宮城県亘理(わたり)町 は3万4000人の街 イチゴの栽培と美しい海岸で知られているが 300人以上の方が亡くなったり、行方不明になている
去年の3月24日 女性の力で立ちあげた災害FMは2年目になっています
中心に成っているのが吉田さんです
吉田さん自身も被災者ですがこの1年間1日も休まず 発信し続けました
障害者の施設で働いていたご主人は避難所で世話をしていた為
中々連絡が取れず無事だと判ったのは震災発生2週間後だったそうです
災害FM「青空」は今年2月亘理駅に隣接する郷土資料館に移りました
家自体は床下浸水で済んだが近所までは床上浸水に成ってしまっている
ラジオをきいても自分の地域の事が判らない 役場からの情報も入らない
防災無線も津波が来てからは入ら無くなってしまった
2晩 自宅の2階で過ごした なんにも音が聞こえない
ヘリコプターの音がたまに聞こえるだけ 後はちゃぷちゃという水の音だけ
こういう時に災害FMが免許が臨時に降りるはずだよと隣町の(山本町)人が言って、山本町の人が私がやってみると言ってくれた
その人が山本町の役場に掛け合って放送をすることになった 3月21日
その時は自分はやるとは思っていなかったので手伝いはしていた
いよいよ放送が始まって 町の方々がどうしたら聞けるのかと問い合わせがあり、 あー聞けたと 口コミで放送があると伝わったんでしょうね
ラジオ情報が私の街にも必要なんだと思ってやってみようと思ったんです
今考えたらちょっと思いきったことだとは思ったが 手続きなど全く分からなかった
機材を提供してくれたのが新潟の方だった (山元町の人と知り合いだった)
電話をしてくれたのですぐ飛んできてくれた
その人にお願いして1から10まで教えてもらった
市長が免許に対しては申請するシステムに成っている
ありったけの友達に電話をして 協力してもらった
今この街で何が知りたいのだろう と必要な情報を知らせるように努力した
人を心配する気持ちでの対応 食糧、水が必要な時だった
給水車の場所 入浴支援があるので何時どこでやっているのでそのことの情報提供等
ライフラインの連絡が最初の連絡だった
スーパーマーケットが開いた連絡 おむつ、粉ミルク が購入できるとの情報連絡
水も中々ひかず1カ月以上長靴をはきっぱなし状態だった
役場の中にFMを設置していたので情報の入手には好かった
人口の割に面積が広い為に各地区の情報はとりにくい状況であったが、役場にいろいろな手続きをやる為にひとが来るので、そのたびに話を聞いて情報収集できた
7時から夕方の7時まで稼働、20分から30分話して音楽を流したりしていた
ラジオの無い人が沢山いた 避難所で大きなラジオがあって周りで聞いたりしていた
色んな放送局の人がラジオを送ってくれた
1000台 中古のラジオを送ってくれた
段々時間がたつと 気持ちが落ち込む時期がきて、その時にいろいろ支援がある内容を伝えるようにした
「青空」は 10名以上のスタッフでやってきた
主婦目線で対応 自分の街の民話(亘理の民話) 5月から始める
学校の校歌が聴きたいとの要望もあり、町の歌、民謡、等流す
校歌はCDが無くて、町民歌は探したら町長が持っていた
町民歌を流したら大変喜んでもらった
聞いてる方々からのいろいろな情報を貰って、それを又流すことによってフィードバックもした
自分が知りたい事を放送を聞けば判ると言うような状況になってきている
放送している合間合間で相談して提案しあっている
町の状態と一緒に少しずつ変わっていければと思う
放送資料を取っておこうと思って残すようにしている
保育所の子供達 被災した保育所 布地が無いのでそのことを放送したら沢山の人が自転車等で持ってきてくれた
復興しても朝晩見なれた風景、町の姿が変わってしまう
心の復興がこれから本当に大事ではないかと思う これができる事が一つにラジオの役目があるとおもう 身近な処の情報交換