2012年4月2日月曜日

吉岡幸雄(染色師家)         ・日本の色を染める

吉岡幸雄(染色師家) ・日本の色を染める
京都で江戸時代から続く染色家の家に生まれる  
家業を継ぐのを望まず、広告宣伝の仕事を始め美術関係の出版社を設立しました
古都京都で江戸時代から続く染屋「染司よしおか」の五代目当主
41歳の時に染色家業を継ぐことを決めて、5代目当主として染色と古代色の解明に取り組んでいます
福田伝士(工房で信頼している一緒にやっている職人)
いちばんの手本は自然の姿 家業に戻ってからはきょろきょろ見るようになった
植物染 自然のうつろいに沿って染めてゆく  栽培しているものもあるが 
できるだけ自然の産物を頂く

東大寺お水取り  毎年行っても新鮮さを感じる  作り花(仏様に捧げる花  
季節に間に合わないとか季節の行事に合わせるため) 「紅花染和紙」 椿の花を
紅花 花芯は黄色クチナシの実で染める 
1261回になる お水取りの行事  40数年前に仕事が父の代に話があり それから工法に則った
方法で納めているわけです
赤、白の花弁が混ざった椿 色んな伝説があってはっきりしない  
作り花を献納すると言うのは大仏ができた時からやっていたようだ
紙を紅花で染めて それを東大寺に収める 紙のまま納める  
行が終わるまでは火を別にして一切家には帰らず30日間生活をする
ある種の聖域に成っている  紅花は夏に摘んで乾燥して冬に染める
  
その方が綺麗に染まる  寒の紅と呼ぶ  12月を過ぎないと仕事に拘わらない
紅花の乾燥した状態のものは黄色、と赤が混在している(オレンジ色)  
それから赤を分離しなくてはいけない
「黄水洗い」  赤を取り作業をしなくてはいけない 桶に水を張って紅花を2~3kg浸けておく 
そうすると黄色のいろだけが出てくる
翌日洗っては絞り洗っては絞りする作業をずっと続けていると黄色が抜けてゆくんです 
黄色は棄てている  赤がほしいので
黄色は普通の水で流れる 赤色はアルカリ性 藁灰のアク汁を用意してそこに浸ける  
小さな家一軒分に相当するわらが必要で予め農家に予約しておく
赤色を出したい作業の3日前に藁灰をお湯につけてしばらくほうっておく  
お湯の中には藁灰の成分が溶け込んでアルカリに成ってゆく
赤色の色素の残っている紅花を揉んでやると赤色が出てくる  
それだけではアルカリ性なので染まらないので米の酢を入れて中性にする

段取りが大変大事 口紅も昔は紅花を使用していた  沈殿状にしなくてはいけないので麻布を
入れる 紅花の色素は麻布の中へ中へ入ろうとする
その麻布をまた藁灰のアク汁に浸けてやるわけです そうすると麻布に付いた赤色の色素が
もう一度出てくる  少ない液を使うので濃い紅花の色素が出てくる 
うばい(烏梅) 6月には熟した梅の実が落ちる それを集めてきてかまどとか煙突に付いた
すすをまぶす それを24時間おがくずで薫製する
うばい(烏梅)  乾燥した梅を水につけておき 3日~4日するとクエン酸が出てくるわけです 
その液を紅花の液に足してやる 色素同士が結合して沈殿する
艶紅花の泥ができるわけです 水彩絵の具の赤色と思ってもらえればよい  
それを薄めて何回も和紙に塗って行くと唐紅という色の綺麗な紅花の色に成ってゆく 
一日に2枚か3枚が染まる 紅花の工程でさえも1年掛る 種を植えて収穫  
  
染料の種類は50種類 植物の材料 
古代色の解明→王朝の重ね色辞典 源氏物語の色辞典とか古代色の辞典を出している  
古いものを見ていると非常に美しいものが沢山残っている
その技術はどこからどのようにできたのか その色を醸し出す材料はどこにあるのか 
どういうものなのかを勉強するようになった
この仕事を継いだ後これをもっと深めなくてはいけないと思い勉強し始めた
正倉院宝物 文書が沢山残っている 当時の記録書を読むのは日本では活字になっているので
比較的楽に読める

クルミで染めた紙、(茶色) エンジ色 緑   平安時代の染色に関する材料、技術 沢山残っている  
「延喜式」に記載 料理の手順のように本に書いてある
展覧会に行って何回も行って目で覚えておく  じっと見ていると同じ赤色でも これはあかねで
染めたのかなあと これはえんじ虫と言う虫で染めたのかなと
大まかな分類ができるようになってくる  この紫は紫草の根っこで染めているとか 
根っこに色素がある   茜(赤い根っこ 赤根)
アク  木の灰なのか 藁灰なのか  見分けないといけない  藁灰はアルカリ性が柔らかい 
 木の灰 クヌギなどは強いアルカリ性になる

日本の色の名前 400種 私はつけた 自分で考えればよい 1000種ぐらいあるのではないか  
江戸時代の文献には一杯記載されている
源氏物語  平安時代を理解するには物語、和歌等を理解することが大事 
源氏物語を原文で3回読んだ 色の名前とか色の表現してあることをノートに書き込んだ
紫式部が衣装を書いている時にどういう色合いだとか想像をめぐらしたり 或はすおう色とはっきり
書いてあったり これはすおうの木で染めたんだと判る
それを再現してみたりした 文学と係わることは色を研究する上で 日本の色の歴史の流れを知る
上で良いのではないかとやってみた

桜かさね 平安時代のなかごろから和服の原形みたいなものが出てくる  3枚も4枚も着ている 
ずらして仕立ててあるので袖、襟に重なる部分が出てくる
下の部分が見える その部分を四季に咲く花とか草とかそういうものになぞらえるというか 
和歌の文化はそうだと思うんですが、なぞらえる文化が出てくる
桜の絵が描いてあるわけではなく 重なった部分に桜を感じるのか 
黄色だったら山吹と感じるのか 菫と感じるのか 藤と感じるのか或はカキツバタと感じるか
そういう心理の掛け合い 探り合いというのか そういうのが平安朝の文化の特徴だと思います  
梅とかはっきり言うのではない
近世になると友禅染とか梅の花、桜の散る花が書いてあるとかあるが 平安朝は色の重なりで
あーそういうものを着ているんだなあと言うことを探ることがあるんですね
源氏物語に書いてある「時にあいたる」 時節にあった
日本人は一番四季を尊ぶ 移ろいを楽しむ と言うところに日本文化の根源があるように思う