2012年1月13日金曜日

和波孝禧(バイオリニスト)        ・夫婦で歩むバッハへの道  2

 和波孝禧(バイオリニスト)     夫婦で歩むバッハへの道 2
土屋美寧子(ピアニスト)  
聴衆の反応は敏感に感じている 
それが無ければ演奏できない  「気」の漂いを感じる
1977年に結婚(王選手の世界新記録の年  父親が亡くなった年でもある) 
その5~6年前から知り合った 生徒としてバイオリンのレッスンの人と一緒に付いてきた 
先生として生徒に変わってバイオリンを弾くが一緒にすぐに弾いてくれた 
機転が利くし頭の良い人だなと思った  
ドイツに2年留学して帰ってきて父が具合が悪かったり、勉強したかったので ソナタを誰かと一緒に勉強したいなあと思っていた時期だった それで誘ったんです 
下心が有ったのかもしれないが レパートリーも増やしたかった
 
そのうち結婚したいと思うようになった  音楽的に納得できる演奏だと思った 
音も良かった(土屋) 1回目から私(先生に)に注文を付ける 生意気な奴だとは思った
私の音楽演奏に対しては結構辛辣 な言葉で批評された 凄く耳が良かった  
NHKのラジオでバッハのシャコンヌという曲を私が放送したが 聞いてって和音が出てくる
時に和音の二つの或は三つの音のバランスはどういう風に考えているんだと云うんですが  
私はそんなことなにも考えていなかったからね
きめ細かい聞き方の出来る人なんですね 
自分の音を磨く事が出来る様になったとおもいます

音楽と日常生活の関係は →家事はやり始めるときりがないので如何に音楽の練習時間を作るかだとおもいます 
日常生活でなにを今日は優先しなくてはいけないか、優先順位を付けるのが与えられた課題だとおもいます 
今はもうベテランなのでうまくやっている よく喧嘩した 3日ぐらいは口をきいてくれなかった  盲目なので口をきいてくれない事に対してはどんな攻撃をされるよりも辛い  
係わりたくないと云う心境かな(土屋)  
似たもの夫婦 音楽に対する気持ち 音楽の品質に向かってゆく姿勢が似ていると思った  
いずれは家庭中心の人になってくれるとおもっていたが彼女はピアノを続けて行きたかったが段々一緒に弾くようになって来てピアノを続けるようになる 

ピアノはピアノ 伴走者ではない 対等なパートナーとは  経験の差があって 自分が仕切らなくちゃあとおもっていたが、段々やっているうちに 今はもう気持ちは楽、でも対立はするけれども 美寧子はソロを大事にした方がいいと先生から言われて2年に一度演奏をしている  
先生との出会い 取り立てて言うのは難しい 
音楽家というのはある程度 キャリアを積んできてしまうと 本当に一人になっちゃうんですよね 音楽的なことを話しますけれどスポーツ選手だったらトレーナーとか、監督とかコーチとかいますよねそういう人がいなくなっちゃうという でも絶対そういう人は必要で   
美寧子は常に進歩していこうという思いがある 

プレッシャーに感じるときもあるが、八ヶ岳コンサートが25周年になる 
長年教えてきた生徒たちが集まってくれて一緒に演奏会をして過ごす  
このコンサートでこれからの勉強に役立ってほしいとおもっている  
音楽が持つ力→心の中にいつも残っているものじゃないかと思う 
芸術作品全部がそうかもしれないけれど そういうものを大事にして育てていくことで社会全体の 風潮というもの 精神的に豊かな方向に変わって行って ひいては経済力も回復する元になってくれればいいなと思っています  
僕にとって音楽とは生きることそのものというのかな 
音楽をやっても、聞いてもお腹が膨らむわけではないし それで金持ちになれるわけでもないかもしれないが、生きる力だとか 気持ちを豊かにするだとか ちょっと思いつめていたことが楽になるとか色んな事が有るとおもうんですね 

悲しい人が音楽によって癒されたり、逆に嬉しい人が嬉しさが2倍にも3倍にもなってゆくと云うような そういう作用をする 
とても美しい世界を作曲家たちは描いて自分たちを表現しようとしたいたわけですよね  
だから美しいものに皆さん心を向けていただくと云う事で何かが変わっていけるようなものを期待しますよね 
そのために自分たちにはなにができるんだろう
音楽活動を通して皆さんに何かできたらなあと思います