頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】ベートーヴェン
「私は何度も神を呪った。
神は自らが作り出したものを、偶然のなすままにして顧り見ないのだ。
そのために最も美しい花でさえ滅びてしまうことがある。」(ベートーヴェン)
手紙、手記、耳が聞こえなくなったときに筆談するときの手帳などが残っていてそれを紹介します。
子供時代は父親がアルコール依存症で、自分は働かないで、子供に働かせていた。
思春期には母親が亡くなって、さまざまな病気に悩まされ続けて、恋愛はすべてうまくいかなくて一生独身で、お金にも困ることが多くて、晩年に甥(弟の子供)にも悩まされ続ける。
一生次々苦難が襲ってくる。
「人生は美しい、しかし私の人生にはいつも苦い毒が混じっている。」(若い頃の言葉)
27歳頃からかなり難聴で、30歳でほぼ聞こえなくなる。
ずーっと隠していたが、2人の親友に手紙で打ち分ける、その一節が冒頭の物。
その続きが「私にとって最も大切な聴覚が、どうにも駄目になってきたんだ。
私はなんて悲しく生きなければならないのだろう。」
私も難聴になったことがあり、思っていたことと違う。
聞こえないから静かだと思うが、難聴って凄くうるさい。
①耳鳴りがひどい。
②聞こえないがある種の音が非常につらく響く。
③人間は音で気配を察知するが、気配が失われる、そうすると不安が入って来る。
(不気味な気配を逆に感じてしまう。)
ベートーヴェンは①,②について書き残している。
作曲しようとしたら大変なことだと思う、良く作曲できたと思う。
他にいつも腹痛下痢に悩まされていた。
目もよくなかったし、天然痘、肺の病気、リュウマチ、黄疸、結膜炎とか色んな病気になって悩んだ。(元々身体が弱かった。)
28歳で「悟った人間になることは簡単なことではない」と言っている。
「神が与えた試練で乗り越えるべきものだとは思っていないで、偶然なったと、偶然のなすままに神はするんだ」と、文句を神様に言っている。
そうはなかなかとらえきれないものです。
偶然と思ったときに苦しみは倍増すると思います、必然を人は求めると思う。
因果関係を人は求めたがる。
現実には全くの偶然にひどいことが起きてしまったりする。
それを受け止めかねてベートーヴェンはくるしんでいて、それをあくまでベートーヴェンは偶然ととらえていて素晴らしいと思います。
*「運命」
「出来ることなら私は運命と戦って勝ちたい、だがこの世の中で自分が最もみじめな存在なのではないか、と感じてしまう事が何度もある。
諦めるしかないのだろうか。
諦めとはなんて悲しい隠れ家だろう。
しかもそれだけが、今の私に残されている隠れ家なのだ。」
1801年 30歳の時の親友あての手紙の一節。
「運命」はこの手紙の何年も後に作曲されたもの。
最初のフレーズは難聴になったころにつくられたものらしい。
最初の処はどういうものかと聞かれて、運命がドアを叩く音だと、ベートーヴェンが答えたので「運命」と言うタイトルになったと言われている。
「これらすべての不幸を超越しようと私も頑張ってはみた、しかしどうしたら私にそんなことが出来るだろうか」
「諦めしかないのか、しかし、諦めとはなんと悲しい隠れ家だろうか」と言っている。
受け入れて静かに心を落ち着けると言うこともあるかと思うが、ベートーヴェンは悲しい隠れ家と言って諦めない。(しかし苦しみ続ける。)
「希望よ、悲しい気持ちでお前に別れを告げよう。
いくらかは治るのでないか、そういう希望を抱いてここまで来たが、今や完全に諦めるしかない。
秋の木の葉が落ちて枯れるように私の希望も枯れた。
ここに来た時のまま私はここを去る。
美しい夏の日々が私を励まし、勇気も沸いたがそれも今は消え去った。
ああ、神よ、一日でもいいから私によろこびの日を与えてください。
本当の喜びが心に響き渡る、そういうことからなんと遠くなってしまったことでしょう。
再びそんな日が来るのでしょうか。
もう決して来ない。
そんな、それはあまりにも残酷です。」 (ハイリゲンシュタットの遺書から)
ハイリゲンシュタットに温泉治療にやって来て、遺書を書くと言う展開になる。
腸の調子も悪く、難聴の治療に来たが腸は良くなるが、耳は良くならないまま去ることになる。
自殺しかかるが、思いとどまった後に書いている。(希望に別れを告げている。)
これから10年間の間に、さまざまな名曲を次々生み出す。
「英雄」、「運命」、「田園」など生涯に作った半分ぐらいは、この時期に生み出されている。
希望を持ち続け過ぎてゆがんでしまうこともある。
あがかないで難聴のなかで曲を作って行く決意をする。
絶望はなにも取れない土地ではなくて、色んなものが収穫できる土地でもあると思う。
「辛いことを辛抱しながら考えてみると、一切の災いは何かしら良い物を伴ってきている」、とも言っています。
しかし絶望はない方がいい、「ああ、この病気が治りさえしたら、私は全世界を抱きしめるだろう」、「今の不幸の重荷の半分だけでも減らすことが出来たらどんなにいいだろう」ともベートーヴェンは言っている。
「不機嫌でうち解けない人間嫌い、私のことをそう思っている人は多い。
しかしそうではないのだ。
私がそんなふうに見える本当の理由を誰も知らない。
私は幼いころから情熱的で活発な性質だった、人との付き合いも好きなのだ。
しかしあえて人々から遠ざかり。孤独な生活をおくらなければならなくなった。
無理をして人々と交わろうとすれば、耳の聞こえない悲しみが倍増してしまう。
辛い思いをした挙句、又一人の生活に押し戻されてしまうのだ。」
服装もどんどん無頓着になって行く。
「汚れた熊」とあだ名されたり、汚い為逮捕されたこともある。
潔癖症でよく手を洗っていて、何か精神的な疾患があったのではないか言われるが、そうは思わない。
人に会わなくなって服装に無頓着になるのは当たり前だと思う。
胃腸の弱い人はよく手を洗う傾向がある。(これらは何ら矛盾はない)
孤独と身体の不調のため。
映画でスマホ操作をしている人がいるが、マナーが悪いと言われるが、視覚障害の人がスマホで音声ガイドを聞いていたりする人がいる。(何か事情があるのではないかと思うことも必要)
優しく注意すると向こうも言いやすい。
*「歓喜の歌」
「苦悩を突きぬけて、歓喜に到れ。
羊飼いの謡う歌が聞こえてきて、みんながそれに耳を傾けているときに、私だけが全然聞こえ無かった時、それはなんという惨めさだっただろう。
自ら命を断つまで後ほんの少しの所だった。
私を引きとめたのは芸術だった。
自分が使命を感じている仕事を成し遂げないで、この世を見捨ててはいけないように思われた。」 (友人への手紙よりの引用)
「私たちはひたすら悩むために、そして歓喜するために生れついているのです。
最善なのは苦悩を突きぬけて歓喜に到るところでしょう。」と言っている。
「苦悩を突きぬけて、歓喜に到れ。」
「いちばん深い地獄にいるものほど清らかな歌を歌うことが出来る。
天使の歌だと思っているのは、実は彼らの歌なのです」 (カフカの言葉)
暗い谷の底にいる人間ほどうえの明るさを求めて、明るさに感激するし、明るさの値打ちを一番知っているのは暗い谷底にいる人間だと思う。
ベートーヴェンは絶望の中にあったからこそ、歓喜の素晴らしさをだれよりもわかっていてそれを凄く願った。
歓喜の歌を作曲したが、まだ谷底に居て歓喜を求め続けて、そこから歌っている歌だと思います。
歓喜の値打ちが一番身にしみているから、そこから歌ってくる歌声が一番歓喜のうつくしい歌なんではないか。
ベートーヴェンの歓喜の歌もそういう曲だと思う。
めでたしのお祝いの曲ではなくて、苦悩から見た歓喜の輝きの曲、だから苦悩している人々に非常に響くのではないかと思う。
第九はベートーヴェンが生きている間は評価されなかった。
第一次世界大戦の後、年末に平和を願って第九が演奏されて、そこから年末に演奏することが始まっている。
日本の初演も第一次世界大戦の時に、日本のドイツ人捕虜収容所でドイツ人が演奏したのが日本での最初です。
大変悲惨な戦争が有ってそこから平和を求めるとか、捕虜収容所から平和を求めるとか、大変悲惨な状況から歓喜を求めるときに、演奏されて再評価は進んで行った。
彼が一番大事に思ってるのは「人間の善良な心だ」と言っている。
悲惨な中で、何とか生きる、生きると言うことだけでほかの人の励みになるのではないかと思っていたのが、ベートーヴェンの思っていた事だと思います。