2011年12月22日木曜日

小松正之(大学教授)       ・鯨と共生する日本人と文化

小松正之(政策研究大学院大学教授)    鯨と共生する日本人と文化
鯨 商業捕鯨の一時停止(モラトリアム) 1982年に採択 1987年に日本では実施
捕鯨 江戸時代からある  
1947年からマッカーサーが食糧不足の解消の為に南氷洋に出ていいですよという事で出た
国際捕鯨委員会が漁獲の枠組みを定めてなかった  
1万6000頭(白長洲鯨換算) と決めてはあるが 早い者勝ちなので乱獲になってしまっていた
新しい資源管理方式を導入して行くんですが、それもあまり効果がなかった

 ミンク鯨を含め資源管理方式が決まるが其の時には環境保護のうねりが
強くて科学は脇に置いておかれて捕鯨は止めなさいと いう動きがあって日本は細々と調査捕鯨を
やって科学的に情報収集をやっている
捕鯨としての副産物は頭数はそんなに多くない 昭和30年代40年代の鯨を沢山食べた時代の人
は少なくなって若い人は鯨も他の肉も全然変わらない
値段が高いし、馴染みも無いので少しずつ鯨の消費は減退してゆき 忘れされつつあるのが
現状じゃないでしょうか
モラトリアムは本当は一時的な停止であって 科学的な根拠があれば 1990年までには見直して商業
捕鯨をする事が決まっていた

実際はミンク鯨は76万頭位いっぱいいる 多数決を取ると鯨が可愛いとかなにが起こるか判らないと 
捕鯨を再開しても乱獲になるかもしれないとかで
ズルズル延びて1990年から21年になる     商業捕鯨はまったく見通しが立っていない
調査捕鯨 年齢構成を調べてみればどの程度とっていいかが判る 
商業捕鯨につなげるようにとやった 1995年に見直した
日本の調査は欠陥だらけだと欧米から指摘された 0~4歳までの子供がどこにいるか判らない 
捕捉出来ていない 年齢別の全体像が曖昧との指摘
人の批判は宝の山だと思い 調査領域をもっと広げようと300頭を400頭に広げ調査海域を増やした
太平洋の系統は一つの系統 日本海は別系統であることが判る 
 
本会議に行くと科学での判定ではなく政治の世界になってしまう
縄文時代の前期に捕鯨をやっていた 三内丸山遺跡とか房総の稲原遺跡 横浜の称名寺遺跡
から鯨の骨、イルカの骨が見つかっている
能登半島に「まわき」からイルカ骨が285体発見されている 
座礁したあるいは浅瀬に見えた鯨、イルカを捕獲していたようだが 「まわき」だけは積極的に捕獲
していた様だ
後期になると大きな鯨の脊椎骨が福岡から有明海沿岸部 70数個見つかっている 
受身の鯨捕りではなく船で行ってとっていたのではないかと推測される
弥生時代 壱岐に古墳があり 船に人が乗って銛で鯨を取る絵がある  
平安、室町時代は朝廷に献上した記録がある 

捕鯨は戦国時代 武士の鍛錬になされた様だ もやい組漁業者の連帯みたいなものが出来て
協定を結んだり 三重県熊辺りでは知多半島辺り捕鯨の発祥地であるといわれている
突きとり式で射止める 有る程度グループを組んでやったのではないか  
突き取り式だと死んでしまった鯨が浮く鯨と沈んでしまう鯨があり 浮く鯨はセミクジラと
マッコウクジラ いつまでもこの鯨だけを取っている訳にもいかないので
長洲鯨 ミンク鯨 イワシ鯨 ニタリ鯨 は沈んでしまうので沈まないように支える必要がある 
行く手をさえぎるために網を使う事を発明する  網とり式になる(元禄終頃)
捕獲する対象の鯨が増える 
鯨組→ 刃刺しの集団 と網を巻く集団 鯨を船に上げて曳航する集団 で構成されている 
分業化されている  命懸けで有った
お互いに協力し合い 助け合って 取れた鯨を分け合っていたものと思われる  
利益を共有する

文化・文政時代に庶民に鯨の肉が行きわたる様になる  鯨の部位を60数か所 の記述があり 
食べ方が記載されている
鯨汁 皮を入れ込んで食べる 一頭丸ごと食べてしまうのは日本のみ ドイツ、フランス等は
ソーセージにする
後半の3年は(14年間) 科学等の 筋論では相手は納得しないので食文化の違いを含め説得
するようになって ニュージーランド等が納得してくれる
あらゆる人との話し合い 自分が何か仕事をする際に知識としてどれだけのものを包含して
なくちゃならないのか 一つのものを進めるのに如何に大局的な
知識と経験 能力が必要なのか という事を教えてもらった貴重な対象だったと思う
一つの側面だけでは解らない 技術 話力 英語力 交渉力必要  
自分がどういう風に生きるかという事が結果的に考えさせる 
いまだに考えさせるきっかけになった

鯨をめぐる交渉→今の状況を見てると心配 短期的な対応 中、長期的な視点 長い座標軸で
見ると 天然 有限資源 は自然のサイクルの中で完結しているので
地球の恵みの中で我々に与えられているものがあるので そのサイクルの中で利用してゆくという
ことが非常に大事になって来るんじゃないかと思う
農産物の場合は水をやって地下水(非持続的な) 肥料も石油から作ったりしている 
土地も土壌劣化(アメリカ)を起こしたり もしかすると工業的な農業が
後100年持たないかも知れない 全て鉱物資源から含めて今日、明日の経済を考えるとどうしても
そっちの方に目が向いてしまいがちですけれども
どっかできちっとした本当に人間の人間も生態系の一部ですから持続性の中でそれと調和が
取れた形で利用してゆくものの必要性というのはますます
理解が寄せられるだろうと思いますし 重要性が認識されると思う  

だから石油から着る物を作るのではなくて 持続的に回転する様な着る物も出来るだろうし
食べ物も 今云った様なものですね プランクトンから魚が食べて排出物も水を通して回転すると 
それを又餌としてプランクトンが食べてまた回転すると云う事ですね
環境団体の方は今 鯨をころすことの方が環境破壊だと云っていますが 冷静に科学的に常識的
に割り切れば 時代が変わってくれば情報が蓄積していったわけですから
20年間前に私がしゃべった事はあんまり理解はされなかったと思うんですが 今だと随分多くの
方が私の云った事が理解いただけるのではないかと思うんですが
こういう付き合いを人間が魚だとか他の野生動植物を通して大事にしていかないといけないと
云う時がもう本当は来ているのだけれど さらに来るでしょう
であるとすれば そのラインで物事を云ってゆく という事だと思うんです