2017年11月5日日曜日

水木一郎(アニメソング歌手)       ・【時代を創った声】

水木一郎(アニメソング歌手)       ・【時代を創った声】
来年でデビューされてから50年、古希を迎える水木さんですが、益々精力的に活動されています。
1972年から2年間にわたって放送された漫画家永井豪さんの原作ロボットアニメマジンガーゼット、多くの子供を魅了したマジンガーゼットですが、この曲を歌ったのがアニメソング歌手水木さんです。

歌ってから45年、あっという間です。
1万回ぐらい歌っていると思います、身体の一部の様になっています。
作詞が東文彦さん、作曲が渡辺宙明さん(今年92歳の現役)。
劇場版マジンガーゼットが45年の時を経て復活、来年公開予定。
試写会を観ましたが、大興奮しています。
45年振りに又主題歌を歌えることは僕にとって奇跡だと思っています。
渡辺 俊幸さん(渡辺宙明さんの息子さん)がアレンジ。
1968年歌手としてデビュー。
最初歌謡歌手としてデビュー。「君に捧げる僕の歌」
5歳から洋楽を聞いていました。
歌謡曲なので真似が出来なくて暗中模索だったので、ヒットしなかった。
そんなときに出会ったのがアニメソングだった。
堀江美津子12歳、「12歳の神話」という歌を渡辺先生が作って、堀江美津子の前で歌って、その時にアニメソングはどうだろうと言う話がありました。

是非歌わせてほしいと言うことで、主人公の事を色々想像しながらヒーローに成りきって歌ったら歌えました。
手本がなくてもヒーローになりきれば歌えるんだと思いました。
「原始少年リュウ」を歌う。 石森章太郎の漫画作品
歌謡曲は水木一郎で歌わなくてはいけないが、アニメソングは水木一郎で歌わなくて良くて、色んな声を出せたことがこの道にぴったり合ったのではないかと思います。
マジンガーゼットは比較的楽に歌うことが出来ました。
1976年から3年間NHKの「おかあさんといっしょ」の2代目として出演。
「おかあさんといっしょ」のディレクターが雑誌を見てくれて、オーディションに出ることになりました。
300人ぐらい来ましたが、お兄さんに成りきってやったんでそれが良かったようで受かりました。
そこから子供達から教わりました。
つまらないとすぐ反応するので、どうやって子供達をひき止めようかとか、勉強になりました。

1997年にスーパーロボットのライブを日本で初めて始めて、ライブハウスには30から40代の人が2000人ぐらい集まって、水木一郎はおじさんだろうと思っていたら、スマートな僕が登場してきて歌ったら、歌い終わってから「兄貴」と言うことになってそこから「兄貴」と言われるようになりました。
1999年におこなった24時間千曲ライブで24時間歌いました。(51歳)
歌手生命をかけて、医者もついてくれて、1曲目がマジンガーゼット、ロボットソングが100曲、バラード、とか色んなジャンルを100曲ずつ600曲、ギターの弾き語りで100曲、そのうちに指がつってしまって、ピアノで演奏してもらって、明け方になってきて1000曲いけないかなあと思ったときに、仮面ライダーの歌を歌っていたらステージにばった(仮面ライダーの化身)が来て、(石森先生が亡くなられた後だったので)先生が来たと思って、残りの300曲を乗り切りました。

その後韓国、中国、フランスなどでライブを主体に世界に活躍の場を広げました。
最初は香港だったが、堀江美津子が「キャンディーキャンディー」を歌ったら拍手が鳴りやまなくて、日本に帰って来てどう説明しようと思ったが、誰も信じないだろうと思って、言わなかったが、海外で段々話が来るようになりました。
このジャンルを認めさせようじゃないかと思ってやって来ました。
アニメソングを聞いて人生を変えた方が何人もいます。
宝物、勇気付けられるもの、夢などが一杯詰まっているのがアニメソングだと思います。
アニメソングを目指す若い人に対しては、アニメソングではないジャンルを聞いてもらいたい。
そこから色んな引き出しを掴んで貰って、アニメソングを歌う時にそれに当てはまった自分の気持ちをぶつけて行く、温故知新、昔のものも引き継いでもらいたい。
アニメソングが大好きで、愛があればそれでいいと思います。
自分が歌った歌はどれほど責任があるか、と言うことを考えて歌ってほしい。(影響を与える)