2012年4月17日火曜日

米澤 傑(鹿児島大学医学部教授)  ・医学も音楽も私の喜び

 米澤 傑(すぐる)(鹿児島大学医学部教授)    医学も音楽も私の喜び  
1950年 生まれ 癌細胞の研究 オペラ歌手 日本クラッシック音楽コンクール第一位 グランプリ受賞2004年 ブルガリア ソフィアこくりつ歌劇場オーケストラ との共演CD 「誰も寝てはならぬ」   
米澤 傑 テノール・オペラアリア集」(ジョヴァンニ・ディ・ステーファノ指揮・ソフィア国立歌劇場管弦楽団)としてリリース、好評発売中  
2012年4月29日には横浜で医者だけで構成される管弦楽団の第一回の演奏会でその歌声を披露することに成っています
全国から沢山集まり 最終的には86名の程度のオーケストラの構成になる
中学3年の時に独唱の大会に出て見ろと先生から言われて吃驚いた  
大会に出て私ともう一人予選を通過する 「追憶」歌った
高校もバレーボール部と音楽部の部長もやっていた  
NHK 歌曲の部に高校2年の時に参加して徳島県で優勝してしまった

四国大会に行って第二位だった(全国大会には行けなかった)  
鹿児島大学 医学部に行った (音楽への道は全く考えなかった)
病理学 腎臓病に興味があった 
泌尿器科に行ったが病理学に行くように勧められそちらに行った  
先代の恩師の佐藤栄一教授が大腸がんをされてきたので、癌をやる様にいわれてそちらに進むやり始めたら結構面白く 新たな知見をアメリカの一流雑誌に出したら旨く通りましてそちらの方にも興味が湧いてきて、段々と癌の研究をやるようになりました  
面白くなってきて 腎臓の研究と癌の研究を並行してやって居た  
病理学にメインを移して段々と病理学の専門になっていった
2010年日本病理学賞を貰う 
 
がんの中でもムチン性糖蛋白といってムチンとは胃の粘膜の表面を覆っていたりして粘膜を保護したりして 或は便が出やすいように、粘液が出るとか それもムチンなんですけれども、ムチンには、上皮細胞などが産生する分泌型ムチンと、疎水性の膜貫通部位を持ち細胞膜に結合した状態で存在する膜結合型ムチンがある  
ウナギをはじめとする一部の魚類特有の体表のぬめりもムチンである
それに全部番号が付いているんです MUCIN MUC1~21まである
そういう風なものがどんなふうに癌細胞が作っているかという研究を 1989年から90年にかけてカリフォルニア大学のサンフランシスコ校に留学していた時に、ヤング S キム教授 世界的大家の処に居る時にすこしずつ判ってきていた頃でしたので それを膵がん細胞を対象に研究してみなさいとテーマを与えられまして、非常に面白い結果がでまして それを論文にしまして ちょうど留学中に投稿できまして 帰ってきまして、それをベースに それまでは主に大腸がんとか食道がんとか  管の臓器の癌の事をしてきたのですが これらは切ると2次元に成るのですが 膵臓等は切っても3次元構造をしている
   
膵がんもたちの悪い癌からたちのいい癌まであり(膵管内乳頭粘液性腫瘍(通称IIPMN)) たちの悪い癌はMUC1は作っているけれどもMUC2は作っていないとか、通称IPMN、良性のものはその逆であるとか 見つけ出しまして アメリカの専門誌に出しましたら 採択されまして其れを発展させていったのが、日本病理学賞に繋がっていった  
30年ぐらい積み上げてきたもの  
その間に音楽をしていた サンフランシスコのトップの方に紹介してもらった  
テノール歌手で自分が直接レッスンするからと言われて先生のところに時々、伺ってレッスンを受けていました  
入学式に男性合唱団に入った 
小さいほうの合唱に入ったが1年後に大きな合唱団に吸収合併したが 声が飛びぬけていたので(押さえろと言われたが苦しくて)独唱の方に変更した  
本当は医学も音楽もやればやるほど長い苦しみがあるんですね
 
医学の研究も間違ったことがあってはいけないのでそういう厳しさはあります  
何度も検証を繰り返す  ランクの高い国際誌に載って見た瞬間は本当に嬉しいですね
音楽も松本美和子先生なんですが 本当に厳しいレッスンが有りまして 「あ」と声を出したら違う「い」と声を出したら違うと 本当に厳しいトレーニングを受ける  
ずっと積み重なって きちっと歌えてブラボーと言っていただいたときは本当に嬉しい 快感ですね 一瞬の為に長い苦しみをずーっと続けているのが正直なところです  
苦しみのほうがどうしても多い  
どうやって工夫をしたんか?→効率よく考えた練習をすれば フルボイスで謳う時間は少なくすることができる
楽譜と論文を一緒にカバンに入れていて電車の中などいろいろな場面で勉強している 

音楽で本当に練習する時間は3%  
1985年に鹿児島で第九をやる 井上道義先生が指揮を担当して頂いた
徳島  鳴門 は第九の初演の地なんです  
それを記念して6月に有ったので第九のメッカのように成って15回記念の時にソプラノソリストの松本美和子先生だった 
その方と共演できると言う事は本当に嬉しかった  イタリアにデビューしない?と言われる 
1週間後に著名なプロデューサーが日本に来られるから是非声を聞いて貰ってと言っていただいて 松本先生と一緒に聞いていただいた  
そのプロデューサーの方も一緒に勧めて下さっった  
1カ月半イタリアに来て後は仕事をしていいからと言って下さる  
3日空けるのも大変なので遂にお断りした
いまは両方できる状態でやっている   ちょっとしたきっかけ、御縁で繋がっている
膵がんの早期発見に注力したい 
音楽は松本先生から70歳になっても声が変わらないように精進しなさいと言われているのでそれを目指して行こうと思っている