2017年11月29日水曜日

藤岡弘(俳優)              ・ヒーローを貫く人生

藤岡弘(俳優)        ・ヒーローを貫く人生
特撮TVドラマ仮面ライダーを初め、去年の大河ドラマ真田丸では勇猛な武将、本田忠勝役などを演じるなど50年以上活躍してきた藤岡さん、役者人生と並行して、国内の施設や被災地、世界の難民キャンプや紛争地を訪れて支援を行ってきました。
これまでに訪問した地域はアフリカの国々、イラク、カンボジア等100以上に上ります。
支援活動を行う理由、故郷愛媛県での少年時代のことなどを伺います。

紛争地の難民に対する救済、支援、必要とされる物資、食糧を持っていったり、義援金などを仲間と一緒に運んでみなさんに渡してゆく。
特に子供を中心に考えました。
40年以上になります、世界100カ国以上になります。
世界の色んな修羅場を見てくると自分の目のうろこが取れるごとく、今までの人生観や価値観が変わります。
生で見て、こういう中でも生きている子供達を見て、涙が出て止まらなくなる様な体験を何度もさせてもらい、私の中が変化してきました。
仮面ライダーが始まった当時、子供達の声が高まってきたときにふっと思い出して、孤児施設などをまわって子供達を励ましたりしていました。
デパートのサイン会、ファンとの交流とか有ったので、色んなものを貰うのでそういうものを届けていて、そのころから始まりました。
子供達は私と会うことで喜んで、子供が物凄く元気になって行くのを見て、こんなに影響が有るんだと、子供との触れ合いの中で感じるものがありました。
ヒーロー像はこんなに影響力があるんだと初めて知りました。
当時はボランティアなどと言う言葉もありませんでした。

わたしが生まれ育ったところが愛媛県の44番目の札所の大寶寺という所の近くにある駐在所で生まれました。
お遍路さんが行き交う中で両親が接待している姿に触れていました、それが普通なんだと思っていました。
それの延長線上で人にやってあげることが、人間として当たり前なんだろうと思っていましたが、実は特別なものでボランティアだと言うことが後になって判りました。
お米、柿、みかん、いも、トウモロコシなどをあげて、子供連れにはお菓子等、おはぎを渡していました。
良い方を、大きい方を上げるようにとの両親の教えがあったので、そういうのが当たり前のごとく自分の中で育くんでいったと思います。
母は厳しかったです。
お花、お茶、琴、和裁、和食などを村の娘さんたちに教えて居て、父は武道をやっていまして、両親の影響を大分受けました。
或る時に、喧嘩して相手を傷つけてしまい、仏壇の前に坐らせられて懺悔させられて、これ以上人様にご迷惑をおかけするのならあなたの命を頂戴しますと言われて、真剣に涙を流して怒られました。
母の真剣さに打たれて言いたいことが一杯あったが、土下座させられて、その時の怖さは今でも忘れられません。

母の人のために一生懸命奉仕する姿を見ていた、特にお遍路さんの話を聞いていたりお年寄りに親切にしていました。
当時は洋服などもボロボロでいつ風呂に入ったのか判らないような人にも風呂に入れてやり、父の服に着替えさせて、おいしいものを食べさせておにぎりも持たせて、送ってた姿を見ていました。
その後の私のボランティア活動に影響を与えました。
紛争地に行くと、難民の人たちは着の身着のままで食わず飲まずに逃げてくるのを見たときに、母の事を思い出して自分の中で人生観が変わって来まして、感謝、今自分が生きていることは普通ではないんだと、多くの先祖の犠牲のもとに今自分が有るんだと感じました。
エチオピア、ガーナ、ギニア、カンボジアなど紛争地は国が崩壊している状況で、地位、名誉、金、物などは関係なくなって、生き残っているものの本能、欲望がどんな立場だった人も一般の人も関係ない、生きるための欲望がそのままもろだしになってしまう、醜い状況が見えてしまう。
生きるために相手を殺してでも生きるとか、くれなければ食ってでもいきる、人間の本質が出てしまう、地獄です。
人間の醜いものが全てさらけ出される。
理不尽、矛盾、非常識、容赦がない。
そこには何があってもおかしくない、死ぬか生きるか、それしかないです。

行く前には遺言を書いて、なにかあった時のために仏前に置いて行っていました。
普通は国の玄関で物資を渡して帰って来るのが普通らしいが、物資を渡すと消えてゆく、難民キャンプまで届かない(税関の処でも無くなって行く)、届いても数少ないと言うことで、実際にキャンプまで届けると言うことが重要で、危険ですがそこまで運びました。
物資を持っているとねらってくる危険もありますから、明け方に運ぶとかしました。
危ないので渡したらすぐにスピードをだして引き返すようにしました。
砲弾の音や、銃撃の音が聞こえるところまで行っていましたので、危険が身に迫る感覚が絶えず付きまとっていました。
子供たちに一人でも何とかしたいと思って来ると、つい何とかしたいと思ってしまいます。
たった一個の抗生物質があればこの子は助かったと思うのに無い、コーヒー一杯分、それで子供の命が失われて行く、それを目のあたりにして凄くショックでした。
生き抜いた子は天が残した子ではないかと思うような存在で、真剣に生きようとする子供の目に触れて、目の輝きと生きようとする生命力に感動してしまっていつも頭から離れなかったですね。

民主化になって6カ月の時のエチオピア、キャンプが爆破されて数千人の難民が亡くなったキャンプ場に行ったが、子供たちがいきなり「ジャポン、ジャポン」と手を叩きながら感謝の声をあげてメンバー全員涙が止まらなかった。
子供たちと別れるときに数百人の子供たちが車のあとを追っかけてきて、手を振りながら叫びながら感謝して手を振るのを見て涙が止まりませんでした。
日本の子供達はどんなに幸せかなと思って、そのギャップが辛かった。
ある国では、子供にアンパンを渡すが取らない、何故かと思うと、親や兄弟が虐殺されて奇跡のごとく親が銃弾の弾よけとなってその下からはいでて、親の死を見て生き残った子だから人が信用できない状況が有ったんだろうと、食べ物そのものも信用していない。
先ず自分たちが食べて安全だと知らせたとたんにワーッと押し寄せて食い始めました。
それぐらい信用できないと言うような、大きなきなショックが有ったんだと思います。
救いに来たんだと判った瞬間に、目の色も変わるし、心を開いて抱きついて来て、抱きしめてやることが安心感を持って喜ぶ。
去ろうとしてもしがみついて離れない、離れがたかった。
(連れて行ってほしいと願ってくる)

そういった体験を何度もすると再びまた行くようになりました。
色んな国々を見ると、日本はこんな満たされた幸せな国はないと思います。
多くの国に影響を与える立場の人にそういうことを知ってもらいたい、体験してもらいたい、日本は本当に幸せな国だと思います。
何かを求めて我欲、自己中心主義というか蔓延してくると感じますね。
世界の現状をもっと知ってもらって、変わってもらいたい、国際的無知、そういったものが一番問題だと思います。
国家も個人も真価が問われる大転換期が始まって、問題意識を持って自己を見つめて未来を見つめる、そういうふうな考えを持って動かないと人ごとではない状況が来ていると感じています。
仮面ライダーの企画にもかかわり、生き抜くと言うことはどういうことか伝えようかと自分でアレンジして、生きる事にたいして気付いてもらえればと思って、生き抜くと言うメッセージを伝えました。
自分としてはやりがいのある仕事でした。
仮面ライダー1号を演じたことも45年ぶりで、色んな世界を回らしていただいて、色んな民族との出会いながらそこで生き抜くのを見て、日本を見ると歴史観が変わってきました。

自分が出来ることは何かと思ってみると、映像は影響を与える立場にあるので子供たちに影響を与える事は出来る、メッセージを送りながら、与えられた使命、責任を果たせればいいかなあという気持ちに変わってきて、そういう思いを込めて今の映像界で、ドラマなどを通じて伝えてたいと活動をしています。
縁があって初代の仮面ライダーとの出会いがあり、まさかヒーローを演ずることがこれほど大きな影響を与え、今も与えているということは考えてもいななった。
人間って出会いによって人生が変わって、運勢、歴史まで変わっていくということが本当にそうだなと思いました。
子供は未来、人類の宝だと思います。
子供のために何を残さないといけないのか、頭に引っ掛かっています。
一人ひとりだれしも使命を与えられていると思う。
未来のためになにをすべきか、問題意識を持って、平和に豊かに争いの無いような世界になるような方向にどうやったらそうなるか、自分と言う存在が貢献して少しでもどう役に立つのか、考えて行動してもらいたい。
限られた時間の中で我々は何を残すか、金、地位、名誉、財も持っていけないので、どれだけ人を愛して、どれだけ感動の旅をしたかといった思い出、感動しか持っていけないので、いい感動、いい思い出を残して去るべきだと思います。