2012年1月22日日曜日

大方斐紗子(女優)        ・エディット・ピアフへの想い


大方斐紗子(女優)    エディット・ピアフ/シャンソン歌手
1939年生まれ      福島県出身の日本の女優・声優である。現代制作舎所属    
エディット・ピアフは 「人が不幸と呼ぶ時に最も幸せが感じられる」と語っていたと云われる 
役者人生に付いてこの仕事の素晴らしい事は 経験した幸せも苦労も全て宝になる事です、と日ごろから語っている大方さんと多いのかもしれません  
エディット・ピアフの作品をレコードで聞いて感動してから どうしても歌いたいと云う事になった 
声の質 声の出し方等 私として考える最高の芸術のような気がする
彼女の場合 下品さと聖なるものが 非常にないまぜになっている 
それがあらゆる人を救ってくれるちっぽけな人間達に向けられる愛情の深さのように感じる

私が働いていた店のママさんがあんたみたいな人はフランスのパリで歌えばいいのよ 
そういうところで歌わなくては駄目よ と言われましたと、うちの事務所の社長に云いましたら じゃあ行きましょうと言われた (40代の頃 25年以上前) 
日々の生活にずたずたボロボロになっていて骸骨のような姿形で知らない人のように 見えたらしい 働き詰めでした 
女優として働いていたのですが それプラス アルバイト 7つ 借金を返す等 もろもろ有って 100万円/月 稼いでました  
その様な時に出合ったのがピアフの歌だった 
モンマルトルでキャバレーだったところが今は画廊になっていると でキャバレーでエディット・ピアフが歌ったことが有るという話が有り、絶対行きたい と思いこんでしまった 
   
昔から歌入り芝居が有った 歌要員として歌っていた 
ピアノは佐藤雅彦さんと組んでモンマルトルに行った
私は友人の劇作家に翻訳してもらい殆ど日本語で歌った 
聞きに来てくれた人は学者が多かった なぜなら 私の友人でフランス人で古典文学の偉い先生がいるが、その方を中心にちょうど日本文学の勉強会が物凄く盛んだった 
だから日本語とか日本人とか 日本人がなにをするか 興味が沢山あった  
反響は良く 沢山拍手してくれてブラボーの連続だった
上田ちかさん 作曲家が突然訪ねてきて その時のテープを聞いて是非プロデュースしたいとの申し入れが有った 

もうちょっとピアフに迫ってみようかと思って歌う事にした
小さい頃から私が泣くとねいやさんがおんぶして映画館が向かいだったのでしょっちゅう映画を見ていた 段々目が肥えてくる
脇役に目が向かい 脇役の事を調べる  この脇役はすごいと思う人は全て舞台出身だった 
舞台へ行こうと思った(12,3歳の頃)
高校卒業後 舞台養成所に10期生として入る 中野誠也 八木昌子 西沢利明 そういう人たちのグループでした
先輩は 山本学 仲代達也 平幹次郎 市原悦子  3年間 基礎からびっちり学ぶ  
千田 是也先生 新劇の草分けの先生

千田先生に或る時に反発したら真っ赤な顔をして「お前なんか お前なんか お前なんか 養成所逆戻りだ このバカ女」 と言われた
当時演出家に対してなにも言えない状況だった 
千田先生に向かってなんという事をと 周りから唖然とされた  不貞腐れた時期が有った
先生が癌で入院してお見舞いに行き ラーメンを半分ずつ食べそれから山のようにお芝居の話をしました 
心の中では尊敬する先生だった 
今な僕はこんな事を勉強しているんだと沢山の本を見せてくれた それを見せていただいて 「よし 私はこの方の精神だけは引き継ぐぞ 死ぬまで勉強するぞ」と思いました 
1994年に亡くなる
 
葬儀の時に先生の親戚の方が耳打ちしてくれて 先生が亡くなる1週間前ぐらいに「女優で一番好きなのが大方だ」と言ってくれた との事 号泣してしまった
多分私は 歌プラス 芝居 として歌を歌っているものと思う 
素地として 身につけてものに パントマイムも影響している ギクル・コック?先生と言いまして 日本の新劇の再教育の為に呼んでくれた先生(33歳の頃)
60歳のときも受けた 2度受ける 動きの中で7段階有る
道化が頂点 シェークスピアに出てくる道化が最高  難しかった
身体全体で捉える台詞とはそういうものかを考えさしてくれたのがパントマイムでした だからパントマイムで教わったあらゆることを全部言葉の発声に置き換えて、一人で訓練してみました 
例えばカーテンの揺れの声はどんなものか とか 全部パントマイムから取り入れた 

言葉と言うものは全身のものなんだと思った  
最後の総仕上げは表現の言葉で その前段にはパントマイムの色んな動作、仕草がある それがないと本物には成れない と言う事を感じました
俳優の魅力 →人間を描く職業だと思いますから あらゆる人間を 人間とは何かをしっかり観る事ができるしっかり生きた人間でないとちゃんと見られないんじゃないかと思います 
と言う事は舞台だけじゃなくて 日常生活の面でもきちんと生きると云う事ですかね 
それがいい加減だったりすると舞台に立てないと思います   
苦労も大事 苦労ばっかりで苦しみばっかりで人とのいさかいばっかりの人だったら生きていることに値しないと思います
だからそこに何らかの調和が必要です 
それを見だしてくれるのが美術や音楽や演劇だと思います
 ピアフは凄い 子供の頃から道で歌って稼いでいた 
 
タコあし配線が原因で火災にあって 後1分も遅ければ亡くなっていたと思われる
煙で肺が真っ黒になり意識不明 2か月入院した 声が出なくなってしまった 
どうすれば声が出るようにするためにはどうすれば必死に考えた
あくびをすることで でるようになった 声帯の幅を広げる 半オクターブ上が出せるようになった ピアフの言 「人が不幸と呼ぶ時間を最も幸せが感じられる時」 「この時こそ愛が確かめられたり幸福が確かめられたりする時である」  

大方さんの言 「他者の視点に立って物事を捉えられる人」 もっといくと「人間ではなく木の目線で見るとか 全然違うところから物事を捉えられる人」
「自分の中に沢山他者を住まわしてあげられる人」 
「自分をなくすまで他者を住まわせてあげたい」 
「演劇や音楽、なんのジャンルにも捉われない水の様に人々と交わってやっていきたい」・・・理想です
「うんと辛い思いをしている人達が自死しないで この歌を聞いて生き延びてくれたらいいなと 思います それを答えられる歌い手になりたいです」