武関翆篁(すいこう 竹工芸作家53歳) 竹の心を編む |
祖父の代から竹工芸 20代は竹工芸の本場 大分県の別府で修業 昭和61年日本伝統工芸展 に初入選 平成11年日本伝統工芸展 NHK会長賞 |
武関さんの作品は繊細で優美な美しさがあり これまでいくつもの工芸展で受賞を重ねている 平成21年には文化庁から文化交流使としてドイツに派遣され |
公演や実演を通じて日本の伝統工芸の国際交流を推進しました |
今年で105年になる 竹は最も勢いのある植物 1日で1mも伸びると時もあり縁起の良いもの 谷中の七福神 |
祖父は花籠を専門にやっている 翆心の元に修行 翠心(2代目となる) 父は翆月 荒川区の家工芸の無形重要文化財保持者 特にすす竹を用いた仕事 |
竹を生かすと云う事を常々考えているようです |
別府には色んな作家がいる 26歳の時に行き、専門学校に通ったのちに門田二篁さんに習った 門田二篁さんの 篁の文字を貰った |
床の間に花籠を置いてそこに花を飾る 日本のつり竿は高価 竹は繊維でできたもの |
フランス人が店に多く来る 花籠を多く購入している 明治時代モース(大森貝塚を発見した) が来てトンボを気にいって購入した それと同じ物を作ってほしいとの |
要望が有り 作ったが同じようにはいかず どうしてここはこの様に作っているのだろうと 職人魂が湧いて作り上げた |
3年前に文化交流使としてドイツに行きハンブルグで日本の竹工芸展をやっていた 5都市を見学する ハンブルグ美術館の初代館長が竹工芸品(日本の)を収集して |
今回初めて公開展示することになった 実は日本には無い優れたものが沢山保存されていた 早川尚古斎と云う人の作品が有った |
日本でも数点しか無いものが66点保存されていた |
早川尚古斎は福井の武士であったのが竹細工を修行して明治に竹工芸家になった人 底に自分の名前を彫った (年代も) |
ドイツの人が作った精巧なレプリカが有った ドイツは籠文化が有りまして ドイツには竹が無いので 柳で編むんですね |
早川尚古斎の作品にそっくり柳を素材にして作ってあったのには吃驚した 面取りは流石にしてなかった(日本では1mm以下でも面取りは普通にする) |
観た目には判らないが手にとって触れてみると感触が違う 編組技法 国民性 身近にある植物 の繊維で編む ドイツは物つくりのトップなので素材が違っただけ |
世界で一番小さい籠を作る人がいる 小指の先ほどの籠 身体の大きな人であった (ドイツ) |
家宝がドイツでは代々ある 実演をする 作品を渡して手にとって観察してもらったが日本に 戻って来た時には少しも歪んだり壊れていたりしていなかった |
早川家は見えない部分にも気を使って作品を作っている 妥協を許さない物つくり 早川家 5代目が人間国宝 |
新しい作品作りをした 切り込み透かし文様 やばね文様 を開発した |
竹工芸で学ばなければならない事 →基本的なことなんですけれども 竹割り10年という先人の言葉が有る |
竹を割っている間に竹の性質 特性 そういうものを身体で覚える 素材を生かすのが我々の仕事 それには竹の事を良く知らないといけない |
竹を割って最終的にはひごを作る 編める段階まで竹を自分で割っていかなくてはいけない 全て自分のて作業です |
0.1mmでも厚さが違ったりすると予定していた形にならない 竹の力を利用して作ってゆくんです いわば共同作業みたいな物 |
ひご100本を使いうと100本が同じ力でないといけません より繊細な心配り 指先の腹で厚さを見るわけですが 0.1mmの差は確実に見分けなければいけません |
細いひごでは0.2mm程度の厚さの物を使う 割りっぱなしではなく角を取って 面取りをする ざらついた感触が無いように |
編むと組むとの組み合わせの技法で作ってゆく 編むは縦と横の組み合わせ 組むは竹を並列に 何本か並べて 藤という素材で 結んでゆく 組むほうは透かしが出る |
軽やかな表現ができる 編み方はもうすでに開発し尽くされている 青海編み→波の文様をだす 3本で編む 松葉編み→ 松の葉のようにVの字になる |
網代編み→空間なく編んでゆく編み方 亀甲編み 亀の甲羅編み 等10数種類ほど編み方がある |
バリエーションは有るが 編み方は出来上がっている |
入選作は千鳥編み花籠 千鳥編みというのは細いひご2本を上下、上下に編んでゆく 平面的に編んで仕上がった物を見るとちょうど浜辺に居る千鳥が |
一斉に飛び立つかのようなそんな模様にも見えたんです 飯塚小玕斎(しょうかんさい)先生(人間国宝)から爺臭くなるなよと言われた(意味が判らなかった) |
君は大変な仕事を始めたんだよ とも言われたが意味が判らなかった 感動だ 先ず感動することが大切だと云う事 素直に成れ 五感が鋭くなるように |
感動したら如何して美しいのだと突き詰めなければならない 先生は洋画を志していて芸大に行ったが長男が戦争で亡くなり、竹細工の家の仕事を継がざるを得なくなった |
先生は正倉院の宝物調査などもなさって 聖武天皇の御物 その中にいろんな竹のものがあった 東大寺の大仏開眼供養の時に使われた「けこ」という籠 |
があるんですが花弁を巻いてなかに入れた花弁が有るがそれが竹でできている あまりにも多くの竹があるので驚いた |
双六の台の側面にはいろんな象嵌がなされていた 象嵌→素材を埋め込む技法 石の高価なものが埋め込まれていた |
先生はこれは大変な仕事、大変な芸術だと云われた |
君は大変な仕事を始めたんだよ→日本の工芸というのは用と美 両方兼ね備えている 実際使えていてなおかつ美しい これが有るのは世界でも稀にみるものである |
実際生活空間の中に絵を取りこんでいる(襖絵、茶碗、扇子、等々) 生活を潤す そういう楽しみ方なんですね |
日本の伝統工芸を担って作り続けて行くと云う事は本当に誇りを持って続けていけるんだよと 大変勇気を頂いた言葉でした それが大変な仕事という事です |
修行している僧侶のような人でした 生涯現役でした |
デザインは自然から学んでいる 自然と密着した銘を使用している 「萌芽」(NHK会長賞) |
最近は竹製品が身の周りに無くなってきている 使い捨て文化になってはいけない |
子供の頃の体験も重要 仙台で伝統工芸展を昨年10月に開催している 興味を持ってもらう 竹を先ず割ってみる 竹を折って御覧 から始まって籠を編むようになった |
真竹は減っている 建築に使われていた竹は50年、100年 と経ってあめ色になる その中でしなやかさを持っているものが使える 竹が美しい |
竹という素晴らしさ 日本人の生活においていつも身近に使われていた素材なんです それでいてアートとして世界に発信できる日本が誇る素材だと思うんです |
繊細で優美で緊張感のある曲線の持つ強さ これを表現できる素材って竹しかないんですよ これは日本の宝物だと思うんです |
そして竹の心とは日本人の心そのものだと思うんです 竹というのは非常に柔軟性が有って 辛抱強くて それでいて人間をはるかに上回ると云いますか |
強靭さ、力強さ 全て私 人と替えてしまうんですけれど お手本になるような存在なんですね 例えば竹は雪が降りますと葉の上に雪が積もって段々しなってくる |
有る瞬間はじきとばすかのようにパーンと振り払うように元の姿に戻る そういうのは非常に力強い物を感じます また優美な曲線なんですね |
素材がそれを作品に表現したいといつも思っております |