2012年4月19日木曜日

玄秀盛(歌舞伎町駆け込み寺代表) ・人生180度転じてボランティアに 2

玄秀盛(歌舞伎町駆け込み寺代表55歳)  人生180度転じてボランティアに 
1995年大震災の時は酔っ払っていた 朝焼けにしては偉い赤いなと思ったら火事だった  
当時10社のうち7拠点が神戸界隈にあり、スーパーカブを買えと指示した
動物的な感 TVを見てそう思った ポリタンクも購入するように指示  水が必要と思った 
現状を見に行く 金を貸してある地域が如何なっているか
バイクにポリタンク2つに 水を積んで行って、皆にすれば一番に来てくれてありがとうと言ってくれた  
こっちは金を貸しているから いつ取り立てにいけるか
でもいまはそんな時期ではないと 得意先 尼崎まで全部回りました
  
約50か所近かったのかなあ  2回目ゆく時にはトイレットペーパーとか 水とトイレットペーパーを
セットで渡すとか その間に会社の近くにテント村を作るわけです  
仕事の方は大盛況 通常の3倍儲かった  自分自身が解体作業の請負をしていたので 
手作業で取り除く作業員が必要なので 今回は全部倒れているものを単なる取り除くだけでしょう
利幅も大きい 当時は貪欲だったので解体仕事を物々交換 こちらは人を集める事で 人を供給 
その代りダンプを他から供給してもらう
困っているのはお互いさまと テント村ではいろいろと面倒を見たり 作業も1万円での作業であれば
5000円でもいいと利ザヤも甘く対応した

1998年本来 元請けからはいるお金が入らず手形を裏保証していたのを引っかかって会社が
抑えられた格好に成った  建設関係の仕事ですけれども
この年に会社を全部整理してお金に替えて東京に出てくることに成った  
矢張り稼ぎが東京は違う  あこぎな世界から多少違うスタンスの仕事でと思った
探偵、債権回収とか 女性関係のトラブルとか 処理してゆく探偵会社  オゾンの会社を作って仕事を
任しておいたら半年で社長が逃げてしまったので自分で社長に成って
1年間勉強さしてもらって 会社を作って実用新案とか特許申請を出しながら2年でそのぐらい行ったよね  
当然 不動産 金融と言うのは自分のテリトリーなので
それと並行しながら 最終的には宗教法人を手に入れてペット霊園等やろうかなとそんなことも
計画中だった  15年以上前の話

オゾンの会社、ペット霊園  建設、不動産  1社に5000万円 4社を作ってビル1棟に全部入れて
体制作りに2年掛った
さあこれからという時に秋葉原で何気なく献血をする 2000年8月に献血をして10月に通知が来る 
そこで引っかかる HTLV1 白血病 発症したら1年以内に命が無くなる 
1000人に5人とか1人と言われているけど  HIVだと一瞬見えた HIVだったら遊んできたと  
当時 お茶の水の日大にちょっと股関節が悪くて通っていた  
歩いていても躓く 普通の平地でも躓く  原因はどう調べても判らず 骨がすり減っているでもなく
丁度リンクする  症状が  あーもう命がないんやったら どうしても5人は始末しなければあかんと 
物騒だけれど   5人を始末して俺もあの世に行くんやと
48時間探して4人  後の1人はどうしても判らない
 
そうしている間にもう一度用紙を見るとその時にHTと書いてあった  
レトロウイルスで発病すると助かる見込みはないと  それ以上に私が死を意識した時に自分の
脳裏に先ず引っかかるのは   
どうしても許せないのは 引っかかるのは 仕返しと言うんですか 復讐と言うんですか 
そっちの方に頭が行った  5人を殺して俺もゆくしかない
この自分の鬼畜さ 鬼畜のような生き方が当時の俺の43年の歴史やったんや 
最後の最後 死を意識した時に普通なら子供とか妻とか家族とか 100%菩薩の様な心に成ると
思うのに お金でも無くこの5人にこの恨みを返すだけ
それしかないと言う 何のために俺は生きてきたのか 人並みにやってきたのに 自問自答を繰り返す  
5回殺されかけたと言う事は人からやられること
自分の中で死を意識するという事は24時間払拭できない 俺は自分に勝てたという人間が
この人間のもろさは何かと ずっと死を意識したらご飯もおいしくない

好きな食べる事が全然味気ない 望みが無くなる  自暴自棄、自信喪失 人間て こんなにもろいなと 
ずっとふつふつとしてきてもだれにも相談できない
HTLV1でそうは死ねないぞと 逆に1000人のうち995人は助かるんやと どうってことないと思った
時に じゃあこの1年なにに使ってやろうかと 
世間の役に立つんじゃなくて俺はどうやって生きて行ってやるんだと その時に新宿の書店に行って 
本を手に取ったのがNPOというボランティアという本
その時の事は鮮明に覚えている  阪神大震災、得度して歩いた   坊主には成れない 
歌舞伎町 だったら 駆け込み寺 24時間やろう 365日無休でやろう

成り振りかまわずやった 身代わり不動のようなもので誰かに生かす命もあるだろうと言うのが始まり
歌舞伎町は600m四方 飲食店が3000軒以上 ホテル50~60軒 映画館が12軒 やくざが80団体有る  
年がら年中犯罪があり他に比べて20倍~40倍
その中に区役所が有り、病院があり 公園もある 東洋一の歓楽街   ダーティーな町 
そういう街だから女性、子供が泣いているのではないかと
俺ならここで出来る 1年命、限定でやってやろうと  NPOを猛烈に勉強する そして申請する 
歌舞伎町 夜面白かった しかし見て見ぬふりをするのが多々あった 
2002年1月8日に認証を頂いて 5月20日に駆け込み寺をたった一人で始める 
 
会社を整理して金はない 唯一残ったのが生命保険
当時1800万円借りた 生命保険を担保に借りる  1年後にはいないと思いで、始めた
最初夜 放送が流れた 歌舞伎町で駆け込み寺ができたと 
相談の分類 1/3は自分で会社が潰れた 家を取られた 借金で家が離散した 
後の1/3は真摯な相談で
後の1/3は夜中の相談が多かった  実際女性が逃げ込んで来る 男が追いかけてくる  
本当にてんやわんやの始まりだった
一番最初は家出の相談 娘を探している 36歳の男が16歳の子と同棲している  
この女の子を直ぐ引き離したら又この子は男を追いかける だからお父さんに
表向きは付き合いを承認しようと その間にしっかりこの男に言うからと 腹が立ってもいまは
抑えといてくれと 今腹が立ったら 娘が敵になるでと
36歳の男には青少年違反で捕まるでと 云いながら別れ話をして男が他に女を作ったという
シナリオを作って別れさせた

その後色んな奴が来た 連日連夜 寝泊りしながらやってきた  全身全霊全力投球しかなかった  
1年3か月やってきて体調がおかしくなる
幻聴幻覚 当然お金も無くなってくる  1日12時間に切り替えて 何とかかんとか今は生き伸びている 
相談受ければ受けるほどパワーアップしてゆく その人の負のエネルギーを貰えるので  
やくざが来たら手の内がわかる 引き際も判る 手に取る様に判る
警察には相談は行けない  土日、祭日は当然休み 役所、相談所は休み 先ずそれが一点   
12時間になっても DVで相談に来るにしても内容は複合的
借金、DV、親子のいじめ、  公共ではDVはDV担当 金銭は弁護士担当とか、ばらばらになる
 だからいろいろなところでたらい回し的に成らざるを得ない
たった一人で受けるキャパの持ち合わせがない  

相談者は感情的に成っており 2時間も3時間も聞いてあげないとその人の本当の腹の底が見えない
これをやらない限りどんなところに相談に行っても ここが一番のひずみです  
自分の場合はその場で即断即決します  
そうしないと相談とは或る意味生き物でもあるし こっちが動かないと相手は動き回るから 
今やらない限りは駄目です 
約10年2万件以上 即決でやっています  DV、いじめ、虐待 ストーカーもあります  
相談も少し変わってきた DVとかも法律ができてきて世の中の関心も出てきた  
暴力団も暴力団排除条例が出来たから官民ともに動きやすい
法律ができてもアウトローの人間には全く関係ない もっともっと陰湿に成ってきている 
1年の内、家族殺人が半分 暴力団が人を殺すのは1割も無い 
現場だから手に取る様に判る
  
DVの対処 女性が来たらまず話を聞いて 逃げるならば段取りをしてあげて 
「玄さんのところにいきます 御用があれば玄さんのところにいってください」と手紙を置いてゆく
そして逃げる 100%ここに男が来る 号泣するか 懇願するか 哀願するか する  
ドアを蹴破ったやつはゼロ
加害者をどうやって受け止めるかが大事  このやろうと思った時にピシッとやらないといけない 
これがDVだと  しっかり諭す
相談していて これもやったこれもと 自分でスラスラ出てくる  
この駆け込み寺をやる為に45年と言う自分の経験が必要だったんだなと感じる
これが天職なんですよね 自分の余命 に目覚める   今こそこれが天職だと思う  
当時120万円必要だった 公演、本とか 多少の相談料で何とか賄う 2か月滞ったらしめる
  
日本財団が家賃の補てんをしてくれる これは有り難い  有り難いからもっとやるべきことが出てくる 
だからやっと仙台に行ける
与えられた命 使命ではないけれど 今そういうところにまい進している  
去年大震災の時には私はなんにも出来なかった  2/11に視察も兼ねて仙台に行きました  
今、国分町に準備室はできました
国分町は歓楽街  7月に向かって本格的な駆け込み寺をやります   
白血病を持ちながら戸惑わないか?→それが俺の生きる道だし 生かされた俺の選択肢はそれだし 
生きているという毎日の実感があるし
座右の銘は「一日一生」  思い残すことなく毎日毎日の繰り返しが365生だと 毎日が旅支度だと
思って生きている 何もかも整理してある
今度仙台に行ったら月の半分 沿岸部とかの 叫び声を救いあげて助かった命をどうやって
生かすか 考えるし 俺を使ってほしい

今はっきり分かることは 命尊しやから なにゆうても キャッチフレーズは「一つの命を救う」と言う事だから  
セーフティーネットとかマニュアル作ったりだとかすると安全と
思っているかもしれないが そんなセーフティーではなくヒューマンネットワークだと思っている  
一人の思いが、人間が波を起こすことによってそういう部分がウエーブ見たいに
そうやって繋がってゆくし 仙台で私ができる事って 東京にいては判らない 
そこの土地の空気を吸うからこそ今やるべきことがまだまだあると思う 
たまたまこの間仙台に居る時にボランティアの方が53人集まった  
俺の言うボランティアというのは人への思いやりだよと 誰かの為にやると言うのは辛い 
これは続かない

人への思いやりが自分へ優しくなれる  自分が優しくなってゆく  
他者への思い遣りが自分を育くむ これが私の考えるボランティア  「布施行」と言う事   
自分さえよければというものに危惧を感じる  10年前から始めて ゼロになる 又ゼロになる 
マイナスになる 寿命燈ではないけれども自ら光を放ちながら  
こうやって人がよってくる その人が又繋いでゆく  野火に火が放たれる様になっていったら誰
もが無関心ではいられなくなると思う 
無関心は人を殺すから そういうことに関心を持とうと  ちょっとでも感じてもらえたらもっともっと
捨てたもんではないと思う 
自立 抜け出しても抜け出せないそういう環境が有りますね  
自らの意志で本来やるべきことを人によって左右されてやっている  
そういう事の自立のサポートですね 自分の場合は