2012年1月19日木曜日

梓みちよ(歌手)         ・こんにちは赤ちゃんから半世紀

 梓みちよ(歌手)             こんにちは赤ちゃんから半世紀  
1943年6月4日 - は、日本の女性歌手。福岡県福岡市博多区出身
デビューから50周年 1963年(昭和38年)に、こんにちは赤ちゃんが大ヒット レコード大賞 夢で逢いましょうの今月の歌で歌われた 
宝塚 音楽学校に行く 1年半して渡辺プロダクションに紹介される 
学校卒業したら来ないかと言われて すぐ行きますと宝塚を途中で止めて行く事になる
子供の頃からクラシックバレーを習っていた 母が歌が好きで巧かった 
宝塚は苦しかった 朝から晩まで勉強させられた 寮生はピアノを確保するのに大変だった
(1台しかなかった為) 基礎を学んで貰えたので良かったと思う 

永六輔が作詩 中村八大が作曲  玉のような赤ちゃんが目の前に思い起こして歌えば良いとサジェスチョンを貰って歌う レコーディングも一発でOKだった
その年の紅白歌合戦に参加 その時の取聴率が81.4% 最高の時間帯は85%だったようだ 司会は白組が宮田輝 紅組が江利チエミ
渥美清が赤ちゃんに扮してうば車に乗ってでてくる場面が印象的だった事を覚えている
田辺靖男とは同期 で一緒にプロダクションでレッスンした 
37年 「ボサノバでキッス」でデビュー こんにちは赤ちゃんは100万枚売れる(リンゴの唄以来)
天皇陛下の前で歌う事になる 会話もかわす事が出来た 
1964年(昭和39年)5月、東京・文京区の椿山荘で開かれた学習院初等科同窓会に招待され、昭和天皇の御前でこの歌を披露    現皇后陛下(美智子様)のねむの木の子守歌 を歌う  
作曲は山本まさみ(直純氏の奥さん) 編曲が山本直純 作詩皇后陛下  
TV、映画でも活躍 司会もこなす   4年間一切歌わない時期が有った 
ヒットした歌が有ったが越えられず こんにちは赤ちゃんを歌うのを止めた
この時期は辛い4年間だった 「2人でお酒を」 この歌にたどり着くのに10年掛った  
ようやくイメージチェンジが出来た

酒に酔う事は好きで みんなで賑やかにやるのが大好きだった 
再度 こんにちは赤ちゃんを歌うきっかけになったのは ロスで歌う機会が生じて歌ったら客席 皆さん涙を流して下さって ステージから吃驚するほど涙を流してくれた
それで 何て事をしてきたんだろうと云う思いが込み上げた 
私の宝物じゃないこの歌はと気が付いて それ以降きちっと歌うようになった
抱負は?→あまりない 夢は一杯あるが云わない 愛犬家  
好きな言葉は?→母に言われてきた言葉 「人間死ぬまで修行よ」
健康法?→ 良くバランス良くたべる くよくよしない