上村愛子(NHKピョンチャンオリンピック放送 ナビゲーター)
・【“2020”に託すもの】笑顔で伝えるオリンピック
1998年長野オリンピックが最初、それからソルトレイク、トリノ、バンクーバー、ソチ、ずーっとオリンピックに参加してきて、中学校以来オリンピックに何もない時を迎えてます。
ピョンチャンオリンピックは初めてそとから見るオリンピックの様な気がしています。
1998年の長野オリンピックが高校3年生でした。
今度は放送ナビゲーターとしてピョンチャンに行きますが、スキーに関してはある程度良く判りますけど他の種目については私でいいのかという気持ちはありますが、選手の気持ちとか感じることを皆さんに伝えることが出来るのではないかと思っています。
ソチはよく覚えていて、一番自分らしくスタートに立てた試合だったと思います。
自分らしく戦えた試合だったと思います。
決勝で3本目を滑れる人は6人で、その最初のスタートでした。
自分でも驚くほど落ち着いてはいました。
フルアタックの滑りを出すのは難しかったが、滑り終わったときにはもうこれ以上ないと思うほどやりきった気持ちが凄くあってタイム、ポイントを待っているときにはこれが最後なのかと想うほど感極まった状態でした。
モーグルはターンとエアー、タイムの3つの要素で得点が決まるが、タイムは一番早かったが、エアーとタイムは全体の4割しかなくて、ターンが6割を占めます。
ポイントを見たときには、自分のやりきった気持ち、思いとは違って順位は下だったと感じました。(20.66 タイムは30秒68)
トップ3の位置には厳しい得点かなあとは思いました。
カービングの得点が世界の流れのなかで違う技術の中での得点だった。(評価の仕方がいろいろ意見の有るなかでの得点だった)
モーグルでは50回ターンがあるが、細かくジャッジを見ているが、カービングの難しいところはアタックするからこそ板がたまにはじかれるとか危ういシーンがあるので、板を少し横にずらしながら滑って行く選手がほとんどで板が開くとか、はじかれるとかというミスが少ない。
そういった滑りは減点要素が少なくなると言うことになる。
私はチャレンジャーする気持ちが強かったので、横に滑らす事ではなくて果敢に攻めてそれからがミスが出ないようにと言うことをやってきました。
結果は4位でした。
ソチは硬いバーンだったので、押さえる選手の方が多い中でアグレッシブに滑ることが見ている人には伝わったのかなあと思うし、私としては凄くいいオリンピックだったと思います。
滑り終わった時にはすでに泣いていたので、出し切れる物をようやく出せたという達成感とか、もうオリンピックも最後と決めていたので、自分の中から沸き上がってくる気持ちをそのまま受け止めて過ごしたので笑ってもいたし泣いてもいました。
オリンピックを目指して皆さんに応援していただいて、一番いい恩返しはメダリストになることだと思ってきましたので、金メダルを目指して自分自身がやってきたことに嘘はないので胸を張っていられるように皆さんから見てもらえると選手としては有難い、幸せと言う気持は有ったので、皆さんにすがすがしいという気持ちを伝えられて良かったと思います。
5大会連続入賞しましたが、バンクーバーの終わった後に「なんで一段ずつなのか(4位)」、と言う思いはありました。
それぞれ4年ごとに有るので、進化した状態で臨ませてもらって、自分に対する期待もありますし、それぞれに感じたオリンピックだったと思います。
やはり選手として金メダルを狙っているからにはと言う思いがあり、なかななかジャンプアップすることが出来ないのはどうしてか答えとして出てこなかった時でした。
総合優勝もしたりしていたので取れないわけではないと思っていたが4位に終わってしまって、この競技人生は何なんだと思って、悔しい気持ち、情けない気持ちで「なんで一段ずつなのか」と泣きながら話してしまったことを覚えています。
長くやって来てオリンピックの金にこだわることによって、進化しながらメダルを争える様になり結果として、総合優勝、世界選手権の結果に繋がったと思います。
オリンピックの目標は自分にとっての大事なモチベーションになったと思います。
オリンピックいうものがなかったら、あそこまでスポーツを一生懸命取り組めない凄く大きな目標だと思います。
モーグルを始める前はアルペンスキーを6年間やっていましたが、モーグルを初めて見たときにコブを上手に滑る方は当時いなくて、中学生だったが、コブを上手に滑れて恰好いいだろうなと思いました。
コブを滑って行く技術、エアーを決めたり音楽も鳴って会場が盛り上がると言うことを感じて、楽しんでもらえる競技だと感じて、出来たら主役になりたいと思いました。
初めてワールドカップの大会を見ることが出来たので、コブを上手に滑る姿を見て、幸運だったと思います。(中学2年生の時)
上手な人を見て何を自分が受け取るかと言うことは大事だと思いました。
モーグルを観た後はひたすらコブ斜面に毎日通って、その後日本のトップ選手のモーグルの合宿に参加させて貰って、そこでしっかり教えてもらえる環境になり、オリンピックに出られた下地になったと思います。
変わることはたいへんですが、アルペンからモーグルに変わることはあんなふうに滑ってみたいと言うイメージが持てたことがモーグルに飛びこめるきっかけの一つになったと思って、でる大会も評価してもらったので、モーグルが合っているのかなあと思いました。
いつかは引退するとは思っていましたが、怖かった。
バンクーバーの後に考えたことはあるがもう一度やるというチャレンジが出来たことは、いま引退したことを自然な流れだと受け入れています。
バンクーバーの後に休んだ1年がなかったら悩んでいたかもしれない。
昨年からNHKの放送の現場に行かせて頂いていて、氷の世界の競技にはなかなか見る機会がなくてカーリングとフィギュスケートを見て現場に行って感じさせられて、フィギュアスケートは華麗で美しいイメージですが、生で見ていると着氷の音が凄くやっぱりスポーツだと感じるし、手に汗を握ることに毎回なります。
5回オリンピックに行っていますがフィギュスケートを観たことがなかったです。
生でないと判らない部分が沢山あります。
日本と言うのはスポーツ文化は根付いていると感じています。
オリンピックを見て、スポーツに色んな夢を持っていただけると考えます。
2020年は直ぐ目の前で、目の前でスポーツを見て肌で感じた人は絶対何かしら感ずるものがあって夢を持ったり、前向きな想いとかポジティブな気持ちが沸くのがオリンピックかなと思っています。
感動はこれからもズーっと続いていくんだと思います。