2017年12月11日月曜日

清水宏保(男子500m 金メダリスト)  ・【“2020”に託すもの】オリンピックのむこうに見る夢

清水宏保(長野オリンピックスピードスケート男子500m金メダリスト)・【“2020”に託すもの】オリンピックのむこうに見る夢

見た目にも筋力が多いなあと伝わる様です。
太ももは今は64cm、現役当時は68cm位ありました。
現在札幌市内でジムとリハリビの施設を経営、最初は治療の方から始めて、リハリビ施設、訪問看護ステーション、そして昨年念願のスポーツジムをオープンしてきた。
運動がメインになりながらスポーツと医療が融合する施設作りを心がけています。
他のスポーツジムとはない形になってきたので、面白いかなあと思いながら運営しています。
医療の観点、アスリートの観点、リハリビを行うのは病院と決まっていたが、病院は在日数が決まっているが、退院した後もリハリビを続けられるジムは、若者だけではなく70,80歳の方でもスポーツジムに通いながらリハリビをしていくことが求められている。
80,90歳の方がスポーツジムに行っても何をやっていったらいいかわからないと言う時に、医療スタッフ、理学療法士を配置しているので、医療の観点からのスポーツジムと言うのも凄く需要としてあります。

1998年長野オリンピック(来年で20年)は、自分の人生を大きく変えてくれた出来事でした。
当時の事を鮮明に覚えています。
500m、2回滑ってその合計タイムとなる。
*当時のラジオ放送を再放送。
36秒08で金メダルを獲得することが出来るが、35秒59でゴール。
この種目オリンピック初めての金メダルを獲得。
私たちが滑る少し前の組の外国勢が転倒して競技が20,30分遅れてしまい、どうしようかとあわただしい状況がありました。
準備番たんの時にそのアクシデントがありました。
1分単位で準備して待っているスケジュールで組んでいたので、動揺が生まれました。
集中力、体力的なものも左右されます。
あわてても仕方がないと思って、スケート靴を脱いで戻って気持ちを落ち着けようと思いました。

リンクの中央部分で大の字に寝たことを覚えています。
1回目のスタートが合わなかった。
何故リスタートなのか、怒りが起きました。
1/100秒を争うスケートなのでスタートの第1歩が物凄く大切になって来る。
僕の場合は1歩目が決まればそのときのレースは9割がた決まってくる。
2回目もいいスタートを切れたと思う。
300mまでは失敗をしないように頑張っていこうと思って滑り、最終カーブを回った時にふっとスローモーションの感覚があり、もうオリンピックは終わってしまうのかこの感覚を味わっていたいと言うような感覚が残り150mでありました。
凄く冷静な判断が出来た様な感覚がありました。

一発勝負に強くなる練習はしていました。
練習のすべて全力でこなすのではなく、一日1本でもいいから全力でこなす練習をして自然と集中力が身に付きました。
ヘッドフォンで音楽を聞いて外からの音を聞こえなくすることも、話しかけないでくださいと言うアピールでもある訳です。
肉体を知り尽くすことも心がけていました。
私の場合はぜんそく患者なので肺が弱くて、皆の練習についていけないと言うことが有った。
ハードな練習をして肉体を鍛えて、肺を鍛えて行くと言うことをしました。
精神的な強さも作り上げることにもつながっていきました。
北海道帯広生まれで、喘息をコントロールしていこうとして、父親が色んなスポーツをやらせてくれて、スケートだけは続けたいと思っていました。

30歳を越えたぐらいから身体がいうことを聞いてくれない、なかなか回復しなくなった。
1本にかける勝負も出せなくなってきた。
世界記録を4回塗り替えたが、33秒台をだしたい気持はありました。
勝負と記録への挑み方、ふたつの勝負ポイントがあったが、それでモチベーションを保っていた。
レースの前は身体をほぐし過ぎてもいけないし、方法も大事。
マッサージを受けながら画像診断しているようなイメージでマッサージを受けるが、受け身ではない。
自分とトレーナーと一緒に身体を仕上げて行く作業をしています。
喘息、腰痛との戦いがありそれが今のビジネスに繋がっています。

30歳を過ぎてから、次の人生をどうしようかと悩んでいました。
35歳で現役引退しました。
1年間はどうたらいい判らず、講演などをしていました。
その後大学院に入って自分がどうして行ったらいいか、気付き始めた時期でもありました。
どんな選手であろうと、アスリートのセカンドキャリアーは一度は悩むことだと思います。
現役時代もっとぼろぼろになるまで挑戦してれば良かったなあというような、悔いがちょっとあります。(そういった処から得るものがある。)
ピークを過ぎると何故自分が思い通りの動きが出来ないんだろうとか、自分と向き合う事が出来るが、ピークの時には何も考えない場合が多い。

企業スポーツは福利厚生の中でスポーツが成り立つというところでやっていたが、それではスポーツは続かないと言う思いと、スピードスケートを少しでも企業から注目してもらいたい、メディアに扱ってもらいたいと言うふたつの思いがあった。
橋本聖子さんとも相談してプロ化の道もあると言う話もあり、前提としては長野オリンピックで金メダルをとることが絶対条件と言うことがありました。
今はプロ化の選手は多く輩出している。
多くの子供達がスポーツとしっかり向き合って、将来的にもお金を稼げるんだと言うことをしていかないとスポーツ人口はなかなか増えていかないのかなあと思いました。
今度のオリンピックは期待してもらいたいです。
高木美帆選手、小平奈緒選手、今シーズンも最高に状態がいいです。
自分を客観視することが出来る選手でなければいけない。
オリンピックなどで戦う選手はもう一人の自分を作り上げていかないといけないと思う。

2020年に託すものとしては、全体的に見ていく時には、経済面でオリンピックを縮小化して行く事業モデルになってほしいと思います。
日本のスポーツがいま変わろうとしているタイミングで、スポーツ省が出来て、選手たちのセカンドキャリアーの指導も行ってきて、支えて行こうとしていて、今までになかった流れになって来ている。
まだ形がはっきりしていないかもしれないが、2020年には大きな形として示されていくのかなと思っています。
2020年以降の選手たちには、退いた後の生活も支える様な文化になっていくのではないのかなと感じています。
すそ野が広がれば、世界で活躍するアスリートがたくさん生まれてくるのではないのかなあと思っています。