2020年7月7日火曜日

古関正裕(ミュージシャン)        ・父の音楽を受け継ぐ

古関正裕(ミュージシャン)        ・父の音楽を受け継ぐ
古関さんは昭和21年東京生まれ。
ご両親は今放送中の朝の連続TV小説「エール」のモデル、作曲家の古関 裕而さん、声楽家の金子さんご夫妻です。
正裕さんは高校時代はバンド活動に熱中し、父親の音楽にはあまり関心がありませんでした。
大学も理科系に進み卒業後は新聞社に勤務します。
しかし52歳で早期退職してからは再び音楽に向き合い 7年前から父親の音楽の世界を広めたいとライブ活動に取り組んでいます。

連続TV小説「エール」はコメディータッチで面白いと思っています。
ドラマの中のほうがちょっと気が弱そうかなあと思っています。
逆境に強いタイプです。
私は父親似であると周りから言われますが、母にも似ているともいわれます。
若いころバンド活動をやっていましたが、父の曲は関心がなかったですが、こういった歳になると、前にやっていたボーカルの人からお父さんの曲を専門にやるユニットをやりましょうと言われて始めました。
ユニットは「喜多三」という名前にしました。
家は8代続いた呉服屋「喜多三」です。
祖父は多趣味だったようで芸事が好きでした。
当時は珍しかった蓄音機を買ったりしていました。
しょっちゅうレコードをかけていたようです。

ユニットを始めたのは60代半ば過ぎからでした。
「幸子の子守歌」 幸子は私の娘ですが、娘のために父が子守歌としてオルゴールでメロディーだけを聞かせていました。
*「幸子の子守歌」 作詞:古関正裕 鈴木聖子 作曲:古関 裕而 歌:鈴木聖子
孫は二人とも音楽、ヴァイオリンをやったりしています。

「君はるか」という本の出版をしました。
実際には10年以上前に書きました。
両親の手紙(ラブレター)などを読み始めたら若い男女の文通、夢とかいろいろ浮き彫りになってきて、本にして生誕100年に間に合わせようとしたが、間に合わなくて棚上げ状態になって、ドラマにしたらいいんじゃないかということになり朝ドラの誘致活動につながっていきました。
父にはファンレターなどもたくさん来ていました。
最初は母が新聞を読んで手紙を父に出して、文通が始まり、周りでは音楽に対する興味がある人がなく、二人の文通は深まり繰り返されていきました。
文通を初めて4か月ぐらいしてから会うことになり、会った瞬間に二人の気持ちは一つになっていきました。
結婚は昭和5年で、父が20歳、母が18歳の時でした。
コロンビアレコードに入社、流行歌になじめず作曲に悩む時期もあったが次々にヒット曲が生まれ、約5000曲を作曲、ジャンルも広いです。

*「いつだったかな」 作曲:古関 裕而 歌:越路吹雪
越路吹雪が退団してコロンビアの専属になり初めてだした、シャンソンっぽい曲。

書斎で譜面におこしていて、頭のなかには曲が浮かんでいたような感じでした。
両親は音楽家になってくれたらうれしいとは思っていたようですが、押し付けるような言葉はありませんでした。
母は子育てのために音楽は辞めたというような事は言っていましたが。
改めて父の音楽と向き合ってジャンルの広さに圧倒されます。

*「今日はよい日」 作詞:西條八十 作曲:古関 裕而 歌:鈴木聖子
この曲だけレコードにはなっていなかった。