2020年7月26日日曜日

高橋陽一(漫画家)            ・「"キャプテン翼"の集大成を表現したい」

 高橋陽一(漫画家)          ・「"キャプテン翼"の集大成を表現したい」
コロナ禍の影響で普段とは違ってスタッフとはいつもと違う作業になってしまって苦労しました。
サッカーの試合も中止になってしまって、テンションを上げるのが大変でした。
キャプテン翼が40周年を迎えました。
「キャプテン翼マガジン」というキャプテン翼だけを連載する雑誌が新しくできました。
元々は「少年ジャンプ」でキャプテン翼が始まったんですが、「ヤングジャンプ」に連載が変わってきて、去年キャプテン翼のアニメーションが4回目のアニメ化をしてもらって現在の子供たちにも届けることができたので、できれば全世代の人達に届けられないかと思ってこの雑誌を作れないかと相談して、今実現したので大変うれしく思っています。
4月に創刊されて隔月で発行されています。
僕一人なので穴をあけられないという責任感がありますが、キャプテン翼という作品一つの雑誌ということができている現実がすごくうれしくて頑張らなければと思って作っています。
締め切りを守るということは連載と同じ感じです。
創刊されたなかでは架空のマドリードオリンピックのなかで翼たちは戦っていて、決勝トーナメントの初戦で宿敵ドイツと闘っているところです。

小学校低学年ぐらいまではプロ野球選手に憧れていました。
絵を描くこと自体は小さいころから好きで、雨の日とかには部屋の中で、「巨人の星」とか読んでいたので、そういったものの真似をして書いていました。
中学は野球部がなかったので卓球部で、高校は野球部でした。
子供のころは漫画とか絵を描く仕事に就きたいとは漠然と思っていました。
中学受験が終わったあとに漫画を一本つくって漫画賞に応募したこともありました。
大学受験しようと思っていましたが、家が裕福ではなかったので公立しか駄目だといわれて、不安ではあったが漫画に挑戦しようと思って、受験勉強は3年生に上がる時には辞めて漫画を描いて原稿をもって出版社に行こうと決断しました。
出版社にはそのまま本に乗るようなレベルではないですと直接に言われました。
一から漫画をやっていきましょうということになりました。
西部劇とSFの作品を持っていきましたが、話している中でスポーツ、野球とサッカーの漫画2本を持って行ったりしていました。(高校3年の夏あたり)

アルゼンチンのワールドカップがあって、NHKで何試合か放送してそれを見たときにめちゃくちゃ面白いと思いました。
いろいろ調べていくうちに、すごく興味を持ちました。
野球と比べてサッカーの自由さにおもしろさを感じました。
サッカーのほうが単純に決着が付くようなイメージがありました。
高校が終わるころに初めて書いたサッカー漫画の「友情のイレブン」という作品が「少年ジャンプ」の月例賞の漫画賞で佳作になり初めて賞金もいただいたりして、サッカーと野球の漫画を交互に出していました。
まだサッカー漫画は少ない時代なので、「キャプテン翼」を連載に向けて作業し始めました、
それまでの1年間は作っては没になり作っては没になり、ぎりぎり1年後に連載にこぎつけました。

主人公を子どもにして夢を追いかけて頑張ると設定したのがよかったのかもしれません。
最初は翼太郎で大空翼になりました。
夢を追いかける少年ということで大空翼にしました。
連載が始まった当時は絵もうまくなかったし、ほかの作品と比較しても見劣りするなあと思っていました。
4本目の原稿で一からやり直そうと思ってオーバーヘッドキックを取り入れて、いい人気が取れたので10週以上続くことになりました。
オーバーヘッドキックを取り入れていなかったら、10週の連載で終了していたと思います。
スカイラブハリケーンという二人で組んで高い位置からヘッディングシュートを決めるというのはプロレスの合体技からヒントを得ました。
三角飛び、ゴールポストを蹴ってゴールの端から端までディフェンスをするというのは、空手にそういったような技があり応用した感じです。

7年半ぐらい「キャプテン翼」を書いていたので自分の中の欲求としてはほかのスポーツ漫画も描きたいと思って、テニス、野球、ボクシングを書いていて楽しかったんですが、人気もなくて打ち切りになってしまいました。
でもそれを手がけたので、又サッカーに戻れて日本でもサッカーが強くなってきて、プロリーグも始まる時期だったので、日本のサッカーを応援したくなり、サッカーに取り組みました。
ライバルだった人たちとチームメイトになって世界を相手に戦ってゆくが打ち切りになってしまってショックでした。
キャラクターがまだ自分の中にあり、リベンジしなければいけないと思っていました。
他の雑誌でもやってやろうと思いがあり「ヤングジャンプ」で連載することができました。

「キャプテン翼」をみて プロになった人がいるということ自体が、少しは自分の漫画が役に立ったのかなあという思いです。
今はオリンピック編のことを書いていてそれ以降のことはまだ考えていません。
「キャプテン翼マガジン」で僕の作品だけでできている雑誌が刊行されているので、その雑誌が成功することが大事でこれからの展望はあまり考えていなくて、このオリンピック編をどう皆さんに喜びとか感動を与えらえるかという思いで、目の前のことをちゃんとやらなければという思いが強いです。
私が作ったキャラクターではあるんですが、キャラクターたちが読者の皆さんに訴えかけているような気がしています。
キャラクターたちに書かされている感じが今はしています。