2024年8月26日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 山田太一

 頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 山田太一

代表作に「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などがあります。

「仕事をはみ出さない人間は俺は嫌いだ。 靴屋にカバンを直してくれと頼みに来たら、お前なら断るか。 直してやるのが人間というものだ。 困っている人間を目の前にして、俺は靴屋だからカバンは直さんといっているのがお前たちだ。 仕事からはみ出せない人間に生き生きした仕事などできん。 はみ出せ。 範囲などはみだせ。 それが人間の仕事ってもんだ。 はみ出さない奴は俺は大嫌いだ。」  

 山田太一はテレビドラマのシナリオライター、小説家、劇作家として沢山の作品を残しています。 テレビドラマの代表作に「男たちの旅路」「岸辺のアルバム」「想い出づくり」「ふぞろいの林檎たち」「早春スケッチブック」など、小説の代表作に「飛ぶ夢をしばらく見ない」「異人たちとの夏」などがあります。 

私(頭木)は6年間山田太一を取材しました。 226回になります。 冒頭の言葉は「男たちの旅路」という1970年代から1980年代にかけてNHKで放送されたテレビドラマの第二部第一話の「廃車置き場」の回のなかのセリフです。 警備会社が舞台で、女性の悲鳴らしき声が聞こえたのに、警備の範囲の外だったから駆けつけなかった。 それで怒るんです。 私(頭木)は病院で物凄く痛い検査で手を握ってくれた看護師さんがいて、凄く助かりました。 その看護師さんは自分の仕事をはみ出して、当たってくれたわけです。 自分の医師の範囲以外、身体全体のことまで気にしてくれる医師もいます。

「ひとに迷惑をかけるなというルールを私は疑う事が無かった。 多くの親は子供に最低の望みとして、ひとにだけは迷惑をかけるなと言う。 飲んだくれの怠けものが、俺はろくでもないことを一杯してきたが、人様にだけは迷惑をかけなかったと自慢そうに言うのを聞いたこともある。  ひとに迷惑をかけないというのは、今の社会で一番疑われていないルールかもしれない。  しかしそれが君たちを縛っている。 一歩外へ出れば、電車に乗るのも、少ない石段上がるのも誰かの世話にならなければならない。  迷惑をかけまいとすれば、外へ出る事は出来なくなる。 だったら迷惑をかけてもいいんじゃないか。 かけなければいけないんじゃないか。 君たちは普通の人が守っているルールは自分たちも守ると言うかもしれない。 しかし、私はそうじゃないと思う。 君たちが街へ出て電車に乗ったり、階段を上がったり、映画館へ入ったり、そんなことを自由にできないルールは、おかしいんだ。 いちいち後ろめたい気持ちになったりするのは、おかしい。 私はむしろ堂々と胸を張って迷惑をかける決心をすべきだと思った。」 「男たちの旅路」の第4部第3話の「車輪の一歩」の中からの言葉。 車椅子の青年に向かって吉岡が言う言葉。 

自己責任とか人に迷惑をかけるなという事が今一層激しくなってきている。 人は基本的に一人では生きられない。 

「君たちは独立自尊をよく口にする。 しかし人ははたして自分一人でよく独立を保てるだろうか。 沼に沈まんとする人間が自分の髪を引っ張って、沈むことを止めうるであろうか。 西田さんは良き自立は良き相互依存に寄らなければならないことを教えてくれました。」  「日本の面影」(ラフカディオ・ハーンを主人公にしたドラマ)の中のセリフ。

何かあった時にひとに頼れる、だから安心なんです。 お互いに迷惑をかけるのは当たり前というのが広まってくれるといいなあと思います。 

「若い者はおとぎ話を本気にします。 国のために戦って勇ましく死ぬのも悪くないと思うでしょう。 国の為に死を決意する。 国の為に命を捨てる。 本当にそうだったんすか。 一部の思いあがった指導者の為に苦し紛れに考え出した無茶苦茶な攻撃方法の為に、どれだけの若者が死んだか、日本人が死んでいったか、いや殺されたと言ってもいい。 本人はともかく、残された家族は一体どうなるんですか。 それがそれが貴方の言っている勇ましい事ですか、勇気という事ですか、私はそうは思わない。 あんな思いは2度と繰り返しちゃいかん。 今現在、戦争なんて言うもんは絶対やっちゃいかんと大声で叫ぶのは、いや叫べるのは現実に機関銃を撃って戦って来た我々じゃないんですか。  戦争を経験したものが、歳をとってきてその思い出を美しゅう語ろうとしている。 そんなことでなく、風向きが戦争に向き始めた時、私たちは何の歯止めにはならない。」  「男たちの旅路」の「戦場は遥かになりて」という最後に放送されたスペシャル版からの言葉。(吉岡のセリフ)

戦争についてノスタルジックにヒロイックに息子に聞かせる父親がいるんですね。     「今の若い奴はわびしい。 自分の安全ばかりを考えている。 昔の俺たちはそうじゃなかった。 俺たちは国のために命を張った。 死ぬことをただ避けようとは思わなかった。 眠くなるとお互いを殴って頑張った。 自分のことなど少しも考えてなかった。 国のことだけを考えていた。」  そう話す父親に対して吉岡は「本当はそうじゃなかった。」というんですね。

吉岡を演じている鶴田浩二は学徒出陣で実際に誠一に言った経験があるんですね。 山田太一は終戦の時に小学校5年生で、戦時中戦後を体験した。 

「戦争がどういうものか、それは空襲の中を走ったり、肉親の死を見たり、生と死の堺を吉抜けたり、竹やりで戦う決心をしたり、恋人と引き裂かれるような別れ方をしたりすることであるより、なにより、食べ物や物の極端に不足した日常に耐えることであり、隣人達の醜さを見る事であり、体制に従順な圧倒的な多数の者たちの異端な人間に対する容赦のなさを知る事であり、力を持った者の居丈高、国家の有無を言わせぬ強権など、思い知る事である。」  小説「終わりに見た街」の中の一節。

監督伊丹万作(伊丹十三の父)も同じようなことを書いています。

「少なくとも戦争の期間を通じて、誰が一番直接に、連続的に我々を圧迫し続けたか、苦しみ続けたか、という事を考える時、誰の記憶にもすぐ蘇ってくるのは、すぐ近所の小商んどの顔であり、隣組長や、町内会長の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配球機関などの小役人や雇員や労働者である、あるいは学校の先生であり、と言ったように我々が日常的な生活を営む上において、いやでも接触しなければいけない、あらゆる身近な人々であった。」  

山田太一は自分自身でテレビドラマ化して、2005年にリメークしている。(山田太一は基本的にリメークはしないが。)  

「男の人はほんのすこし私たちの身になってみればいいと思う。 25,6歳になっても結婚しないでまるでどこかに欠陥があるかのように言われ、ちょっと結婚に夢を描くと高望みだと言われ、男より一段低い人種みたいに思われ、男の人生に合わせればいい女で、自分が主張すると鼻持ちならないと言われ、大学で成績のいい人も就職口が少なく、あっても長くいると嫌われ出世の道は凄く狭くて、女は結婚すればいいんだからのん気だと言われ、結婚以外の道はほとんど閉ざされて、その上いい男が少ないと来ては、暴動が起きないのが不思議な躯体ではないでしょうか。 少しぐらいはひとの身になって貰いたいわと私たちは思うのです。」    テレビドラマ「想いでづくり」の中の言葉。

女性側の気持ちも描いている。 今ではだいぶましにはなっているが、根本的な問題は解決されていない。 

「貴方が夢中になっているのを、どっかで喜んでないの。 心から応援していないの。 いいなあ、好きなことに夢中になっていて。 私は営業をやって、店番して、税金やって、おばあちゃんの世話をして、PTAに出て、全部そんなこと好きな事じゃないもの。」   テレビドラマ「懐かしい春が来た」  夫が成功したことで妻をねぎらうが、妻から返ってきた言葉。

「高原にいらっしゃい」というドラマで、一流のホテルマンが理不尽に職を追われて、酒におぼれて妻に暴力をふるうよぅになる。 妻は家を出る。 男は酒を断って高原のペンションを成功させようと奮起する。 部下がそのことを伝えに行く。   以下に妻の言葉。          「喜んで私が戻らなくちゃいけないの。  あの人は立ち直れば私が又一緒に暮らすと思い込んでいるのね。 あの人はこれでもかというように、私の気持ちを踏みにじったのよ。   私だって生きているのよ。 新しい人生を歩き始めているのよ。」

思い込みと実際は違うんだという事を山田太一は突きつけて来る。

「ありきたりなことを言うな。 お前たちは骨の髄までありきたりだ。 一体お前らの暮らしは何だ。 どうせ大した未来はないか。 馬鹿いっちゃあいけねえ。 そんなふうに見切りをつけちゃあいけねえ。 自分に見切りをつけるな。  人間ていうものはなあ、もっと素晴らしいものだ。 人間は給料の高を気にしたり、電車が空いていて喜んだりする存在じゃあねえ。 その気になりゃあ、いくらでも深く激しく広く優しく世界を揺り動かす力だって持ってるんだ。」   テレビドラマ「早春スケッチブック」のなかのセリフ。

視聴者に向かっていっている言葉でもある。 

「いつかは自分自身をもはや軽蔑することの出来ないような、最も軽蔑すべき人間の時代が来るだろう。」  ニーチェの言葉   ドラマの発想の元になった言葉。

今のままの自分でいいのだろうか、今のままの生き方でいいのだろうか、と問い直しをしてみることが必要だと思います。 

「なんていう暮らしをしているんだ、と罵声を浴びせる人物が登場するドラマが、皆無と言っていいでしょう。 観る人の神経を逆撫でするようなそんな人物を引っ張り出しても、良い事は何一つありません。 こうやって書いている私だって、そんな人物は不愉快です。」

それでも山田太一は書くべきだと思っている。

「しかし私は私自身に向ける罵声として、そういうものの必要性を感じておりました。 いくつもの家族のドラマを書いてきたライターのやるべきことの一つのような気持ちもありました。」 

視聴率は低かったが、番組を見た人の好感度では、この「早春スケッチブック」のドラマは平均で72,3%も取っている。 心を揺さぶられた。

人生にはマイナスな出来事はない方がいいと思われますが、でも山田太一はそうは思わないんです。 マイナスも又大切だと言っています。 インタビューの中で語っている言葉。

「今の社会はマイナスをなくそうなくそうとし過ぎるのではないか。 人生はプラスマイナス両面から成り立っている。 人間はマイナスによっても育まれるという事に、皆がもっと気付けば生きやすくなる。 マイナスなことが起きるといち早く忘れようとか、乗り越えようとか、思い過ぎている気がする。 暗部と向き合い事もなく適当に自分を偽って生きてしまう。 マイナスの経験をした人は有利です。 していない人は人の気持ちが判らなくなっている。 判っていない事すら気付かずに生きてしまう。」