2011年12月31日土曜日

青田昌秋(流氷科学センター所長73歳) ・海は母 流氷は友

青田昌秋(北海道立オホーツク流氷科学センター所長73歳)    海は母 流氷は友
地球環境を知る上でも重要になってきている 40年以上を流氷を見つめてきた
流氷は現在サハリンにいる 1月下旬に青い海がしけたようになって 水平線上に真っ白い筋が
見える それが流氷到来です
「友有 北方より来る また楽しからずや」  流氷の筋が帯になり段々広がって 遂に岸まで
及んで それまで青い海が全部真っ白い雪原になってしまう
流氷とは→大気をぐるぐる回して 気候を穏やかにして地球のエアコンであり 海水をぐるぐる回し
て地球を穏やかにしている海のベルトコンベアー この大きな空気の塊を地球規模で回す 
海の水を地球規模で回すことによって地球全体を穏やかな多くの生き物が住める星にしている 
エアコンとは→北極、南極では空気が冷えてきます 

なぜならば 流氷が太陽の光を殆ど反射してしまって冷たい空気を作り上げる 
冷たい空気は重い 地球にへばりつきながら赤道に向かう そこで熱帯の暑さを和らげてくれる 
熱帯の温かい空気は軽くなって高くまで行って 成層圏まで
行って 冷やされて南と北に別れて今度は沈み込む 
今度は冷たい空気が両極を穏やかにしてくれる 
海水に関しても同じ 南極周辺から沈んだ重い冷たい水は 何千年もかけて赤道まで上がって来る 
冷たい水を創り出しているのが流氷です
長崎県生まれ 昭和18年5歳の時に諫早市に疎開する 
20年に国民学校に入学 8/9 蝉のガンガン鳴く熱い日 閃光を感じる  それが原爆だった

防空豪に隠れる キノコ雲をはっきり覚えている 母は兄と祖母を探して数日は帰ってこなかった 
兄と祖母は帰らぬ人になった
ぼんやりした不条理 不満 無常感が 有ったようだ 高校時代に肺結核を患う 
原爆に類する様なものが俺にも来たなと思った
北海道大学を希望 北海道の秋の風景の写真のある雑誌の表紙をみて行きたくなった 
北海道は死に行くようなものだと云われる
反対する人が多く母が色んな人に相談するが勧める人が有り 結局行く事になる
昭和33年 進学 寮ではラジオを置かず議論をする場所でありとの考えがあり 多くの人と議論を
重ねる 友人たちが一杯出来る

物を作る方には興味がなく 非建設的な方に流れて行った  地球物理学を専攻する 
海のテーマ をやりたい 京都に行ってとりあえず食う為に高校の先生をやると云った
親友が 海をやりたいのなら すぐそばの低温科学研究所がある 
雪の研究で有名 田畑先生を訪ねてみろと云われる
田畑忠司先生は所長 他の人と話をしたらしく (明日は京都に行く日程になっており切符も用意して
有った) 再度話をしたときに 「青田君人生は賭けだよ」と言われる
結局 京都行きは中止して切符は払いもどしになり 送別会をやって貰っていたが再会の宴を催した
低温科学研究所での仕事は→戦争末期ごろから流氷は軍事研究としても必要だった 
流氷が来ると潜水艦が来れない 軍艦が来れない 

いつ頃流氷がくるか どのように来るか どこまで氷がはるか を研究をしていた 
 戦争が終わると 流氷が漁船に対して妨害になった 遭難の元にもなった
流氷研究の為には現場に施設をつくらなくてはならない という事になり レーダーの設置案が出てくる  
世界ではこの様な例がない(3か所設置)
昭和44年に流氷レーダー網が完成する それまでは目視観察だった 
曇った日、雨の日、夜は見えない 昼夜に関係なく調査が可能となった
流氷の複雑な動きが判るようになった オホーツク海は流氷の南限  流氷による遭難は無くなった
流氷はいつごろ現れるのか どういう力で押し寄せるのか 
どの程度の構造物をつくれば壊れないか ・・・災害科学だった
海底油田の開発が必要になり 流氷研究が役に立つようになる

昭和50年ごろ 国立局地研究所と一緒になって氷の下の生物の研究をするようになる 
流氷が植物プランクトンを育てるのに非常に良い役割をしていることが判って来た 
繁殖しやすい状況を作っている 
栄養分が川から流れて海に来る 底に溜まって来る 流氷が来ると冷たい水を吐きだす
 (濃い塩水) 沈んでゆく 入れ替わりに 栄養を沢山含んだ水が浮いてくる
対流が起こる  流氷にへばりつく 流氷が植物プランクトンが住みやすい状態を作ってやっている 
光が当たりやすくなる
植物プランクトンを食べる動物プランクトン 動物プランクトンを食べる小さな魚 その上に大きな回遊
がいる 鮭 鱒 鯨 大きなピラミッドが出来る

食物連鎖の一番底辺を支えているのが植物プランクトンです 
今までは漁業者は流氷は船が出られない、網は破かれる 等々問題視されていたが
最近は流氷が来なくなるようであれば魚が来なくなってしまうのではと 、漁業者が考えるようになってきた
30数年流氷のデーターを取って来て それを整理してみて 又沿岸部の測候所の気温のデーターを
照らし合わせると気温はどんどん上がっている 
流氷勢力棚が段々下がって来たことが浮かび上がってきた 
レーダー観測が災害科学よりの環境科学に私は目的をシフトしてきた
網走気象台は明治25年から目視の観測を行っていた 
同様な形にデータを整理してみたらもっと長い歴史がみられるのではないかと思った
克明なデータが網走気象台には有った 宝物に出会ったように感じた

120年分のデータが揃った  大きな流れを見てみると明らかな気温上昇 流氷勢力の減少が
浮かび上がってきました 
この100年で平均気温が1℃上昇 流氷勢力が半分近くに落ちてきている
オホーツク海の流氷はかろうじて氷っている 青い海が冬になると白くなる 
春になると青に戻ると云う非常に極端に色で表現してくれる
地球の微妙な温度センサーである 地球の体温計ですね 
オホーツク海を謙虚に観ていると矢張り気温は上昇している 
あっちの研究者 こっちの研究者が違った方法で地球の気温を研究しているが
結局総合すると矢張り地球は温暖化している 今地球は異常な方向に向かっている 
どうしますかと言われた時に  少なくとも 今 物 物 物 と物を追求してきた  
産業革命以降 必死になって物を作って 大きな貢献をしてきた

しかしそれには限界があるんじゃないかと かつて植民地時代のように新しい島を見つけて富を
取る時代ではないと 地球は籠の中の小さな星であると
判ったと 空気はよそから貰えない 海水もよそから貰えない 
そういう星に住んでいるんだと それがこの300年の間に大変な量を生産してきた
物が物を売る時代だったと そこで起こっている現象が皆さんがおっしゃっている地球温暖化 
と私は信じている
もう物、物、物の人間の欲望の世界をこれ以上に進めると云うよりは 間違えてもいいから進め
ない方向にパイを置きたい
地球温暖化、流氷の減少は人類に対する自然からの警告だと思います

流氷の魅力→スケールの大きさ 広大な変化 今まで荒れ狂った青い海が静かになって動から静の
世界に入る 氷が張ると静寂の世界になる
紋別を中心に子供たちに自然の大切さを伝える活動に力を入れている 
小学生、中学生、高校生のグループを 連れて冬に海岸で流氷を見ながら
環境の変化について話をしたり、夏から秋にかけては地元の川を遡上する鮭を見ながら 
海と川 山と森と自然の繋がりについて話したりしている