2024年8月8日木曜日

村上隆(現代美術家)          ・スーパーフラットはいま ~現代美術家 村上隆の挑戦~ 後編

 村上隆(現代美術家)  ・スーパーフラットはいま ~現代美術家 村上隆の挑戦~ 後編

老人にならないと文脈を構築出来づらいんだなという事が判って来ました。 芸術を見て、絵画作品を観て、特に印象派の作品などを見ると、最近落涙するんです。  一筆一筆のタッチに人生の機微が全部封じ込められているような気がして、自分の中に得てきた情報が全部発動して、絵画から得る情報と相まって万感胸に迫って来るんです。 それが絵画鑑賞の醍醐味なんじゃないかと思うと、或る程度高齢の方、経験を積んだ方、思うように行かない人生とか、思うようにいってもその代償があるとか、そういったことで絵画を鑑賞するときに、自分の頭の中で再構築する文脈が、胸を突き上げるという様な体験と共に、年齢的にもラジオ深夜便のリスナーは、私が観ていただきたい層に近いんじゃないかと思います。 今回の展示は、私と同年代かそれ以上の人を設定して考えていました。 

子供時代は絵はクラスでは3,4番手ぐらいでした。  AIが人間のクリエイティビティ―を阻害するんじゃないかと言われていますが、僕はAIが出てきて僕の可能性がさらに広まったと思います。 僕が芸術家としてコネクトできている理由は、アップルコンピューターが出てきたお陰なんです。 線一つとってもスケッチでは老人が描くよろよろとした線みたいなものしかできないんです。  それをスキャンして、若い人と共に清書してゆくんです。 それをデータにすると繰り返し使う事が出来る。 お花の作品などは一番いい参考になるものです。 自分の絵とコンピューターとを結びつけることが、自分が今プロたらしめていると思っています。 東京芸術大学のデザイン科の1年生の最初の授業は例えば、1mmに幅に3本線を引きなさいと言うようなことがまかり通っていましたが、コンピューターの出現によって、理論上は無限に線が引けるようになってしまった。 自分の考える言葉によって映像を生み出すことに転換されると思います。 手、目、脳が接続したものは、オールドスクールとして珍重されるが、それが全てではなくなるという意味では、写真の登場と同じレベルで、芸術の世界では大ショックが起こっていると思います。 

宮崎駿さんが「自分は手書きのアニメーションを作り続ける。」 「自分は下駄屋だ、最後の一軒になっても下駄屋は生き残ることができる。」と言っていました。 同様に油絵で筆を使ってキャンバスに描くという文化は終わらないと思います。 全く違った芸術鑑賞、製作は起こってくることは間違いないです。 絵が好きだったと言う事が道具によって補完されて、プロとしてやっていけるようになったので、道具が作新されるほど僕にとってはいい時代になったと思います。 

東京芸術大学では日本画を専攻して日本画選考では初めての博士号を取得する。 日本画とは何ぞやという事を考えて、今私がやっていることは日本画の直系だと思っています。  岡倉天心がフェノロサとやったように、和洋折衷ですね。 日本の芸術的な心棒とは何かという事を探っていて、私はそれをスーパーフラットと言い直しただけです。 大学院2年生の時に、大竹伸朗さんという現代美術作家が個展をやっていて、ゴミを積み上げたような絵画があって、それに音が鳴っていました。  意味が分からず、金づちで打たれたような感じで、頭が痛くなって会場を出ました。 現代美術とは何か、大竹伸朗さんとはどんなひとなのか、いう事を或る人に聞いたら「あれはパクリだよ。」と言われました。 現代美術の友人たちと2年ぐらい討論したりして、現代美術の世界に入って行きました。 漫画、アニメは最上位に来る日本の文化だと思うので、最上位に行けなかった悲哀はずっと持ち続けてしまっています。 

スタジオは物流倉庫を使って作品を制作しています。 広さが2700坪。  およそ160人のスタッフの方が24時間稼働(4交代制)しているという事です。  僕を批判する日本人の方が言われるのは、共同作品でお前の作品なのか。」という事はよく言われます。 日本人がなんで海外で活動できないのかと憂うる方もおります。  そういったものを一気に解決するためには、短期間でクオリティーの高いものをどんどん仕上げて輸出しなければいけない。 その体制を作るという事に対しては、批判する人たちは何らクリシティカルな言及はないわけです。 海外での成功に関しては、オタク文化を搾取して騙している、という評価です。 自分としては悲しい感じではあります。 私としては西洋の文化を咀嚼して、現代風にアレンジしているつもりではあります。 

藤田嗣治さんがパリで評価されているそのものが、日本画を引用して上手く入りこみやがったと言う様な言説で、随分批判を受けていました。 僕はアニメや漫画のフォームを使って、上手く西洋人を騙しやがってという事がテーマなので、批判する人は批判すればいいと思いますが、ただ惜しむらくは、藤田嗣治さんは批判を乗り越えて行っているかというと、ノイズの方が強くてなかなか乗り越えていないというのが現状で、僕自身がノイズにかき消されないようにするための戦略として「スーパーフラット」という言葉を編み出しました。  

「スーパーフラット」とは何かというと、日本においては敗戦後ピラミット構造は全て押しつぶされてしまった。 それを是とする勅命を頂て、そのままの文化構造でやっていると認識していました。  貧しいところからのエンタ―テーメントとして漫画が出て来たというのは、皮肉ですが、ゆえにワールドワイドになっているんじゃないかと思います。 非常に歴史というのは面白いと思います。  アニメーションのような高い予算で作られたものを、紙とペンで安価に再構築したのが漫画という事においては、戦争に負けてしまって、物資が亡くなったという負の構造が生み出した一つの文化だと思います。 手塚治虫さんは新宝島で映画を紙に焼き直した、という事だったと思います。 

敗戦後に米国が日本に課した一番大きなタガは、累代でその一族が発展しないような税制の設定だと思います。 今まで余ったお金を保存する形で芸術は発展してきたという構造もあった部分が、累代の余剰のお金が無くなって、日本では或る種のヒエラルキーの高い人間が存在する可能性がなく、ゆえにその人たちが表出する芸術も存在意義がなくなったというのがあって、芸術そのものの必然性がなくなって、ゆえに漫画というものは大衆が愛する一つの芸術であって、上流階級が居ないという事が設定としてあって、漫画が薄く広く拡がった構造という意味において「スーパーフラット」であると思っています。 

ずっと作り続けていないと、恐怖症になってしまって、恐怖症を解除するためには作り続けていないと逃れられない。  アーティストのやむにやまれないリアリティーを固着したものが、歴史に残ってゆく作品なので、芸術という事象は悲劇的な事業で、作家が不幸せになればなるほど歴史に残る確率が上がるという、そういった事業ですね。 一番有名なのがゴッホだと思います。 モネも糖尿病で目がかすんできてからの絵が、一番評価されている。 悲劇と隣り合わせたものが名画として残るという歴史的な事実があります。 伊藤若冲も自分の家が大火に見舞われて、借金苦になった時のあとに作ったサボテンと鶏の絵が代表作です。 悲劇との密着した関係性というのが、歴史に残る芸術の誕生のトリガーになるというのが事実としてあると思います。 グレン・グールドというピアニストは何かにとりつかれるように弾いています。