2017年12月31日日曜日

原口泉(歴史学者)           ・郷土の英雄に魅せられて

原口泉(歴史学者・大河ドラマ「西郷どん」時代考証)・郷土の英雄に魅せられて
来年は1868年の明治維新から数えて150年の節目の年になります。
これを記念して西郷隆盛の生涯を描いた大河ドラマ「西郷どん」を1月7日から放送します。
林真理子さんの原作をドラマ化したもので時代考証は地元の歴史学者原口さんが担当します。
原口さんは東京大学で日本の近代史を学んだ後、永らく鹿児島大学教授として近代日本史の講座を担当しました。
その幅広い知識から「篤姫」や「翔ぶが如く」などの大河ドラマの時代考証を手掛けて来ました。
原口さんに言わせますと、西郷隆盛の国民的な人気は庶民性や大衆性にあるが、その原点は西郷の人格にたどり着くと言っています。
幕末期の鹿児島では西郷のほかにも魅力的な人物がたくさんいると言います。

林さんが鹿児島空港で「西郷どん」と言うタイトルの本が目について、それでこれにしようと言うことで原作のタイトルがそうなったと言います。
大河の時代考証は3つ目か4つ目ですが、こんなに盛り上がっているのは初めてです。
1月7日には鹿児島市内だけではなくてパブリックビューイングがあります。
オンエアー前から盛り上がってます。
西郷隆盛役が鈴木亮平さん、大久保利通役が瑛太(えいた)さん、二大俳優の共演です。
田辺聖子さんが1994年 20年以上前に西郷隆盛を書きたいと言うことで取材した時のお供した時がありました。
女性として西郷隆盛を描こうとしたが、御主人を亡くされてから幻の女性に依る西郷隆盛伝になりましたが、女性として西郷隆盛を描いてみたいと林さんが取り組みました。
西郷隆盛と3人の妻、京都でお世話をしたおとらさんらとのきめ細やかな交流を描くのは男性ではないでしょう。

篤姫の世話役をした西郷が恋心を抱いていたと言うことが、原作ではそうなっている。
林さんには心の中までは判らないでしょうと言われてしまいました。
(そういったフィクションの部分もある)
心の内は作家、脚本家にお任せする。
大きな筋は皆で合意する。
「篤姫」では家定はうつけのふりをしていると言うことで、嫁いでから篤姫はそれに気づくと言うことになった。
心の内に立ちいる居ることはドラマですよね、、人間の喜怒哀楽、羨望、嫉妬、憎悪、尊敬、憧れそういったもろもろの感情がドラマの人物に投影されている。
徳川慶喜と島津久光との2人の政治的対立、駆け引きと言う政治の世界、久光と西郷との対立、奄美大島の3年間の逆境、試練の時に女性の力によって人間性を取り戻してゆく、そういったことが心を打たれます。
愛加奈といと夫人が話をする場面が原作にはあるが、指摘したがそれは変えられませんでした。(事実としてはそれはないが)
ドラマでは菊次郎をめぐっての会話がある。
「西郷どん紀行」では史実に従って伝えたいと思っています。


1963年にケネディーが暗殺されて、ドラマで桜田門外の変で井伊 直弼が暗殺されて、歴史を身近に感ずるショッキングな体験がありました。
1964年にはアメリカに留学。
先の大戦とは鹿児島では西南戦争でした。
父も先の大戦とは西南戦争でした。
留学先はネブラスカ州でさきの戦争は南北戦争なんです。
対立はいまでも引きずっている訳です。
明治維新を成し遂げた最大の功労者は西郷隆盛ですし、私が通った甲南中学は近隣三地域の48名の偉人たちの名前が書かれた石碑のある学校でした。
近所は川村純義という海軍大将の家で、明治天皇の信任が厚くて昭和天皇がお生まれになった時に、3年間川村家で育ったんです。
父も薩摩藩の研究をやっていましたし、そういった処で育ったので、明治維新、廃藩置県、武士が一日で特権を自らかなぐり捨てた社会変革で、200万人いた武士が一挙に特権を失った明治維新、廃藩置県は凄い革命だと思いました。
自分の研究の主題に据えたのは、逆にアメリカの体験が有ったのかもしれません。
内村鑑三さんが西郷隆盛を世界に紹介しましたが、西郷さんの人格を評価したのは「ラストサムライ」というハリウッドの映画でしたね。

桂久武は親友として子供のころから育った。
沖永良部島に西郷が流されたときに家族の面倒をみたのは桂久武です。
愛加奈、菊次郎、お菊の面倒を見ています。
禁門の変、薩長同盟でも桂久武がアシストしている。
慶応3年討幕に藩論を纏めたのは桂久武、桂久武は薩摩藩の家老ですから。
藩主が3000人を率いて11月に京都に昇ると言うことはいままでに無かったことです。
その兵力が鳥羽伏見で旧幕府、合津、桑名に圧勝するわけです。
西南戦争では共に闘って城山で西郷と命運を共にする訳です。
桂久武は討幕戦争は新しい時代を作るので武士の時代を終わらせるので刀を鍬に持ち替えて開墾することを家来に命じている。

西郷が薩摩に帰って来て農本主義の思想を唱えるが、それを教えた上司がいて、迫田太次右衛門利濟と言う人です。
郡奉行に迫田がいて、迫田は痛烈な藩政批判をして、自分で職を去るが下士の西郷に歌を残している。
「虫よ虫よ 五ふし草の根を断つな たたば己も共に枯れなむ」
農民に対しては慈愛を持って農政しないといけない、と上司として身を持って教えた。
奄美に行ったときに、究極の目標、四民平等に辿り着いたのではないかと思う。
そのためには農民に対して慈愛の眼を持って接する「敬天愛人」の思想にたどり着いたのだと思う。
明治維新の革命は西郷隆盛の「敬天愛人」の思想に裏打ちされていると思う。
西郷さん、大久保さんが倒れてから農業を犠牲にして工業を偏重して資本主義化を図った、産業革命にもいち早く成功した。
農業と工業を一緒になって発展する自然な姿というものがおざなりになって、私たちが取り戻さなければいけない時代になっていると思う。
これからは農本主義に基盤を据えて安心、信頼、すぐれた日本の物を世界に提供する、食のジャポニズムという時代が到来していると思う。