長歌一筋 江戸庶民文化を守りたいとの思い 長歌八代家元
1939年東京 浅草生まれ 三味線を小学校4年生から始め 上野高校時代には三味線に熱中した
東京芸術大学では人間国宝の山田抄太郎さんに稽古を受ける
三味線を初めて60年以上 海外を始め各地で演奏活動をしてこられた
長歌は関西から来る 京長歌 伴奏として発達したと云われる
宝暦3年 中村富十朗が下って来た時にお囃しも連れてきた
江戸 長歌の始まり
遠山金四郎も 趣味でやっていた 切られ与三郎 (吉村与三郎)
五目師匠(何でも教えてしまう )
浄瑠璃からでた流派→長歌 常磐津 清元 小歌・・・これらを皆教えてしまうのを五目師匠といわれた
「お弾き初め」 正月にやる
私は三味線をひいたのは遅い 芸事は早い方がいい 6歳くらいがいい
中学ではクラリネットをやる 東京芸術大学に入る
山田先生に4年から受ける 弾き方を教えてやる 歩く速さ(乗りがいい)
登場人物がいたら位置関係が判るように弾け・・・ 思いが伝わるように
自分で研究しなくてはいけない 絹糸でできている
シンセサイザーではでない音(他の楽器はでる) 湿度、温度等に影響されてしまう
海外での評判 →考えられないテクニックとかそういうような表現で 技術的な事が書いてある
劇場 大学の講堂等でおこなった
本当は正座してやるのが三味線を弾くのにやりやすい
学生時代は一日8時間はやっていた
色んなところに行って三味線教室をやるが興味を持ってもらえる
子供たちはいきいきとして手に持って喜ぶ
三味線は管理ができる人がいないと駄目
糸が伸びるし 切れるし 皮もやぶけますし 意外と管理が大変
若い人たちの育成が大事 廃曲、の研究をしている
廃曲になったものを教えようとしても難しいだけで皆習わない
教育というのは単位が貰えないとやらない 受験に係わらないとやらない
「梅の栄え」