セシル・テイラーやオーネット・コールマンらとともにフリー・ジャズムーブメントの先駆けとなったひとりである
音楽理論に捉われずに自由に即興演奏するフリージャズに取り組み 時には肘で腱盤をたたくような激しい演奏が国内にとどまらず国外でも人気です
ここ10年ほどは毎年1月にクラシックの演奏家やオーケストラと共演し クラシックの名曲ラプソディー イン ブルーを山下流に演奏するなど様々なジャンルの音楽に挑戦しています
今月7日にはバオリニストの「アン・アキコ・マイヤースさんと共演します
「アン・アキコ・マイヤースは私の小学校時代からの友達の娘で 隣に住んでいた
康子さんがアメリカに渡って結婚した 娘がバイオリニストになった
12歳でニューヨークフィルとズービン・メータ指揮でデビューした
すぐに日本に来るようになる(1980年代後半)
「アン・アキコ・マイヤースは自分はクラシックとはっきり線を弾く人
クラシックと一緒にやろうと思った経緯は→母親がクラシックのピアニストだった
でも譜面通りに私はやるのが好きでなく いたずら弾きを貫いてきた人生なんです
高校出てからどうするかという時におやと喧嘩になり 2年間掛ってピアノと作曲を勉強して国立音楽大学に入った
そこでみたクラシックの人達の凄さ楽譜さえ見てればいくらでも弾いてしまう
楽譜を取っちゃうと駄目 別のページにめくると平気で弾いている
楽譜という記号さえあれば絶対大丈夫
こういう人達と同じ土俵で戦っては駄目だと思った
こういうクラシックの人達と一緒にやることはないと思っていたら 1986年に大阪フィルハーモニーとショーをやった
ラプソディー イン ブルーをやるなら一緒にやってやるとオファーが来た(大阪フィルから)
一回で大恥をかいてもいいからやって見ようと思った
石黒先生と打ち合わせをして臨もうとしたが 先生が体調を崩されて女流指揮者の松尾葉子先生がおいでになって殆ど激突みたいなことでラプソディー イン ブルーをやって 自分流でやった
結果としてはうまく行った
皆が怒って1回で終わりだろうと思ったら喜ばれちゃってその後色んな処から呼ばれる様になった
オーケストラに合わせるのは凄い緊張した 音で説得するしかない
指揮者としても即興というのがあんなに恐ろしいものだとは思わなかったと後述している
気持ちのいい 物凄い快感があった ジャズの場合と違う
2000年新春 東京フィルハーモニーがやってくれたら ピアノコンチェルトを書きますと宣言する
必死になって何とか作った
大学では作曲の勉強はしたがジャスは作曲が出来るが クラシックは無理であったので本当に苦労した
自分はジャズの即興者であるので ピアノの曲は即興でやる
この曲を引っ提げてトリノの音楽祭に出掛ける お客の反応は凄く7回アンコール有 2回弾いた
ドイツ人も新しいものが好き
ジャンルを超えてやっている
邦楽 和太鼓 等 どのような人に出会ってもピアノで即興でやっていきたい 即興で音楽を作る ジャズへの興味は→ズーっといたずら弾きをしていたが中学3年の時に大学生になった兄がジャズバンドを始めて家で練習を始めた そこにいたずら弾きは出来るのであれば入ってもいいとわれる
そうしたらどんどん覚えてしまって ついていけた のめり込んだ
麻布高校1年生のときには同級生を誘ってジャズバンドを結成 麻布高校在学中にプロとしての演奏活動を開始。
この頃、富樫雅彦、渡辺貞夫、菊地雅章らと親交をもつ
ピアノは右に行けば高くなる 左に行けば低くなる 一つ置きに弾けば和音になる
これさえ判れば本当に面白いですよ
耳から入って行った(ジャズ) プロへの思いは →高校3年の時にプロからオファーが有った クラブでピアノの代役をする ここで道が広がる
モダンジャズをやりたいがクラブではやることが出来なかった