昭和40年生まれ
坂の上の雲 秋山真之役
旅順総攻撃 203高地 日本海海戦 北海道の函館の山で壕を掘り撮影 10m近い大砲セット 極寒のシーンを極暑の中でやったり大変だった 特に陸軍の人達
「三笠」 石川県で原寸大を作る 艦橋 海軍参謀達がここで撮影
参謀なので見守っている立場なので動きがなく難しかった
狭い環境の中で演技をしなくてはいけなかった ある意味で想像しながら演じた
5/27 日本海海戦始まる たまたま5/27に撮影を行った 秋山真之役を演じる
感情を見せない東郷さんと 微妙に心が揺れる真之を演じる難しさが有った
あの時代の(明治時代)の日本人は公私のバランスが凄く取れている
魅力的な人物が多い 心が健全の人がいた
10代の頃から自分の生き方を覚悟して決めていたように思う
秋山役をして考えたこと→人の上に立つ人間の有り方を考えた 3年の間、一人の役に没頭できたと言う経験が財産だった
スローペースには自分では合っていた 生活そのものに余白、余裕がができた
生活の一部に坂の上の雲 軍人の役が有った
実際の真之さん、司馬さんの感じる真之さんと私の感じる真之さんで微妙に違いでいて それがいろいろ重なったりした
各専門職の人が沢山入って撮影している 軍服等オーダーメイドで作っている
軍服の紐も絹の糸を使って手網で編んでいる
一瞬の背景でも細やかに作っている 小屋の上に有る草も 小屋を建てて草を生やす
15歳で「金八先生」に出演 苦労してやるようなイメージだったがポッとTVに出られた
たのきんトリオのッバックで踊っていたこともある
忙しくて学校にいけなかった 周りは大人だらけ ここが学校になった
ちょっと待てよこれで本当にいいのかな と立ち止まって考えた(内省的な考え)
いまでも取り戻せない時間として、コンプレックスはあります
ある意味きちんと社会に出ていない 学校に行かなかったこともそうだし アルバイト一つでもいいから、社会の中で一瞬働いて何か評価されると言うか ある会社組織に入って淡々とするのか何かに怒るのか 自分の事を知らない
常にある種一つの世界に守られてる、囲まれてる自分という事の 弱さというか 良く分からないんですが (もちろん大人の世界で鍛えられてはいるんだが)
本当の意味での社会の修羅場をくぐっていないという自分がいる
そういうコンプレクスはいまだに有りますね
グループの活動は7年ぐらい 想いは若干違っていたとおもう
リーダーの薬丸さんはチームを長く(ダークダックスのような)したかったようだ
布川さんは非常に気のいいタイプなので一つの青春の一ページとして今日が楽しければみんな幸せなんじゃないかという 止めるんなら止めるよ続けるなら続ける
私はどこかでうっすら本当はもうちょっとお芝居がしたかったのではないか とか まったく別の世界というか そういった憧れも切り捨てられなかった
ある段階で辞めようかと思っていた
カッコよく言えば不満足主義みたいな ものたりない が次への糧になる 新しい出会いがある またどこかで逃げ出したい気持ちもあり
初主演映画「ファンシーダンス」を演ずる