本郷和人(東京大学史料編纂所教授) ・【近代日本150年 明治の群像】与謝野晶子
講談師 神田蘭
与謝野晶子は「君死にたもうことなかれ」の詩で有名 情熱的な人。
講談での紹介
本名鳳志よう(ほうしよう) 明治11年現在の大阪府堺市に和菓子屋の3女として生まれる。
幼いころから朱子学、儒学を学び、女学校に入学すると樋口一葉、尾崎紅葉、源氏物語等を読みまくるようになる。
短歌を新聞、雑誌に投稿する様になる。
歌人与謝野鉄幹が大阪で歌会を催すとの情報が入り、晶子は歌会に参加する。
憧れの歌人で、ひと眼見て惚れ込んでしまう。
鉄幹には奥さんがいたが、愛を深めて行く。
禁断の恋が晶子を女にさせ、悶々とした思いが短歌を作らせてゆく。
晶子は家を飛び出し、東京にいる鉄幹のもとに行く、鉄幹も離婚して晶子と結婚する。
歌集にする「乱れ髪」
「春みじかし 何に不滅の 命ぞと ちからある乳を 手にさぐらせぬ」
人生は永遠ではないのだから、自分の張りのある胸にあなたの手を導く。
「みだれ髪を今日の島田に反し朝伏して今背の君ゆりおこす」
みだれ髪を綺麗に結い直して朝寝するあなたをゆり起こします。
「乱れ髪」が明治34年に発表されると一大センセーショナルを巻き起こす。(23歳)
晶子は文壇のスターに押し上げることになる。
鉄幹は影が薄くなり、浮気をするようになる。
鉄幹があこがれていたヨーロッパに送り出すが、晶子も子供を日本に残したままヨーロッパに旅立つ。
このヨーロッパの旅が二人におおきな影響を与える。
官能女流歌人、反戦歌人、女性運動家と言う色々な顔を持つようになる。
22歳のときに鉄幹との運命の出会いがあった。
当時はひどい拘束を受けていた中で、こういう人が先頭に立たないとだめだったのかもしれない。
赤裸々な歌を作るのは勇気のあることだと思う。
3女なのであまり大切にされなかったので、あんまり守るものがないので自由にできたのかなあとも思ったりします。
「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」
(若い女性の情熱的な恋心に触れもしないで、人としての道ばかりを説いているあなた、さびしくないのですか?)
樋口一葉、尾崎紅葉、源氏物語等の影響が大きかったのでは。
「乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き 」
(胸に手を当て、隠された神秘な場所を開けてみると私のはなびらのような女陰が興奮の為に紅潮しています。)
鉄幹28歳、晶子23歳のときに結婚する。
11人の子供をもうけ、育てる。
「君死にたもうことなかれ」
日露戦争で旅順を落とさない限り勝利はなくて、物資を運ぶためには制海権が必要だったが、旅順港を何としても落とさなければならなかった。
203高地での沢山の犠牲が出てもやらなければならなかった。
それができなかったら日本の国土の少なからざるところをロシアに取られてしまったかも知れないと言われている。
1904年に日露戦争が勃発して、8月には旅順の第一回総攻撃で死傷者が1万5000人が出た。
そこに弟の鳳籌三郎(ほうちゅうざぶろう)がいた。
「君死にたもうことなかれ」
(旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
ああおとうとよ 君を泣く
君死にたもうことなかれ
末に生まれし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとおしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや
堺(さかい)の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば
君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶとも
ほろびずとても 何事ぞ
君は知らじな あきびとの
家のおきてに無かりけり
君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣(けもの)の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されん
ああおとうとよ 戦いに
君死にたもうことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまえる母ぎみは
なげきの中に いたましく
わが子を召され 家を守(も)り
安しと聞ける大御代(おおみよ)も
母のしら髪(が)はまさりぬる
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にいづま)を
君わするるや 思えるや
十月(とつき)も添(そ)わでわかれたる
少女(おとめ)ごころを思いみよ
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき
君死にたもうことなかれ
「君死にたもうことなかれ」に吉岡しげ美が曲を付けて自ら歌っている。
「すめらみことは 戦いにおおみずからは出でまさね」と言うところがあるが、今の世の中だったら炎上必死ですね、大変なことになったでしょうね。
魂の叫びみたいなものが全てに優先する。
情熱が全面的に展開する。
自分の感情がほとばしる感情が何よりも凄い。
平塚らいてうの「青鞜」にも創刊号に詩を寄せている。
詩「山の動く日きたる」
「山の動く日来(きた)る。
かく云へども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称にてのみ物書かばや。われは女ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。われは。われは。」
晶子の創作の泉は鉄幹だったのかもしれない。
晩年 戦争賛美のような詩も作っている。
感性で生きている、自分に正直に生きている人。