阿部芳郎(明治大学文学部教授) ・今“縄文考古学”は進化する
阿部さんは千葉県出身。 1959年生まれの64歳。 日本各地の縄文遺跡の発掘で知られる縄文時代を専門とする考古学者です。 現在の縄文考古学というものは人類学や動物学、植物学などの様々な分野の研究方法を取り入れて、総合的な研究が行われ、急速に進化していると言われています。 そうした進化をもたらしているのが、それぞれが専門分野を持つ考古学者たちによる共同研究で、阿部さんがそのリーダー格です。 縄文時代とは何か、共同研究で縄文考古学がどのように進化したのか、などを伺います。
6歳の時に畑で土器を拾ったのがっきっかけです。 兄に連れられて行って、それが強烈な印象で残っています。 小学校で本から歴史を学びますが、僕の場合には資料として手に取ったのがきっかけでインパクトがありました。 中学生ぐらいからよく博物館に行っていました。 その影響で考古学への進学を決めました。 遺跡の発掘のアルバイトをしていました。 いろんな大学の考古学の学生が来ていました。 土器、貝殻、骨などあらゆるものがでてきます。 それを一つ一つ調べて歴史を考えてゆくことが臨場感があって興味が湧きました。 就職の内定も貰いましたが、卒業論文を読んでくれた先生が、「一度だけの人生だから考えた方がいい。」と言われて大学院への決意をしました。 「遺跡は教室だ。」と言われた言葉が印象的でした。 研究室の発掘は事前に関連する文献を全部調べてコピーして発掘の現場に持ってゆきます。 プロの先生からの話も聞けて楽しいです。
最初は古墳時代の研究をしていましたが、一般の人たちのことを知りたくて、旧石器時代を始めましたが、手掛かりがあまりにも少なくて、縄文時代を調べ始めたら食べ物から何から一切合切出てくるので、一般の人のことを研究しはじめました。 縄文時代は1万4500年ぐらい前から2500年前ぐらいです。 その間は大陸からの影響はほとんどないんです。 地球が温暖化するときに縄文文化が成立してきます。 今から6000年前が一番暖かい時期でした。 埼玉県まで海がありました。
最近の研究は何をどう食べたかとか、それによって人の身体がどう変わったとか、複合的に研究しる流れになってきています。 生活というキーワードでゴミとか道具が結びつきます。 「縄文時代を解き明かす」という本を最近出版しました。 研究仲間でそれぞれの分野を書きました。 土器で植物を熱で加工するんですね。 でんぷんが変化して非常に消化のいい形いなります。 ドングリなどの煮て柔らかくして粉にします。 粉をおだんごのようにして保存するんです。 1年間置いておいてもカビが生えないです。 最近は土器に付いたススから年代を測ったり、焦げたものから、魚の成分、直物の成分と言ったものまでわかる様になって来ました。 料理によって土器も変えていました。 人骨も、生前何をどれぐらい食べていたのか、と言ったこともある程度推測できるようになってきました。 道具との関係も段々距離も近づいてきました。
虫歯、腰痛持ちとか、どういう姿勢でしゃがんでいたとか、様々な病気の研究もあります。 食べ物には地域差があることが判ってきています。 北海道は海の資源をよく食べています。 沖縄も魚などをよく食べています。 本州などではいろんな食べ物を組み合わせて食べてきています。 海の水を煮たてて塩を取るのも縄文時代から始まります。 味覚が凄く豊かになったと思います。 塩作り専用の土器が発見されています。 海藻を焼くという事もあったようです。 土器を工夫して行くことによって段々と製塩土器が出来上がっていきました。 「人」は社会や文化を作る動物で、「ヒト」は生物としてのホモサピエンス。道具と人と食べ物を縄文時代から現代まで通して見てみると、どういったものが見えてくるか、それを是非やってみたいと思います。 研究対象もどんどん広がってきています。 北海道、には塩を作った形跡がなくて、本州で塩を作る文化がかかわりを持っていたようです。
「資源利用史」自然物を資源化する。 それを研究しようという事で研究所を作っています。 土器の多様化と食べ物の複雑化したり、同じ場所に長く住み続けたりする社会が出来ていきます。 社会の仕組み、考え方などが関連して大きな変化を遂げているんじゃないかと予測しています。 1000年ぐらい同じ場所に住んでいる遺跡があるんです。 どう言う工夫で同じ場所に住み続けることが出来たのか、考える時に食文化、様々な道具の利用に仕方の多様化が重要なヒントになります。 米作りだと稲を植えると米一粒で80倍から100倍になります。 水田で作りますが、縄文時代はそういったところはないですね。 自然のなかからうまいバランスで利用するんですね。 そのバランスが日本の基礎文化を作っていると思います。 栗林も栽培していたという研究者もいますし、栗林のあるところにたまたま人が来たという考えの人もいます。 もっと様々学問分野と連携して、多様化することによって新しいことが次々判って来ると思います。