2017年11月23日木曜日

カール・ベンクス(建築デザイナー)     ・古民家で集落再生

カール・ベンクス(建築デザイナー)     ・古民家で集落再生
美しい棚田で有名な新潟県十日町市、市内竹所地区には、外壁がピンク、イエロー等の民家が並んでいます。これ等の家は近くに住む カール・ベンクスさんが改築や移築したものです。
ベンクスさんはドイツ、ベルリン生まれで、75歳。
建築デザイナーとして仕事を続けていたベンクスさんは、日本の原風景の中で暮らしたいと、十日町に古民家を購入、自ら改修して移住しました。
ベンクスさんが改築や移築を手掛けた古民家は8軒になります。
それまで地区では過疎化が進み廃村の危機に直面していました。
しかしベンクスさんが関わる古民家が増えるにつれ、古民家や古民家を元に作られた、シェアーハウスに住む人が増えてきました。
若者やや子供が増えた竹所は奇跡の村とも呼ばれ見学者が絶えません。
古民家を蘇らせたベンクスさんの取り組みとはどういうものなのか、伺いました。

自宅も古民家を改修したものです。
約130年、140年前に建てたものです。
新潟は雪国なので頑丈に出来ています。
床暖房とか時代に合わせて作れば住みやすいです。
初めてみた時にはこの家は茅葺で、倒れそうでいた。
こちらに来た時は50歳ぐらいでしたが、この家は100%守りたかった。
ベルリン、パリ、東京といった大きい町にしか住んでいませんでした。
父は日本の大ファンでした、亡くなりましたが日本の文化を残してゆきました。
浮世絵、印籠、脇差、とか、日本の住まいについての本が結構ありました。
日本の暮らし、建築などが細かく書いてありました。
そういったものに触れて私の人生は変わったんじゃないですかね。
ドイツではデザイインを勉強しました。
1961年に東から西に逃げて来て、西ベルリンの会社に入って、インテリアの仕事をしました。
勉強のためにパリに行き空手をやりながら2年半なんでも屋さんで色々やりました。

日本に対しては子供の頃から興味がありましたが、日本は遠くてなかなかいけませんでした。
空手をやって日本の先生と親しくなりました。
1964年の東京オリンピックで柔道をやっていて、合宿でフランスに集まりました。
その時日本大学から空手部が何人か来て、空手を学びました。
1966年に船だと安いので、日本の神戸に着きました。(5週間の船旅)
日本大学で、水道橋に空手の道場があり、そこに通いました。
船上で知り合ったドイツの柔道を習う人がいて、アルバイトの仕事を紹介してもらいました。
日大で午前中は空手の練習、午後はドイツ語を教えることなどをやっていました。
ドイツ商工会の人と知り合いになり、1970年の大阪万博のドイツ館を手伝ってくれるようにとの依頼があり、日本の大工さんと職人などと知り合いになりました。
日本の建物、旅館とか残っていてそれを見たら素晴らしい雰囲気で、ヨーロパで紹介したいと思いました。

1977年、妻と知り合いになり、彼女は東京があまり好きではなくて、ヨーロッパに帰ろうと言う話になりました。
日本の建築と内装などをドイツで紹介しようと思いました。
最初は小さな規模で、ドイツのレンガの建物の中でやりました。
日本人の方で奥さんがドイツ人で 故郷の雰囲気が欲しくて建物の1部屋の内装をしようと言う話だったが、材料もないしドイツ人にはできないので、日本のお客さんと打ち合わせをして、日本人の職人を呼べばいいじゃないかと言うことで、知りあいになった職人さんに話をして2人来ました。
3週間で出来ると言うことで、それで最初始まりました。
出来合いは凄く良かった。
先ず大きな倉庫を借りて、材料がないので石灯籠、庭石とかも持ってきました。
竹もそうです。

ドイツでは内装は40件ぐらいやりました。
建物は4件ぐらいやりました。
最初は仕事はたくさんあると思っていましたが、日本人はあまり興味を持たなかった。
ライン川の隣のおおきな土地を手に入れて、小さな家を作ってお寺もたてました。
新聞で飛騨高山の建物の紹介記事があり、お客さんが興味を持って、偶然に新潟県の竹所に来る機会があり、一緒に十日町に来ました。
倒れそうな家があり、これはドイツには持っていけないと思いました。
でも中に入ってみると頑丈そうでした。
簡単に直せると思っていました。
周りは田んぼがあり、山があり気にいっていました。
ここは過疎化が進んでいました。
でもここでいいと思いました。
茅葺はやめた方がいいとか言われましたが、家を直していきました。
来るたびに好きになって来ました。

1993年秋に解体して翌年基礎から作りなおし始めました。
2年をかけて作りなおし、住めるようになりました。
東京とは違って、妻も気にいってくれました。
村には以前は38,9軒あったんですが、私が来た時には9軒しかなかった。
家を壊す話がありもったいないと思いました。
これを綺麗にして新しくして、住む人を誰か探そうと思いましたが直ぐ電話が来たりしました。
自然が好きな人でこの家を買ってもらいました。
若い人たちが増えて来て、地元の人はびっくりしました。
今は13軒あります。(地元の人たち5軒と新しい人たちが8軒)
修理して住めるようになった古民家がどんどん増えてきて、限界集落と言われていたところが、人口が増えて16人になりました。
インターネットがあるし、村にも10年前から光ファイバーが入っています。
インターネットで新しい仕事が出来るようになりました。
 
仕事が認められて政府からふるさと大賞を貰いました。
凄くうれしいです。
竹所は私の故郷になりました。
最近20年持てばいいと言うような、日本の建物は使い捨てみたいな感じですが、古民家は家族の財産だと思います。
田舎ではまだ残っているので次の時代の子供のために保存すべきです。
一番大事なのは骨組みを残すと言うこと、壁、屋根は傷むので変えなければならない。
時代に合わせて断熱材、床暖房、キッチンなどは10年ごととか20年ごとに替えればばいい。
壊さないで保存すれば後で何とかなる。
「古い家の無い街は思い出がない人と同じ。」 東山魁夷(ひがしやまかいい)の言った言葉ですが、凄くいい言葉です。