2011年12月20日火曜日

野口富士子(野口雨情の孫)      ・童謡シャボン玉に込められた心 2

野口富士子(野口雨情の孫68歳)           童謡シャボン玉に込められた心  
野口雨情生家の復興へ 
1階は津波の為に破壊される 土台がやられて そこからの復興になる  
童謡は心の底にしみ込んでいる 
野口富士子は生涯教育にセンター長をしている 童心を伝えたい  
雨情は幼児教育(童心教育)に熱心だった
バブル時代は雨情の歌は受けが悪かった
 
童謡を作る時に 小林一茶の生き方 良寛 が大好きでそこから学んだ
良寛の話 たけのこ が生えていた 
縁側をはいでやり 天井に竹が届くと天井を空けてやった(雨情が好きな話)→子供の教育は伸びる方に伸ばしてやる事が大事
大人が幹をまっすぐ伸ばしてやる 
枝葉はちょっとおかしなことは大人が、学校の先生が切り取ってゆくのが大事なんじゃないか
赤子は大人の如し 赤子というのは赤ん坊の意味ではなく 本当に心の純真な持ち主 の意味また大人と行ったのは単に大人の意味ではなく、人々の手本となる尊い心を、我々は持つしかない (雨情の言)  
人と人とを世代を超えてつなげてゆくことがセンターとしての役目かなと思っている
歌は 歌うと泣く 歌の力はすごいなあと思う 言霊 
雨情の歌は優しい言葉でしかし深い意味を、悲しみ 喜び 哀愁 人生の根っこにあるものをえぐったようなのが多い 

雨情に詩の紹介  丁爺(使用人)
「俺は少年の頃 こく村のひさしに上がって 雀の巣を壊したのを覚えている 
巣を壊された親雀は 日がくれてしまっても ひさしの上に停まっていたことも覚えている
俺は田を売ってしまった     同じ年に俺が売ってしまった 
こく村の後には 青いヨモギが生えている 俺は庭に出て見るたびに、熱い涙が胸に込み上げてきた
俺は門の屋根の赤金を剥がして売ろうと考えた 
俺は靴を履いて 古金屋のある町の方に出掛けて行った  途中で丁爺にあった
俺は仕方なくて 赤金の話をした 
おめい様の親御に恩を返せないから せめておめい様の御家でも繁盛させたいと 鎮守様にもお願をたてているでがす
丁爺は悲しい顔をして 俺の顔を見ていた    俺も本当に悲しくなった 
俺は古金屋へ行かずに帰って来た     俺は庭木を売ろうと思って 植木屋を呼んできた
丁爺がきた 丁爺の目には一杯涙が浮かんでいた 
俺はたまらなくなって家の中に駆けこんで一人で泣いた 西風が峰の上を毎日吹いた
丁爺は俺の家の庭に来て いつも悲しい顔をして 立って眺めていた 
俺は丁爺に古くから 俺の家に有った 紫檀の蓋の湯のみをやった
おめえ様のかたみでねえかな 丁爺も俺も一緒に泣いた 
百姓が嬉しそうに馬をひいて歩いている 俺に楽しみの無い 収穫の秋がとうとう来た
俺はまだ薄暗いうちに ずっくとカバンを抱えて汽車に乗った 
腰のかがんだてい爺は改札口に伸びあがり伸びあがり おめえ様御無事で暮らして下せえ   といって 泣いていた」・・・雨情の古里に対する思い
 
私は生涯学習を通して色んな人につないでいきたいなあと思います 
私達は優しさを持って生きなければいけない 
祈りを持って生きなければいけない 
感謝を持って生きなければいけない 
自分一人だけで生きているんではない
私達は生かされているんだよ 人類はおごり高ぶってはいけない  
自然に対して敬虔にならなければならない
雨情は童謡を通して教えている