原大成(西福寺住職)      ・この命を未来へつなぐ

豊原大成(兵庫県西宮市西福寺住職) ・この命を未来へつなぐ ~阪神淡路大震災から22年~

86歳、22年前の阪神淡路大震災では10万棟を越える建物が倒壊し、6434人の方が亡くなりました。
西福寺のある西宮市のJR西宮駅の界隈も大きな被害を受けています。
震災当日京都の西本願寺に勤めていたため難を逃れましたが、自房の庫裡が倒壊したため、父、妻、娘の3人を失いました。
この世のはかなさの前にひたすら念仏を唱え続けたという豊原さん。
次の世代に伝えたい命の大切さについて伺います。

1995年1月17日朝、京都にいました。
西宮あたりも震度5と放送されていて大丈夫と思って、電話をかけたが誰も出なかった。
近くのお寺に電話をしたらそのお寺は庫裏は残っているが山門鐘楼はつぶれて、家族は本堂の前庭にいますとのことだった。
西福寺は大変なことになっているとのことだった。
京都から西宮に車で帰ってきましたが、西に行くごとに景色が変わってきて、これは大変だと思いました。
寺についてみると3人とも遺体は本堂に在るとの事でした。
12時間近くたっていたが、大きな声で娘を呼んでみたが、聞こえてこなかった。
娘は普段からおとなしく、小さいころから可愛がっていました。
夕方見舞客が見えましたが、挨拶ぐらいしか応対ができなかった。
お通夜の時には被災した人がいたかもしれませんがいっぱい来て下さいました。
涙を流さないようにしようと思ったが、3人の想い出話しをしているうちに涙が止まらなくなりました。
西宮市では3万を超える世帯が全壊、11462人位の命が奪われました。
西福寺の門徒も多く含まれていました。
震災直後から住職としての務めを果たそうと奔走しました。

100mほど先の公民館にみんな行っているとのことで、見舞いに行ったら玄関まで門徒の人が避難していました。
お経をあげてほしいということで行きましたら、棺がずらーっと並んでいて、その中の一つのお葬式に行きまして、そんな光景は後にも先にもありませんでした。
お念仏を唱えなさいと、「南無阿弥陀仏」 南無とは「どうぞよろしくお願いします、あなたを尊敬します」
阿弥陀仏 阿弥陀仏に対してどうぞよろしくお願いします、あなたを尊敬します。
親鸞聖人の教えはこの世の命が終わった時に、仏の世界によって、仏の世界に生まれさせてもらう、そこで間違いなく仏になれる、極楽世界で安住するのではなくて、後に残った人の心に帰ってきて、その人たちを念仏の世界に導く。
人の死を源として仏の教えに寄り添う、深く耳を傾けるようにするところに本当に幸せがあるということだと思います。
死んだら極楽浄土に生まれさせていただける、極楽浄土では「諸上善人。倶会一処(くえいっしょ)。」 ともに一つのところに会えると、あるいは後に残った人の心に亡くなった人の心が帰ってくる、そういう言葉があります。
仏の国で実現すると阿弥陀経にあります。

無量寿経に仏の願いが48、あるいは49あるが、33番目に触光柔軟の願というのがあります。
かたくなな心がほどける、悲しみをひっくり返す事ができる、悲しみが悲しみでなくなる、そこから私たちは次の生き方が出てくる。
心を軟らかくすれば悲しい時でも人の慰めの心を受け入れられるし、もっと悲しい人がいるのに自分だけ悲しんでいてはだめだと、そういうふうにも取れます。
悲しみを悲しみとして受け取らないで、教訓だと受けとめて、悲しみを転じてこれから生きていく力にすると、教えに会えばそういう風な力を得られる。
以前は厳しい住職だったと思いますが震災後は大分柔らかくなりました。
諸行無常、この世のものは諸行無常どんどん移り変わってゆく、それが我々の姿です。
人が亡くなってゆくということは、本人にとっても悲しいし、周りの人も悲しいがそれに耐えていかないといけない。

長男に生まれて、他の兄弟とは別格扱いだった、私だけは祖父母に育てられて、小学校の3年生の時に、祖父が頭を押さえて倒れました。
祖母の声に目が覚めて、祖父が倒れてから2時間後には祖父が亡くなりました。
当時言葉は知りませんでしたが、諸行無常を知りました。
実際に自分の身に降りかかってきているので貴重な体験です。
毎日家族の菩提を弔います。
被災後10年、家族を失った悲しみが癒えてきたが、娘の死だけはいくらお念仏を唱えても受け入れられませんでした。
出てくる夢の90%は娘のことです。
娘(28歳)には早く結婚するようにと言えばよかったと、寺の前に娘夫婦が住めるように家の間取りなどを考えていました、新し家に住んでいれば助かったと思いますし、嫁にいっていれば助かったと思います。

人を教えなければいけない立場ですが、報恩感謝の気持ちで生きていかないといけないと、云う事を人には説くが自分はいつも感謝しながら生きているかというとそうでもない。
悲しみは何年たっても消えないと思います。
苦しみの中から生き甲斐を見つめる、あるいは努力するということが人間の姿ではないかと思います。
心が揺れ動かなくなったらそれは仏さんです。
親鸞聖人でも悲しみの淵に立たされたことが、晩年になってからあったわけですから。
震災後より多くの人に仏の教えを知ってもらおうと、これまでに出版した本は20冊以上に上ります。
子供向けの絵本も手がけました(お釈迦様の一生を判りやすく説くなど)
お互いが敬い合うような人になって欲しいと思います。
自分はひとりで生きている訳ではないので、いろんな人々、物のおかげで生きているので、それを粗末にできない、自分の命もそして他の人の命も粗末にできない。

阪神淡路大震災からボランティアがクローズアップされて、ボランティア元年と言われました。
善意はここにあると感じました。
孤独死とかあるが、昔、田植えとかお互いが助け合わないと生きられない社会でそこに温かみが生まれてくるのではないかと思います。
繋がりをもう一度確かめ合いながら生きてゆくことは必要です。
自分一人では絶対生きられない、どなたかのお力で生きているということを忘れてはいけないと思います。