2011年12月21日水曜日

清家ゆうほ(昭和の記憶理事長)    ・高齢者の記憶を後世に

 清家ゆうほ(社団法人昭和の記憶理事長)              高齢者の記憶を後世に  
関東大震災 戦争の体験 を祖母は体験している 祖母の家に行くと癒される 
祖父 との結婚は規定事項だあった (30歳にて亡くなる)  歯科医で激務で脳溢血  
逞しく庶民が生きて行く姿を感じる
受験、競争社会での癒されるのが祖母からの話等であった  メモを取っていた
鉄道マニアであり旅に良くでていた ボックス席での会話もメモするようになる 
担ぎ屋のお婆さんに出会う 平成になっても地方ではまだいた
担ぎ屋さんの話を聞いたが 方言の為にまったく通じなかった 
レコーダーを持って旅するようになった

方言の面白さを活字にしたらいいのではないかと思った(写真の紹介もする)
15年前から活字にするようになる(写真もデジカメが広がり写真も残したいとおもうようになる) 戦争の話はどう受け止めてよいか判らないところがある 
戦争の悲惨さ 前提にあっても 憲兵に隠れながらダンスをしたとか、の話を聞くと逞しく生きていたことが浮かぶ   
庶民のどんな状況に置かれ様が生きてゆく為の喜びを見出そうとする 
智慧と勇気というか そういったものを見聞きすると 私はほっとする
男性よりも女性の方が逞しかったように感じる 
男性の戦争体験等聞くと教科書で語られているのがすべてではないなあと思うようになった 
人間の営みとして戦争を見た時に歴史で語られた戦争とはまた違う絵が見えてきたように感じる 私の中では戦争とは何かという言に関してはまだ解らない
いまから5年ほど前になるのですが、北方領土とは一体何なのかという事が気になって 北方領土の元島民の人達の平均年齢は70歳代の後半になる
根室市でインタビューをした 大変衝撃的な話を聞いた 
戦争の時に処刑が決まって(捕虜になってシベリアに抑留されて洗濯物をいてつく川で洗っていた 怠けていると云う事で処刑台に立たされる) カウントダウンをされていって 遺言があるかないかと云われ無いと云う事で あるが 最終的には九死に一生を得るが銃殺されるため銃を向けられた状態で目隠しされる 

ロシア語で1,2,3・・・と数えたんでしょうね あるところで気を失って 気付いたら病院らしき一室に寝かせられていたと 足はざっくり切られていて 大変な傷 どうやら銃殺刑は寸前で変更になり 銃剣での刺殺に変更になったらしい  
処が執行する兵士が躓いて転んだらしい それで足をざっくりやられる 
一回でやらなければならないというルールがあるらしく とどめは刺されずに済む
その方はその後各収容所を転々とする  
最後は殆ど瀕死になった人 死んでしまった人を含めて たらい船のような船にごろごろ転がされて海に流された 
たまたま佐世保の米軍の沿岸警備艇が発見して その船には3人しか生きてなかった  
救われて九死に一生を得た
 
そういう話を聞くとこれは私が残さないといけないなあと活字にして広く配布したりした
実はその中でも活字にしていないのがあるんです 
ここでもお話しできないんですけれども そういうようなものもあるんです
かなりの悲惨さですね それは私の心にしまいながら 身近な人に口頭だけで語れるような世界でとどめなければならないなと 捉えているのですが、初めて話したと云う事ではあるのですが、矢張り語っておきたいと云う気持ちは有ったようです  
ただ戦争の話というとデリケートな世界でありますので、聞く側も語る側もいくらか遠慮してしまうものがあろうかと思う  踏み込みにくいところはある
 
自分体験というものを残しておきたい という気持ちは間違いなく持っていると私は確信しているからそのあたりはストレートにお聞かせ願いたいと云ってお願いする
お年寄りは皆さん自分の話なんかするもんじゃないという慎み深いところはおありなんですが一歩踏みこんで見ると云う処をお勧めしたと思う
お話になる方も語ってもいいんだ お年寄りの語りが自分にとって癒しでありあすへの活力を産み そして自分の気持ちを楽にする という効果のある言葉で、あるんだという 処を認識して頂いて御自身の長い人生を語る一歩にしていただきたいなと思う  
日常の暮らしの体験等もいいのではないかと思う 
 
例えば 90歳のお婆さん 昔は着物だった いわゆるパンツは履かなかった パンツが世の中に普及した頃、パンツを履く練習をしたよとか 白木屋の火事の時に皆さんパンツを履いてなかったので 逃げ遅れたとかありましたよね(防災の一環となった)   
自分と同じ若い時代が有った との理解があるだけでも参考になる
時代は変わるが少女(少年)時代の心のあり様とかはいつもあまり変わらない
孫の世代は祖父母の話を聞くだけで人生の栄養分にどれだけなるのか判らない と思う
世代間の違いでの話が気軽に出るようにするには、さりげない場が必要 写真(アルバム等)を用意すると話の小道具として有効

激動の時代に一つの人生というのを送ってゆくと云う人達の知恵というか しぶとさとか 人間関係 家族の関係の結び方とか そういったものが本当に、学びに充ちていると思う 
昭和という時代の歴史的なアプローチをすると云うのではなくて 昭和という時代に生きた人間という或は人生というものに光を当てることによって 複雑な時代というものを 解りやすく捉える事が出来るんじゃないかと思う  
戦前戦後はラジオの世代  その後TVが出てきた 
今の時代の子供たちは携帯、パソコン、・・・  世代間の差は凄いと思うのですが→TV先を競って買った 皆集まって来た 
新しい文明の機器に触れることは いつの時代も同じ  
そこで受けた感動、衝撃 心が受けた衝撃は変わらないと思う
 
快い衝撃は結婚 顔を見ないで結婚したとか 愉快なこと ・・・肩の力を抜いてくれる
今までの50年~60年はばらばらの時代であったように思うがこれからはもう元にもどってゆくというか 絆を確認しあい 取り戻してゆく時代に入ってゆくと思う
そのうえで聞き取り、聞き書き という活動というものが 一つのきっかけを作るのではないかと思ってます