2017年11月2日木曜日

望月絹(江戸屋旅館27代目女将)      ・南アルプス 麓の一軒宿

望月絹(江戸屋旅館27代目女将)      ・南アルプス 麓の一軒宿
山梨県早川町赤沢に江戸時代の面影を今に伝える一軒の宿屋があります。
宿を切り盛りするのは江戸屋旅館27代目女将、望月さん(93歳の現役女将)。
鎌倉時代日蓮が開いた日蓮宗の総本山身延山九遠寺と、その信仰の山七面山を結ぶ参詣道の宿では昭和の中頃まで6軒の宿が軒を並べ険しい山中の参詣道を行く旅人の宿としてにぎわっていました。
赤沢の集落は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、現在営業している宿屋は望月さんの旅館一軒になりました。
宿場町の伝統を守り、信仰の旅人を温かく迎え道中の糧となるおにぎりを提供し続けてきた宿の女将望月さんに伺いました。

50町行くと七面山 今から紅葉になるので綺麗です。
家の前にイチイの木があり赤い実がなります、200年近い木だと思います。
お客さんは信仰のお客さんです。
白装束で「南無妙法連華経」とたいこを叩いているお客さんもいます。
今は観光客がバスで往復していてここは関係ないですが、昔はここを通らないといけなかったですが。
100人泊ったこともありますが、今は古いからそんなにお泊めできません。
おにぎりは500人、登りに500人、下りに500人です。
150gぐらいで団体によってこぶ、梅干しなどを入れたりします。
おにぎりも熱いうちに握らないといけないので手を真っ赤にしてやっています。
7時には弁当を持って上がります。
11時ごろには戻って来ます。
外人さんもいます。

小学校にあがるころは白装束のお客さんで一杯でした。
遅くなると懐中電灯はなくて提灯を持っていました。
「しょいこ」が荷物、食糧をしょったり、石油までしょって行きました。
おんぶしたり、かごを担いだりして、生計を立てている人たちがいました。
電気は子供のころは入っていましたが、ランプのところもありました。
薪ではいっぺんに燃え付かないので、へっついに杉っ葉、もやをくべて、薪をくべてはじめて燃えて、ご飯も薪、お風呂も薪でした。
山から呼んである水を我家まで来て、他の5軒のでは自分の家まで水を担いで、自分の家のかめに一杯にして柄杓で使うんです。
昭和22年に結婚しました。
子供が大勢いる時代で当時の子供達は奉公にいったりしていました。
小麦がとれてほうとうと言って野菜を一杯入れてうどんを食べました。
豚肉、牛肉などは食べられませんでした。

戦時中はいろいろ怖い目に逢いました。
この辺には爆弾が7つ落とされました。(20年3月)
戦時中はお客さんも自分を守るのが大変でお客さんはきませんでした。
さつまいもを作っても供出で、供出、供出で大変でした。
江戸屋は長男が継いで、次男は家を建てて貰って新屋で、私の家は江戸屋の新屋なんです。
そうして江戸屋の地類が5軒あります、皆望月です。
ですから私は新屋から本家に嫁ぎました。(17歳で許嫁になりました)
夫になる人は戦地に行っていて昭和21年に戦地から帰って来て、22年に結婚しました。
戦後ぼつぼつお客さんが来るようになりました。
男3人、女1人 4人生んでいるので大変でした、食料も無かった時代でしたので。
トイレの肥え桶を担いで、人を頼んで男も女も畑にまいていました、
お客さんと村の言葉は使い分けていました。

お客さんも来る時は白装束ですが帰る時はスーツに着替えて、来る時と帰る時では段違いです。
身体も元気なのでこの歳までおにぎりを握ることができます。
身体が続く限りは元気に頑張りたいと思います。