2011年12月13日火曜日
ドナルド・キーン(日本文学研究者) ・日本と出会った私
ドナルド・キーン(日本文学研究者) 日本と出会った私
25年の歳月をかけてに日本文学の歴史を全18巻を完成させる
古典文学から現代文学までの作品まで幅広く翻訳 日本文学を世界に紹介してきた
2008年には世界で初めて外国人として文化勲章を受章
古川庭園が住まいの目の前に有る 「戦場のエロイカシンフォニー」 キーン氏の戦争体験を語る
エロイカシンフォニー 英雄(ベートーベン)
捕虜にいろいろ質問するうちに私的な事で話をしてそちらには興味を抱いた
音楽の話でエロイカシンフォニーがいいと捕虜の人が言う
捕虜とキーンさんとは親しい関係になった (敵だと言う気持ちは全然なかった)
11か月で日本の読み書きが出来るようになった 草書もこなせるようになる
日本人の日記を読む 軍の為とかは書いてない 自分のこととか家族の事が書いてあった
日記を遺族にかえそうと思ったが軍部に没収されてしまった
日記に深い関心が有った 日本人の心情が書かれてあった
南洋の島の戦場に日本人が行きアメリカ軍の攻撃で敗れ食べ物、飲み物に四苦八苦するに至り
、日本を出発する前とでは日記の内容ががらりと変わる
これからどうなるかという不安が有 兵隊であることを忘れさせて単なる人間でした
日本の軍人が残した日記や手紙を通して初めてキーンさんは日本人の一般の人の気持ちをそこから
読み取る事が出来た
私は日本語学校に入学する前に一人だけ日本人を良く知っていました
コロンビア大学の角田柳作先生 大変尊敬していました
当時は日本の歴史は偏った教育だった 今は違うが
ニューヨークで源氏物語を購入 1940年 生涯で一番暗い年だった
ドイツ軍が突然 デンマーク、ノルウェー ベルギー オランダ、フランスを占領して 英国の空爆が始まる
次はアメリカだろうと思った 目的なしに本屋に入った
源氏物語がそこに有ったが、その本があることを理解していなかった
(安くてページ数が多かった)
新聞では毎日暗いニュースが報道されていた その本には違う世界が描かれていた
夢中になって読むようになった
其の時から日本という国 日本語が知りたくなった 日本に対する大きな契機になった
角田先生は明治時代の方でした 東京専門学校卒業(早稲田大学の前身)坪内逍遥の講義を
聞いていた 日本文学ほぼ読む 漢文 漢詩もこなす
アメリカに渡り日本文学を教えた 1941年の秋に角田先生の授業を受ける
学生は私一人だけだった 私は殆ど日本の事を知らない
私だけに講義をするのは勿体ないと思ったが 一人でも十分だと言ってくれた
数週間私一人だったが2人の日系人が入って来た
3人の為に徹底的に準備して授業に入る時に既に黒板に読めないような漢文が書いてある
戦争のときは4年間海軍に行っていた 戦後コロンビア大学に帰って来た 46年1月には再入学
日本思想史だけでなく日本文学も教えてくれた
一番関心が有ったのは日本文学でした
戦争で4年間勉強ができなかったのでその分知識欲は旺盛でした
一番忘れがたいのは元禄時代の文学でした 井原西鶴は全部読みました (原文で)
奥の細道 近松 極めて楽しかった
イギリスに行きケンブリッジ大学で日本語を教えた 終戦直後に日本に10日間行った
占領時代が終わってからフォード財団から奨学金を貰って日本にいけるようになりました 1953年
京都大学の大学院に入学することになる 人は親切だった
下宿は 古い民家 飛騨高山から移設した建物 永井道雄(アメリカ帰りの人)
京都大学の助教授が同宿 すぐに友人となる
永井は後に学者として文部大臣になる(三木内閣)
終生の友人となる 非常に影響を受けた 古典文学をやる
生きている現代の日本をもっと知るべきだと永井さんから言われる
京都という町は非常に好き 本が安かった 文楽 等 芝居を見た 下駄をはいて歩いた
永井さんから中央公論社の社長嶋中 鵬二さんを紹介され 島中さんから色んな作家、文学者と
知り合いになる
木下順二さんを紹介される 「夕鶴」が当時有名だった