五街道雲助(噺家) ・らくご街道半世紀
平成25年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、平成28年度には紫綬褒章を受章しています。
昭和23年墨田区本所生まれ、通好のみの本格化として親しまれている噺家です。
明治大学に入学してそこで落語にはまり大学を中退、古今亭 志ん生の長男の金原亭馬生に入門しています。
弟子3人、桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼龍玉、いずれも実力、人気のある落語家3人の弟子を抱えています。
五街道雲助の名前の経緯、二つ目になるときに何かいい名前がないかと思ったが、小粋な名前は好きではなかった。
師匠が俺は隠居したら五街道雲助になると言っていてそれが頭に残っていました。
五街道雲助を貰いたいと伺ったら、お前ならいいだろうと言われました。
本来「五海堂雲輔」だったが、五街道雲助になった。
なった当座は非難ごうごうだった、良い名前だなと言ってくれたのは立川談志師匠だけだった。
今の若い人は雲助の意味を知らない事はちょっとさみしい。
平成25年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、平成28年度には紫綬褒章を受章。
最初の賞の時は地味にやっていたので意外だった。
皇居に上がって天皇陛下にお会いすると聞いて、雲助が天皇陛下の前にいっていいのかと思いましたが。
立川談志師匠からは江戸の風を感じると言われました。
芝居話はやっています。
芝居はお袋が好きだったので子供のころから歌舞伎座に連れていかれたりしました。
団十郎、幸四郎、松緑3人が勧進帳を交代でやったのを小学校の頃観てたりしました。
落語もお袋が好きで鈴本等によく行きました。
三亀松(みきまつ)師匠の時は色っぽ過ぎて、子供には聞かせられないとその時はお袋には連れていって貰えなかった。
昭和23年墨田区本所生まれ、(戦後すぐは爆弾あられ屋、せんべい屋)蕎麦屋をやっていました。
子供のころは病弱だったので注射慣れしていました。
さん助師匠は当時爆笑王だった、川柳さん、談志師匠の小ゑん時代とか面白かったです。
両国中学(墨田区の学習院と言われた)にいって、12クラス有りました、そこで挫折しました。
明治大学付属高校に行きましたが、クラブ活動もやっていませんでした。
高校2年の時に進路指導があり、明治の商学部に行きたいと言って、3年の時に受験勉強を開始して商学部に入ることが出来ました。
人前で話すのが苦手で、落語研究会に入ることになりました。
文化祭では落語は花形だった。
新宿末広亭、人形町末広亭、鈴本、池袋にも毎日のように通っていました。
2年の終わりごろ、不可が10幾つありやばいと思って勉強しようと思ったら、教科書が無かった。(全部落語を聞く方に費やしてしまった。)
最初の文化祭ではお袋が聞きに来てくれて面白かったと言われて自信が付きました。
蕎麦屋、鮨屋、天ぷら屋などを父が広げてやるようになりましたが、後を継ぐことはありませんでした。
噺家になって二つ目になった時に父からもそろそろやめないのかと言われました。
噺家になろうと決めて、師匠としては小さん師匠か、馬生師匠かどちらかにしようと思いました。
小さん師匠の家を訪ねていったら、沢山弟子がいて、師匠にも合うことが出来ず断わり続けられました。
馬生師匠の所にいって、2回目に両親をつれていって入門することになりましたが、誰もいないはずの弟子が5,6人ました。(当時落語がブームで多かった。)
噺家の生活が新鮮でした。
師匠は朝の10時から日本酒でちびりちびりとやるわけです。
昼寝して1,2時になると風呂を沸かして風呂からあがって又ちびりちびりやるわけです。
雪駄を履いておかみさんが後ろから切り火をきって行ってらっしゃいと言って、「おう」と言って出かけて、なんと良い師匠なんだろうと、俺もいずれこういうことが出来るんだろうかと思ったがとんでもない、出来なかった、羨ましいと思いました。
当時年始に5.6か所回っていい気持になってしまいますが、今はないですね。
入門当時は「駒七」と云う名前で、1972年にふたつ目になり「五街道雲助」となり、1981年に真打ち昇進。
当時真打ち試験があり、山口百恵の結婚式と同じ日だった。
10数人試験を受けて7人が受かりました。
幹部が桟敷にいて、拍手もないし座椅子に坐っている人が一人いてそれが談志師匠で今までの中で最悪の客でしたね。
今は真打ち試験はなくなりました。
1982年に馬生師匠が亡くなり、残念でした。(54歳)
師匠みたいになりたいと思っていましたが、いきなりいなくなり稽古してもらえないで困ってしまいました。
落語の速記が大変多くて(古速記)、それが残っていて勉強できるので、それに頼った所があります。(調べながら勉強しました。)
44歳ぐらいで弟子を取ることになりました。
桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼龍玉。
桃月庵白酒は落とし話、隅田川馬石は人情物もできる、蜃気楼龍玉は圓朝ものが得意でやっています。
それぞれに持ち味があって面白いと思います。
入門志願者は10数人いたんですが、3人でちょうどよかったのかなと思います。
今は孫弟子もいます。
今までやってきた話の中で、こう変えれば面白いかな、と言うようなやり方で話は斬新になるなあと思っていて、そういうふうにやっていければなあと思います。
「なんでもいいんだよ、でもどうでも良いと言う訳ではないんだよ」うちの馬生師匠がよくいっていました。(役がつかめていればどうでもいい)