「機関車」写真集出版 勇壮な機関車だけでなく今では遠くなってしまった昭和の日本の風景や人々の営みが写されている
1963年~72年の写真 63年は私が高校一年の時 それまでは乗り物全般が好きだった
飛行機が特に好きだった
友人から蒸気機関車の写真を見せられて急激にのめり込んでいった
写真集からのコメント 「36年過ぎたが僕の記憶のなかではまだ機関車は走り続けている」
人との別れを考えた場合にその人を思い出すのは其の人の顔なんですね
良く云わるんですけど その人の声を覚えているのは最初の声だと、話を聞き 蒸気機関車とは別れた36年になるのですが最後に観た蒸気機関車の姿が残っているんですね
確かに機械なんですけど 蒸気が噴き出したり、煙が出てきたり、まるで生き物のような姿ですよね それが魅力ですね
復活蒸気機関車はちょっと違うとおもう
当時は役に立ってた 今は観光用になってしまっている
黙々と出てくる煙は不完全燃焼の煙 完全燃焼するとすかすかの煙になる
今は無理やり煙を出している 本来から言うと美しい姿ではない
熱効率から言うと7%程度だけれど 意味があるのかも?
旅をするのに随分と節約をした 11泊のうち10泊を汽車に乗っていたこともある
駅にもよく泊った 当時鉄道写真と云うようなジャンルはなかった
見知らぬ人と接することは凄くいい勉強になった 東北は安かったので良く回った
北海道は全然違っていた 札幌まで24時間掛った
高校3年の時に行った 荒涼としていた世界に感じた
写真を撮るのに広大な景色で撮るのに苦労した
北海道は店がなかったりして空腹な思いをした
朝からなにも食べられなくて夕方ようやっとパンを食べられた
「峠とは風と風が手のひらと手のひらを合わせるように 出合う場所 そこに登る線路の急勾配 関係者のご苦労と智慧にはいつも頭が下がる思い」
運転手との話をいろいろ聞く事が出来た 機関車の構造とかいろいろと教えてくれた
写真集は全てモノクロ カラーよりもいいように思う 色情報がないと表現が難しい
それだけに工夫をしないといけない 込められる意志がある 想像する
「剣岳」 のスチール写真を撮ったりしたりして仕事をしている
一枚で表現する(映画の一部のコマを使えばいいと言うものではない)
映画とは表現方法が違う
俳優さんたちは本編の為にやっているので撮影が終わると腑抜けになってしまう
その後に写真を撮るのは非常に難しい
俳優さんに何とかうまく対応してもらうためにかつての旅での人との出会いの体験が有効だった スチールが有ってもなくても映画には関係ないので余り理解してもらえない傾向にある
学校で勉強した事より旅で学んだ方が多かったとおもう
趣味で写真を撮ってたんですけど、大学を出て技術屋になろうとおもっていたんですが、旅をしているうちに旅の人との出会いの面白さに気が付いて、旅が続けられる仕事はないかと考えて、写真が撮れたので 写真屋になるかと カメラマンになるきっかけだった
知らないところに行って、知らない方に出合えて 旅の学校は今でも続いていると思います
これからも続けて行きたい
蒸気機関車は入り口では有ったけれども 単に旅に連れてってくれただけじゃなくて蒸気機関車から教えてもらったもの 鉄道から教えてもらったものは、随分あるとおもいます
古い車両がいいと言われるが古いからいいんじゃなくて その車両をメンテナンスする
お守りした人達の汗と努力の結晶が詰まっているからじゃないかと思う
その典型が蒸気機関車だと思います
蒸気機関車と云うのは実は一両、一両性格が違う 同じパーツを使って組み立てているんだけれども、微妙な調整の仕方とか 加工の仕方で性格が違うと言うと機関士の人が云っていますけれども 人間が注いだ努力 技術によって温もりがその機械から、感じられるとおもう
それが鉄道趣味の中心に有るとおもいます
私達が忘れてしまったような 物を大切に使って そこから出てくる温もりみたいなもの が原点と云うか塊があるような気がする
効率化、乗り心地が良くなる でも・・・旅って何だろうとおもう
見知らぬ同士の連帯感があった
効率が悪いと駄目だという風潮がある
そこが本当にそうなのかなあという気がする
小さな駅にも駅弁売りがあった こんなに効率が悪いことは今はできない
人件費は高いし、いくら売れるか判らないような所に人を配置することは出来ない
当時は小さな商売でも成り立っていてつつましやかに生活していた人達が沢山いた
そういう人達が沢山集まって お互いに支え合って生活していた
そういう生活が効率化と云う名のもとに全部掃き捨てられちゃった
蒸気機関車もその象徴だったとおもいます
使い捨て文化に対する疑問を痛切に感ずる 経済よりも心豊かに生きる