2012年4月10日火曜日

加賀乙彦(作家82歳)        ・希望ある未来を望み見るために 2

加賀乙彦(作家82歳) 希望ある未来を望み見るために
「宣告」 正田昭をモデルにして 大阪生まれだが東京生まれにして登場する 昭和4年4月19日  
私は同年同月22日生まれ 3日しか違わない
彼が処刑されていなくなってから 彼が書いた物が一杯有ったものだからそれを通じて 
彼を生きた人間として小説に出来ないかなあと思った
1979年1月に完成した 正田昭のことは自分なりに描き上げたと思ったので 筆一本で行こうと
大學を止めた
送ってきた手紙、Nさんへの手紙、日記 全部違う  宣告で言いたかったこと 何人かの死刑囚を
モデルに書いたが、見た事が無いような人物は絶対に書かない
実際に知り合って相手を知っていないとモデルに使えない
  
私の文学的想像力の限界かもしれないけど 途轍もない人間を考え出して何かをすると云うより
リアリズム文学に自分の資質があると「宣告」を書いているうちに見出しました  
その後の小説も同じスタイルになる
宗教的な悟りを開いた様な死刑囚も居る   人間と言うのは非常に人によって自分の思っている
ことが違う 
心理的なものを書くよりはもっと霊的なものを書きたいという 中々難しいが それを私は魂と
呼んでいるのですが、 フロイト、ユング、ジャック・ラカン等読んで彼らの影響も受けた
彼らも天才的な人達なので 新しい無意識の世界を開いたと言えるんだけれど それはそれとして
もっと奥に 何か人間の無意識が判ってしまうと言う理論を展開
するんですが、それに合致しない人間が一杯いるんだと言う事を私は気が付いてきたんですよ

大学でユングやフロイトとについて学生たちに講義したし自分でも読んできたがこういう風に人間の
有る面を分析して分析が正しい科学だと言いきってしまうのが
学問なんだけど、学問と言うのはもっと 奥深いもんじゃないか 
人間と言うのはルネッサンス時代、神の秘密を解くために 先ず解剖をしてみるだとか
ニュートンが万有引力を発見するだとか これは皆神様が人間に隠していたと思われるものを
発見して それなりに人間の知識をどんどん増やしていったわけですね
宗教と言うものがあってその宗教的な心で持って神の秘密を解いてゆくのが科学 科学書を
読んでみると皆 例えばコペルニクスが地動説を唱えた時でも
それまで地球と言うのはズーと西に行くと不思議な国がありそれで終わりだとか言っていたのが
、実は丸だったとか 神様が隠していた秘密だったわけですが
それが解けたと 言う風に段々に人間の知識が増すに従って神の秘密がどんどん解かれて
行くんですけれども しかし逆に自分の経験から言えるんだけど
そういう科学的な研究と言うのは何時も限界があってここまでは判るけどここから先は真っ暗で
なにも判らないと言う

  どこまで判るかと言うのが科学なんですよ
東日本大震災の時に 私は思った  専門家が津波や地震の研究をやり 原発をつくったり 
知識の富んだ方々でもやっぱり知らないことがある
神はそれを越えた何かを持って人間に迫ってくる  
そういうことから私自身は段々に宗教的なものに関心を持って 上智大学で多くの神父に会ったり
昭のこともあったし 宣告を書き終えた時に 何とかこの宗教の内側に入りたい 
キリストでいえば洗礼を受けたいと言う気持ちになりました
洗礼を受ける事によってもうちょっと神様の魂の奥底に有る物を教えていただけるのではないかと
言う希望を持ちました

58歳の年に或る神父に苦しくなってきてしまったと告げる 釈迦も偉い、キリストも偉い アラーも大したものだ 奥深い宗教 コーランもキリストを褒めている
あらゆる宗教はまったく違う様に考えられているけれども お互いに非常に近いところに有るので
 峰に登るのにどこから登ってもいいのではないか
私の人生経験が宗教として捉えるように感じた 自分の疑問を全部神父に聞いて行った(4日間) 
復活の問題 イエスは人間であって神であって 質問する
知識によってイエス、釈迦はどうだとかをやるんじゃなくて イエスを認めてしまう   
説教の中にイエスは間違ったことはいっていない これはどういうことだろうと
4日間の中である講演をしていた時に不思議な体験をした スーッと身体が軽くなって 
明るくなって幸せが漂うような不思議な体験が起きた

貴方がた二人(夫婦)は洗礼を受けていいですと神父が言ってくれた
ヨハネ福音書の中に 「風と言うのはいずこからいずこに行くのか判らない しかし 確実に何かを
運んでくる」 霊の世界も又同じだ
正田昭が持っていた聖書にもここにだけ赤い線が引かれていた
霊の世界の出来事はいつどのように行われるか判らない  魂の奥底に隠れている   
心理学が数にできるもの(これはいくつ これはいくつと言うように)
現象だけでは論文にならない  私自身 拘禁ノイローゼがいかに違うか 数で表現出来た 
数で表現できる様なことは心理学の学問でも出来る事
その出来ると言う事はそんなに深い事じゃない 間違いだらけかもしれない 

魂と言う世界は心理学で我々が知っている人間の精神の動きではない もっと真っ暗な中に有るんですよ
空を見て沢山の星が有ると言うけれど 星の占領している部分と暗黒の部分を比較してみたら
暗黒の部分の方が絶対おおきい
判らないものの方が大きい 同じことを人間の精神と魂についても言える  
結局私の判ったことは妻の死と言うものは私には全然判らなかった(私は医者ですが)
妻に対してはそれなりに注意はしていたが、そういうものとは全然違う私自身の力を越えたあるもの
が妻に働いて亡くなったと思うようになった
自分の死も同じようにして全く意外なところからやってくるだろうと思うんです
著書「科学と宗教と死」 に 大震災後に宗教が重要な役割をして行くのではないだろうかと
書いてある

今の日本での宗教の役割は?→科学を越えた或る世界は宗教の中に有ると思っている  
宗教については日本は本当に恵まれていると思うのですが
沢山の偉いお坊さんがいて 素晴らしい本をいくつも書いている  
道元はいくら読んでも判らないが親鸞は判りやすい  人によって違うが 彼らの世界は
科学の世界を越えるなにか 深い思索を持っていると言う事は事実で 今度の場合の人間が
津波や地震に会うことは予見できなかったというのは当然のことで
それを判るためには神の秘密をもう少し努力して探ってゆく  
科学を研究することと宗教をやることは同じレベルで考えられる
宗教を知ることによってもっとわれわれの世界は平和に成るしたおやかになるし苦しみから逃れる
事ができるし 私が経験した喜びの不思議な体験をしたのを
被災した方々も持てるのではないかと あらゆる宗教の人々が一緒になって今の日本の再建或は
被災者の人達の悩みを解く事に協力すればもっと日本は
素晴らしい国になるんじゃないかと思います
  
 今の日本に必要なのは勿論科学の研究、経済の復興 そういうこともあるでしょうけれども 
もう少し深く広く考えると
昔の人が神の秘密を解こうとしていたような謙虚な科学者が出てきてほしい  
その科学者の力によって 災害を何とかよける事が出来るかもしれない
死者に対して祈ることによって 悲しみが無くなるし 少しでも苦しみを無くすことができる
(自分自身の体験から)
宗教、宗教といって一生懸命に本を読んでいるんではなくてもうちょっと祈ると言うだけでも
人間の心は随分喜びに充ちてまいります
日曜にお祈りするだけで大変な喜びですし、満ち足りた気持ちになってくるんですよ 
希望ある未来に向けて→祈りだと思います  神が(自然が)向こうから人間に働きかけてくる  
何かの力で科学者が神の秘密を垣間見せてくれる
自然が我々に語りかけてくる それを良く聞いて人間は希望を持つことが出来る 
  
人間の持つ希望と言うものが神から来たのであれば大きな希望
今にそういう時代が日本に来るのでは   宗教について若い人達がなんも知らないでいる  
宗教をやれば何か超自然的な力を自分が持つとか一時オカルトが
非常にはやりました  あれは宗教ではない  宗教は他人が幸福に成るためにある
 自分ではない 自分自身に何かを与えたまえではなくて あの人達を助けたまえ
他人で苦しんでいる人の為に祈るのが本当の宗教だと私は信じています  
信ずると言う言葉が一番深い意味を持っている
信じると言う事は1%の疑いも無く信じる  宗教による差はない   
親鸞の「教行信証」もキリストと同じような事を言っている
人間の力だでけでなんとか乗り切ろうとしていますけれども 大震災を乗り越えるためには
自然の力への謙虚な気持ちが必要 

謙虚な人達の科学が最も進んだ科学なんですよ   
宗教と科学を全く反対方向のものとして見るのではなくて、同じ自然の中で自然の不思議を解くと
言う気持ち
それは神の不思議を 秘密を、解くと言う気持ちと一致する様に思うんですが  
そういうものが今の日本では一番必要ですし そして人々の平和と安寧、喜びを
見出して 今の人達は頑張ろうと言いながらどっかで無理をして一生懸命にやろうと言う気持ちも
あってもう少し 気持ちをゆっくりと豊かにして
自然の愛というものがある 日本には四季があり美しい森、海がある 
こういう国に生まれた事を喜んで 喜びの上に復興があるんだと思います