2018年1月29日月曜日

なかにし礼(作家・作詞家)        ・【謎解き うたことば】なかにし礼さんに聞く(1)

なかにし礼(作家・作詞家) ・【謎解き うたことば】なかにし礼さんに聞く(1)
日本語学者 金田一秀穂
79歳、癌になって治ってから5年経ちます。
訳詩も入れて4000曲になります。
シャンソンは下火になりました。
外国語のシャンソンを日本語に訳して皆で歌ってブームになったことは世界でも変わっている。(日本人は学ぶものが多かった)
フランスでももうシャンソンは終わっています。
シャンソンは内容が深いし、味わい、文学性の高さ、色んな意味で素晴らしいものがあります。
シャンソンはタブーがないので書いてはいけないものがない。
恐ろしく暗いものもある。
「知りたくないの」がヒットして歌謡界に横滑りして入っていきました。
頭の中にある歌の感覚はシャンソンが大部分を占めていたのでテーマを選ぶときに、とくになく7,5調でなくてはいけないとか何にもなかった。

日本レコード大賞が3回、作詞賞2回、作詞大賞など色々。
自己模倣をするまいと云うことを厳に戒めて、Aを書いたら、B、Cを書くと云うふうにして新しい情熱の源になりました。
勝手に自分で自己開発をしてやって行くと云う感じです。
月のように様々な自分を持っているので、自分自身を征服していきたいと云うような思いがあります。
ある番組で「作詩は苦労なさいますでしょう」と言われたときに「いや、苦労はしないが苦心はするけどね。」と言ってましたね。(金田一談)
訳詩を1000曲をやっていて、オリジナルの作品とは違うと云うことがあり、「知りたくないの」も訳詩ですが、「過去」という言葉が生まれた瞬間にこの歌は俺のものだと云う所有欲が出てきて「知りたくないの」は是非ヒットして欲しかった。

「赤い月」の小説でみんなが突然歌い出す、そうすると力がでたり、違う世界に行けてしまうような体験が、歌に影響があると思います。
人間が塊になった時に、みんな生きることしか考えない、その時のエネルギーは凄いと思います。
そういうものの核になって存在しうるのが歌であって、そういう歌でありたいと思います。
長崎ぶらぶら節

仕事を取りに行った瞬間に相手の言うことを聞かなければならない、でも頼まれればこっちも言いたい放題言えるということはある。
ビジネス的なことはさておいてどうやるかということです。
どういう歌をどういう人に歌わせたらいいかと初めてそこから始まる訳です。
北原ミレイは阿久悠作詩「懺悔の値打ちもない」で衝撃的なデビューをしたが、5年間鳴かず飛ばずだった。
お鉢が回って来て、これは頑張らないといけないと思って書いたのが「石狩挽歌」でした。
練習曲を渡したらこんな曲は歌えないと泣き出してしまって、何とか3日かかって説得してやっと歌うことなりました。
良い歌の流れの中に自分も居たいと思うが、同世代の作品で上手いものもあって感心するが、褒め言葉ではなく上手いことやっているなあとか完全犯罪だなあとか、あります。
歌には文法が正しいとかは関係がないが、人の書いたものはついつい気になります。
「ちょいと一杯のつもりで飲んで」、「判っちゃいるけどやめられない」などあんな名フレーズはないですね。
安井かずみ、「肩をぬらす恋のしずく、・・・そうよ貴方は太陽なのね」この一言でドカンとやられていいなあと思います。

最近の歌は良く判らない。
なかにし礼としては、男の作詞家であることはもうとっくに忘れている、男でもなし女でもなし、人物配置は男であり女であることになっているが、男にも、女にもどちらにも入れ替われる様な真理としてはもっと男女と分け隔てできないような微妙なものがあり、みなさん勘違いをしていると思う。
具体例は色々あるが、真理は男も女も変わらない、たまたま女の表現を使っているが、心の動きの一番大事な核になるところは男も女も違わないところで書いているが、判ってもらいたい。(両性具有でないと)
入り混じった所から煌びやかな何かが生まれる。
僕の歌は男の人は女の歌詞で歌ってヒットしているが、そこにいくのには実は謎がある。
女の言葉で書いているが男の心理かもしれないかと言う歌を書いていると、それが影響して菅原洋一が歌うと実に良いとか、そういうふうなことになって行く。
僕の言葉で少ないのは「男一匹」とか「男の人生」とか非常に少ないです。
何時も入れ替われるように、と云う感じです。

*「石狩挽歌」 北原ミレイ
海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれからニシンはどこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ浜辺で オンボロロ
オンボロボ−ロロ−
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙でニシン曇りの 空を見る

 燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 ニシンの色よ
ソ−ラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれからニシンはどこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃさびれて オンボロロ
オンボロボ−ロロ−
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの夢を見る