佃川燕也(一般社団法人 大江戸玉すだれ) ・“玉すだれ”を語ろう
後藤繁榮アンカーは南京玉すだれを若いころからたしなんでいた。
佃川さんは自ら団体をたちあげ、大道芸としての玉すだれをエンターテイメントとして日本のみならず海外で啓蒙活動をされています。
演技口上
「さてさてさては大江戸玉すだれ。 さてもめでたい玉すだれ。 ちょいと回せばちょいと回せば出雲大社の鳥居でござる。 鳥居くぐれば御本殿へと早変わり。
出雲大社にお目に留まれば元結び。 さてさてさては大江戸玉すだれ。
今宵見る夢なんじゃいな。 一富士、二鷹、三茄子。
沖に見えるは宝船、浮かぶ白帆にさも似たり。 お宝船の白帆の形がお目に留まればおめでたい。 お目に留まれば元結び。 さてさてさては大江戸玉すだれ。
さてもめでたい玉すだれ。七福神は何じゃいな。 布袋、毘沙門、福禄寿、寿老、大黒、弁財天、ちょいと伸ばせば恵比寿様の魚釣り竿にさも似たり。 魚釣り竿がお目に留まればおめでたい。 お目に留まれば元結び。 さてさてさては大江戸玉すだれ。
お江戸名物なんじゃいな。 武士にかつお、に広小路、芝居、紫、火消し、錦絵、日本橋、諸国往来おめでたい。 お江戸日本橋お目に留まれば元結び。さてさてさては大江戸玉すだれ。 ちょいと回せばちょいと回せば皆さん揃っておめでたい。
万国国旗にさも似たり。 万国国旗がお目に留まればしだれ柳に早変わり。」
市松模様の着流し、薄い紫いろの半纏、吉原かぶりで手拭を頭に結んでいる。
南京玉すだれと基本は同じですが、中国のものと思われるかもしれないが、調べて見るともともと日本の伝統芸能です。
南京無双玉すだれと言われていたようだが、南京豆、南京錠、南京袋がはやった時に珍しいすだれなので南京玉すだれと言われるようになったとの説もあります。
細い竹(6mm)長さが30cm位で作ったもので、自由自在に形が変わる。
江戸時代は「のびたりちじんだり」という言葉そのもので売られていたようです。
「さてさてさては大江戸玉すだれ。」のリズムが楽しい。
一番古い説が江戸時代の街中を売って歩いていた、玉すだれがルーツではないかと言われている。
子供の遊び道具として売られてもいたようです。
富山県の五箇山地方、旧平村、そこに源流があるということは聞いています。
後藤:昭和55年網竹が写真が映っていて、調べて行ったら、五箇山地方で作っている方に出会いました。
こきりこ節、麦屋節で使われる楽器、びんざさら 長方形の木の板が108枚を紐で結んである。
*ささら:竹や細い木などを束ねて作製される道具の一つである。洗浄器具として用いられるほか、楽器や日本の伝統的な大衆舞踊の際の装身具の一部としても用いられる。また、これを伴奏楽器として用いる音曲や舞踊を「ささら」と称することも多い。
打ち鳴らすようなささらの仲間ではないかと言うことですが。
衣装、口上の一部、やり方にちょっと工夫を凝らしています。
陣羽織に頭巾(水戸黄門スタイル)が一般的な南京玉すだれのスタイルですが、僕は着流しで尻っぱしょりをして頭に手拭を被るスタイルでやっています。(江戸のイメージ)
橋だとしたら日本橋だろうと言うことで一緒に江戸の名物も語っています。
大田蜀山人(別名 大田 南畝)の狂歌、「江戸の名物、武士、かつお、大名、小路、なまいわし、芝居、紫、火消し、錦絵」という狂歌があるが、それを口上の中に持ってきました。
「武士にかつお、に広小路、芝居、紫、火消し、錦絵、日本橋」と言うふうにしました。
江戸の「いきさ」にこだわっています。
伝統的な物を大事にしつつ新しいものも取り入れていこうと思いました。
親爺が佃で生まれて、親父の背中を見て育ったと言う処はあります。
寄席は親爺が好きだったので小学校のころからしょっちゅう行っていました。
当時、落語よりも曲芸、手品、紙切りなどが好きで、玉すだれも見ていたものと思います。
中学校の終わりごろから落語を始めて高校では自分で落研を作ってやってみたりしました。
サラリーマンになって会社(老舗の百貨店)の慰労会があり、店長が社員に何かやらせようと言うことで玉すだれがいいと言うことになり、僕が覚えて店長に教えましょうと言うことがきっかけです。
平成4年に日本サラリーマン文化芸術振興会が出来て、一芸サラリーマンの会で、落語と言うことで入会しましたが、その中にカントリーウエスタンが趣味の人が居てカルチャースクールの営業部長で、一芸の人をカルチャースクールに呼んで講師をやってもらいたいと言うことで、南京玉すだれの講座をやりたいと言うことで知っていましたので講師になってほしいと言われて引き受けました。
23名集まって、3ヶ月で終えると思ったらもっと教わりたいと言うことで6カ月やりました。
玉すだれのサークルを作ったらいいのではないかと言うことで会を作ったのが一門を作ったきっかけになりました。
高座でうんちくを喋らないといけないので調べて行ったら南京に意味がないことが判って「大江戸玉すだれ」にしました。
芸名も付けるようにしました。
名取になる期待感、嬉しさがあるようです、
一人で演ずるのではなくて、団体でやります。
落語で「住吉踊り」があるが一席終わった後に全員がかっぽれ踊りをするのを見て、こういう感じで玉すだれをやったらおもしろいだろうと思ったのがきっかけです。
江戸の風景が感じるような、粋に見えるように気を使っています。
踊りは扇子と手拭を使って踊るが、その代わりに玉すだれを使ってやったらいいかなと思ってやっています。
踊りと一緒にすることによって玉すだれの芸が膨らんでくると思います。
海外ではアメリカ、ヨーロッパなどに行っています、カーネギーホールにも行きました。
日本語でやりましたが、想像以上に反応は良かったです。
国立能楽堂で狂言と共演したこともあります。
野村又三郎さんとご一緒してやりました。
四国の金丸座を借りて玉すだれ公演をやろうかなということも考えています。
千葉県の船橋市飯山満小学校に玉すだれクラブがあり顧問として指導しています。
日本で唯一だと思います。
玉すだれを知らないで入ってくる子達がおおいですが、熱心にやっています。
定年退職後東京都江戸川区新川さくら館の館長をしています。
さくら館は江戸時代の大きな庄屋をイメージした建物。
ここは玉すだれがピッタリだと思って何回かやらせてもらっています。
手を使いながら声も出して、指先を使うので凄くいい運動になると思います。