宇野 晶(日本音盤倶楽部会長) ・「音盤に惚れた男の40年」
大阪でサラリーマンをしていた昭和50年代に神社の参道で古物商が並べていたSP盤と出会ったのがきっかけでSPレコードを集め始めました。
大阪などの土地を歌ったもの、戦時中に発売禁止になった希少盤などを集めに集め、おおいときにはSPレコード2万5000枚EP盤を1万枚収集したと言います。
宇野さんの集めた音源を聞いていきますと、日本のレコードの歴史をたどることができます。
平成12年に設立されたSPレコード収集家で作る日本レコードクラブ会長も務めている宇野さん(76歳)にインタビューしました。
昭和52年ごろに大阪で毎年1月10日前後に10日恵比寿を今宮神社でやっていました。
参道に古物商がSPレコードを積んでいました。
一枚200円とのことで20枚ぐらい買いました。
ポ-タブルプレイヤーも買って、聞いて懐かしさを感じそれがきっかけになりました。
昭和35年ぐらいまでSP盤も発売していました。
昭和27年ぐらいからEP盤、LP盤に切り替えていきました。
SP盤の材料はシェラック(ラックカイガラムシ、およびその近縁の数種のカイガラムシの分泌する虫体被覆物を精製して得られる樹脂状の物質)といいます。
音としてはEP盤、LP盤のほうがきめが細かい、大きいが、SP盤は78回転で回転数が速いので情報がたくさん入れられる。
私が買うというので道具屋さんが仕入れてきて、必要なものだけを買うと道具屋さんも困ってしまうので、利益は最小限ということで仕入れたものは全部買うことにしました。
だいたい100~200枚買いました。
いいものも手に入ることもあれば必要ではないものも沢山ありました。
多い時にはSPレコードは約2万5000ぐらいあり、EP盤を1万枚ぐらい持っていました。
平成10年には大阪に引っ越して置き場に困ったということがありました。
オーナーに空きスペースがあるということで置かせてもらったこともありました。
*①「君恋し」 昭和元年 アコースティック録音方式だった。 録音レベルが低い。
*②「君恋し」 昭和4年 電気録音なのでそこそこ音がいい。
*③「君恋し」 昭和36年 歌:フランク永井
それぞれ違った味わいがある。
父は役場の職員で母は小学校の教員をやっていて、蓄音機とレコードが200枚ぐらいありおもちゃ代わりに聞いていました。
昭和10~12年ごろが一番いい音で、戦争が始まって原材料がなくなってきて音が悪くなってきて、最悪の戦後すぐのころは古いレコードを溶かして作り直したりして、割れやすいしノイズが多かった。
昭和30年頃になると音質が良くなってきてLPに負けないぐらいの音が出ました。
昭和37年に会社に就職しました。
高度成長経済の好景気の時代でした。
結婚が31歳でしばらくして、妻に気を使いながらレコード収集をしました。
*「1万3800円」 昭和32年 歌:フランク永井
1899年トーマス・エジソンがシリンダー型レコードを開発して、その10年後にベルリナーがワックスを塗った平らなレコードを開発。
1910年(明治43年)に日本蓄音機商会(のちのコロンビア)発足。
大正に入って両面のレコードが普及し始めて、ラジオも普及し始めて相乗効果を果たす。
金属原盤がないと作れない時代だったが、戦争の時に金属不足で供出せよということで取られてしまった。
工場も爆撃されて貴重な資料などもなくなってしまった。
CDへ復刻したいということでレコードをお貸ししたこともあります。
「六甲おろし」は球団お披露目会の時に非売品として200枚ほど作ってゲストの人に配布したが、最終的に人から人にわたって私のところに来ました。
コロンビアが探していました。
復刻したのが2003年でした。
その年に阪神が優勝して、幻の曲を復刻したということで私のところにスポットが当たりました。
昭和17年 高峰秀子さんが歌った「森の水車」 貴重なレコード
戦時下なので
ポリドールレコードを大東亜レコードに変更し発売したもの。
ちゃらちゃらした歌は駄目ということで、売り出して4日目に発売禁止になりました。
*「森の水車」 昭和17年 歌:高峰秀子
日本レコードクラブ(日本音盤倶楽部)には100名ぐらい会員がいます。
レコードの交換会をやっています。
最高値は1枚3万円という上限を設けています。
平成12年に発足して、35回開催しています。
3万6000枚の出品があり金額では3100万円になります。
昭和57年にCDが発売されましたが、音源をデータでパソコンに取り込むことになりCDも売れない時代になりました。
レコード盤はもう出尽くしましたので交換も少なくなってきました。
そこそこのヒット曲はCDには復刻されています。
会員数の減少で2018年4月の例会をもって休会中になっています。
*「南海ホークスの歌」昭和27年 歌:灰田勝彦