西田秀子ほか(地域史研究家) ・調査報告・戦時下の犬猫供出(H28/11/12 OA)
【ABU賞受賞作品 特別アンコール】
このドキュメンタリーは日中戦争から太平洋戦争の時代に兵士の防寒具に役立てようと国民に飼っている犬や猫を供出させた献納運動に光を当てたもの。
昭和20年2月北海道小樽、背中の袋には猫が入っている、名前は「クロ」、大切に育ててきた猫。
でも今日はお別れの日です。
回覧板には「お国の為に犬や猫を差しだしなさい、毛皮を兵隊さんの防寒具に役立てます。」そんなことが書いてありました。
もう約束の時間を過ぎています。
直ぐ目の前には大きな男が立っています。
私は当たりの異様な光景に息を飲みました。
広場に積もった雪の上に沢山の犬や猫が倒れています。
雪は一面真っ赤な血で染まっていました。
思わず去ろうととしましたが、男の手が私の背中の袋を掴んでいます。
「私が坂道を降りるまで猫を殺さないでください」、と云って男に背を向け立ち去ろうとしました。
その時です、後ろから断末魔の声が聞こえました。
僅かに残る資料を元にその事実に光を当てます。
北海道江別市に戦時資料に詳しい一人の研究者がいます。
西田秀子さん65歳。
この10年の間戦時下の犬猫供出の実態を調べようと、国立公文書館、各地の図書館を訪ね2000コマを越えるマイクロフィルムや、おおくの戦時資料にあたり読み解く作業をしてきました。
今年6月1冊の調査報告書にまとめました。
昭和12年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争に入り、長期化してきて日本国内では十分な食糧を生産できなくなってきて、軍需毛皮などの生産が昭和14年ぐらいから下降気味になって来る。
不足をどうにかしなければならなくなり、昭和14年暮れに東京八王子の警察署で愛玩動物の飼い犬に餌を与えることは無駄ではないかと言うことで、軍用犬,番犬を除いて献納させたらと言うふうなことになる。
皮は軍用の資材になると云うことで始まったようです。
昭和15年帝国議会で取り上げられる。(予算委員会)
北 昤吉(きた れいきち)議員が「軍用犬以外は全部殺してしまえば皮は出るし、飼料は助かる」と発言する。
第75回帝国議会衆議院予算委員会の議事録に残されている。
昭和18年4月北海道札幌市で野犬狩とともに犬の献納運動が始まる。(180頭)
札幌のスタイルを北海道庁が犬の献納運動としてこの要綱を初めて作って行く。
手順を文書化する。(昭和19年2月)
道内の各市町村長あてに通達される。
同年大阪で犬を供出したと言う人がいます。
神戸市の本宮八重子さん83歳。
当時住んでいた大阪市で犬を供出、名前は「くろ」、兄弟がいなかった本宮さんにとって大切な存在だったと言います。
昭和19年の秋、本宮さんに回覧板が届きます。
飼っている犬を警察に連れて来るようにと書かれていました。
母から言われて、父からも「わかっておるな」と言われました。
飼っていた鶏の貴重な卵を割って食べさせました。(日頃は本当に粗末なものを食べさせていました。)
いつまでも手のひらなど舐めまわす感触は忘れることはできません。
母から一緒に行くのか催促されて、私は行かないと言いました。
「クロ」が振り返って私を見ていましたが、母が鎖をぐいと引っ張ってでて行きました。
ただただ辛いなあ辛いなあとは思いました。(すすり泣きながら喋る)
北海道庁は新たに猫の供出を決める。(昭和19年)
昭和19年5月26日北海地方行政協議会の主席監督官から猫の皮で防寒服にしようと言うことで犬が1匹10円、猫が5円の公定価格がきまる。
軍からの要請で実施されることになる。
福岡県の民間の飼料館に残されていた。(昭和20年2月25日の日付けの北海道のものの 猫の受領証)
北海道で殺処分の現場を見たと言う人がいる。(北海道札幌市加藤さん82歳)
背中にかますをしょっている人がいて、中が動くので生き物が入っていると思って友達と付いて行った。
集会所の前に雪の穴が掘ってあったが、のぞき込んだらその中には犬や猫の死骸が山積みになっていた、40,50はあったと思います。(皮は別に置いてあった)
杭打ちの道具でかますを叩いていました。
供出したものの処分の仕事手伝いをしたと言う人もいました。
札幌市原さん86歳。
知人に頼まれて色々なところに行って、犬猫の殺処分を手伝いました。
20から25匹を撲殺、眉間をぶん殴る。
軍隊を思って、仕事だと思ってただ殴った。
市町村ごとにノルマが有ったと言う。
町内会を通じて猫、犬を何頭飼っているかを調査して、具体的に数字をあげて割り当て数を各市町村ごとに決めて行く。
札幌市は野良犬と飼い犬を併せて1769頭、1414頭を供出しなさい、猫は8913匹のうち約50%4455匹供出しなさいとノルマを課している。
犬は全道で37074頭のうち8割の29664頭、猫は152955匹のうち50.3%に当たる76985匹を供出するノルマを課しました。
戦争末期、B29の激しい空襲にさらされるようになる。
昭和19年12月15日、軍需省科学局長と厚生省衛生局長は全国の地方長官(知事)にあてて一通の通牒を発する。
軍用犬、警察権、天然物の指定を受けたもの、登録済の猟犬を除く一切の畜犬は献納、供出すること、と言うもの。
国民に周知されて、回覧板に依って詳細内容は伝えられる。
鳥取県の広報が残されている。
飼い犬野良犬で1800匹、そのうちの656匹が献納されているということが、現地の新聞に詳しく書かれている。
献納は全国に広まって行く。
北海道全土で犬猫75157頭、ハ王子犬200頭、神奈川県では犬17000頭、鳥取県では犬656頭、その数は資料に残されているだけで97000頭余り。
供出拒否は極めて困難だった。(町内会から非国民使いされてしまう)
殺処分をみたという加藤さんは「戦争は平穏な日常から全てを奪い去って行くものだ」「全ては戦争最優先です、だから犬や猫まで戦争に使う」と言います。
戦時下に消えた犬や猫の命は歳月を越えて私達たちに命と平和の尊さを訴えています。