2020年7月21日火曜日

青木亮輔(林業ベンチャー会社代表)    ・次の世代に豊かな森林を

青木亮輔(林業ベンチャー会社代表)    ・次の世代に豊かな森林を
森林が国土の2/3を占める日本の林業は戦後衰退の一途をたどってきました。
東京の一番西にある村、面積の9割が森林という桧原村では若者たちが将来設計できるような新しい林業を目指す動きが出ています。
青木さんは(43歳)19年前サラリーマン生活から地下足袋をはく林業に転身しました。
その後志を同じくする若い仲間たちと林業会社を立ち上げ、現在は社員19名で山林の手入れはもちろん間伐材を活用した様々なプロジェクトを展開して、次の世代に豊かな森林を残す新しい活動に取り組んでいます。
青木さんたちが目指す次世代につなぐ新たな豊かな森林づくりとはどんな活動なのか伺いました。

木を育てるというのも人と一緒で若い時ほど手がかかります。
そこをしっかりと手入れをしてあげないと後々響いてきます。
桧原村は標高も高く夏は涼しいです。
冬は寒い時には氷点下10度になる時もあります。
15年前には桧原村は3500人いましたが、現在は2500人ぐらいになってきています。
桧原村は93%が森林です。
東京農業大学の林学科を卒業。
植村 直己の映画を観て感銘して、子どものころ大人になったらそういうことをしたいなあと思っていました。
自然のことを学べればいいと思って東京農業大学の林学科に入って探検部に入りました。
中国に行って奥地からの川下りなどしていました。
卒業して就職氷河期と言われる時代で、教育系の出版社で英語教材を売る仕事をしていました。
働くとはどういうことなのかということを悶々と考えることがあり、アルバイトで足袋をはく仕事したことがあり、それが新鮮で足袋をはく仕事をしたいという思いがありました。
自然の中、林業で足袋をはく仕事がしたいと思いました。

たまたま東京都で緊急雇用対策事業が山の中で働く募集があり、半年間限定でしたが採用されました。
その後お試しで山の仕事に採用されました。
山のことを教えてもらいながら毎日が新鮮でした。
森林組合に入って3,4年するうちに若いメンバーが増えて中心的な仕事をしていました。
林業では日給月給だったり、手取りが安定しないという側面があり長く働く点では大きなハードルになりました。
広域合併もあり森林組合も大所帯になって、気心の知れた仲間で独立しようということになり会社を興しました。
2006年 4人で立ち上げ、僕は29歳でした。
資金は一人15万円ずつ仕事で必要な道具を買いそろえました。
仕事は森林組合からの下請けでできました。
月給制にして社会保険もつけてという風にしました。
徐々に元受けの仕事もチャレンジしてゆきました。

現在社員はアルバイトを含めて19名で、平均年齢は34,5歳です。
林業は人目のつかないところでやっているので情報発信をホームページ等でやっています。
地元の年配の方からよくしてもらっています。
村の伝統芸能にも参加させてもらっています。
会社の理念としては
「東京の木の下で地球の幸せのために、山の今を伝え美しい森林をはぐくみ生かし届けます。」
東京は4割の森林があるので、事業を通じて地球の幸せの一助になれるような仕事をやっていこうということで理念にしました。
森林にはいろんなプラスの役割があります。
日本の森林は半分が人が植えて、樹齢が60年ぐらいになり、適度に間伐をしたり手入れが必要です。

間伐材などを含めて色々利用しています。
ツリークライミング、木にロープを垂らして安全を確保して木に登ってゆくという体験会もやっています。
森デリバリーという取り組みをしていて、間伐材、切り出した木を使って、いい部分は建築用などに売り先もあるが半分は捨てられてしまうので、それをあたらしく商品化して、素材を使ったワークショップをしています。
木の皮も乾燥させて、キャンプに使う焚き付け用に薪と一緒に販売したりしています。
昨年からおもちゃ工房を運営していて、いろんな木のおもちゃを作って販売しています。
桧原村トイビレッジ構想といって、桧原村を木のおもちゃの村にしようという構想を持ってやっています。
来年秋に桧原村に「桧原村森のおもちゃ美術館」ができます。

6歳になったら机を作ろうということで、杉でのキットがあり親子で組み立ててきちっと仕上げてゆくというプログラムもやっています。
100×60cmぐらいの大きさで、誰でも使いやすいシンプルなデザインになっています。
東京美林クラブは、山に木を植えたいという人が増えてきて、伐採した跡地に3本の苗木を植えていただくというプロジェクトです。
東京美林クラブの会員の方に自分たちが植えた3本の周りの草を刈っていただくということを7年間やっていただいて、その後4年ごとに枝打ちをやっていきます。
25年目と30年目にその3本のうちの2本を間伐して、間伐した木を記念につかっていただくというプログラムになっていて、育てるということを一緒に体験していただき山の環境の保全に貢献をしていただくということです。
1本は山に残していきます。
育てた木には愛着があると思います。
約240家族が参加していただき800本ぐらいになっています。
樹齢100年の森が日本に残るころには、いい環境でいい状態で次につないでゆくためにいろいろ手を尽くしているところです。