2011年12月19日月曜日

野口富士子(野口雨情の孫)      ・童謡シャボン玉に込められた心

野口富士子(野口雨情の孫)                        童謡シャボン玉に込められた心  
1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、日本の詩人、童謡・民謡作詞家 茨城県多賀郡磯原町
野口雨情の長女 みどりご がお七夜にして亡くなる       2番がこの気持ちを表している  
「シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた  シャボン玉 消えた   飛ばずに消えた  生まれてすぐに 壊れて消えた
風風吹くな シャボン玉とばそう」

はかなさ、絶望  希望   二面性を持っている  
東日本大震災で生家(明治元年)が津波により1Fが壊される  FMで津波が来る事を知る  雨情の資料を何とか残そうと思って動いた
高台に4分で逃げた 私の代でおしまいだなと思った 
東京専門学校(早稲田大学の前身) に行き 坪内逍遥から影響を受ける
22歳の時に北海道 樺太に旅をする 詩人になるために記者になり 小樽日報の時に石川啄木と出合う 

北原白秋 西条八十 野口雨情 童謡界の三大詩人   
歌謡曲 民謡 童謡 校歌 幅広く作る
一番大切なのは感謝の気持ち 月が好きだった 「雨降りお月さん」  「青い目の人形」
「赤い靴」(君ちゃんが母親と北海道へいったが過酷で、宣教師に1人君ちゃんは連れられて行った しかし君ちゃんは横浜に行き 孤児院で亡くなった)  「七つの子」  
中山晋平 が作曲 「船頭小歌」 全国に広がる  「俺は河原の枯れすすき・・・」