2016年2月27日土曜日

山本美也子(飲酒運転撲滅活動)  ・思いやりで社会を変える

山本美也子(福岡県飲酒運転撲滅活動アドバイザー)  ・思いやりで社会を変える
~飲酒運転撲滅への願い
5年前、飲酒運転による事故の為当時16歳だった長男を奪われました。
その直後飲酒運転撲滅活動を始めて命の大切さを各地で訴え、これまでに行った講演は640回に上ります。

4人家族で長男が今年生きていたら22歳になる予定でした。
2011年2月9日飲酒運転の車に依り友人と共にあっという間に命を奪われてしまいました。
今、次男は高校卒業して専門学校に通っています。
主人は20歳の時の交通事故、バイクに乗ってましたが後ろから乗用車に追突されて、中央分離帯に背骨をぶつけてそれから29年間車椅子に乗っています。
主人は頑張る障害者になりました。
スポーツを通して腕だけで42.195kmのフルマラソンを走るマラソンランナーになりました。
昨年も沢山の海外のレースに出場しました、賞金レーサーをさせてもらっています。
昨年大分国際車いすマラソンがあり、今年リオデジャネイロパラリンピックの選考大会で49歳ですが、主人は1等賞になりました。
リオデジャネイロパラリンピックの代表選手に選ばれました。
NPO法人はぁとスペースの事務所が篠栗町の近くにあります。
長男を失って泣いて泣いているときに友達から篠栗に山登りに誘われ行って見たのが、森林セラピーの山登りでした。
とても癒されて元気になってきました。

車椅子優先駐車場になかなか車椅子の人たちが止められないと言う現実もあります。
注意をしていたのですが、でも怒られるのが私です。
車椅子優先駐車場が広いのはドアを全部開けないと自分で車椅子を降ろすことが出来ないので大きな幅が必要なんです。
だから普通の駐車場ではその動作が出来ないので降りてくることができません。
バスに乗るのも大変で這って登り、そのあと車椅子を乗せると、時間がかかるので早くしてほしいとの文句があり、たびたび喧嘩をしました。
状況が変わらず、NPO法人を2010年に立ち上げ、皆さんに知っていただく事が大事だと思って、車椅子優先駐車場の必要性、夫婦とも車椅子の人達の多いことや、健常者とこうあってほしいという暮らしのことの活動を始めました。
理解してくれる人達が増えてきて、バス乗車も手伝ってくれるような人も現れてきました。
ありがとうが言える自分になりたいとずーっと思っていました。
活動していた1年後に長男が事故にあってしまいました。

長男の遺体をみた時でさえも、こんなに綺麗に包帯を巻いていただいて有難うございますと医師と看護師さんにお礼を言う事が出来ました。
2月9日、朝早く家を出ないといけないので長男の尻をポンと叩いて、顔も見ずに出掛け読み聞かせのボランティアを終えてNPO法人の打ち合わせをして、11時頃長男にメールしました。
事故に遭ったのは11時9分で、私のメールは見ることが無かったようです、返信はありませんでした。
連絡があった時は夜中の2時30分で事故で即死だとの電話でした。
包帯でぐるぐる巻きにされた長男のにっこり笑ってる様な顔を見て「あんたはだいたいなんばしおったと」と言いました。
事故でどなたかに迷惑をかけたのではないかと、ということも気になりました。
朝8時半ごろ家に帰って、荷物を纏めていると、ワイドショーの様に沢山のTVカメラとマイクが向けられて、お母さん息子さんが飲酒運転の車にはねられたんですけれどと、マスコミから知らされました。
友達も亡くなったことも知らされました。
TVカメラの前に踏ん張って、飲酒運転は殺人です、何にも悪いことをしていない二人があっと言う間に奪われる、まるで無差別殺人と一緒です、とTVに答えたのが全国のニュースになったことを後で知りました。

子供達の中には仇打ちに行くぞと元気のいい子がいたそうですが必死に先生が止めたそうです。
彼等は大人の身勝手な飲酒運転と知り、怒りのぶつけどころが判らず、壁に頭や手をぶつける音がたくさんしました。
駅で明日行われるマラソン大会について話した後、自転車を取りに行っている最中に事故に遭ったと言います。
二人がいちばん伝えたいことがあったとすれば、明日が当たり前に来るということはないと言う事、この瞬間瞬間が奇蹟に近い様な素敵な時間で、だからこそこの奇蹟の時間を一生懸命に生き抜いて行かないといけないという事を彼等に教えてもらった様な気がします。
お通夜とお葬式には1500人の友達が来てくれました。
友達から色々知らないことなども聞く事が出来ましたが、もっと息子と話をしていればよかったと思いました。
長男の事故から心に決めたことがあり、「ありがとう」と「ごめんなさい」はその日のうちにちゃんと相手に伝えていこう。
「行ってらっしゃい」と「行ってきます」は相手の顔をちゃんと見て、無事に帰ってきてねの願いを込めて、ちゃんと言おうと今も主人ともそうしていますし、スタッフの皆さんとも声をかけています。
幼馴染の男の子が大きな声で叫びました、「なんで寛大だったんだろう」と言う言葉。
私も「なんで寛大だったんだろう」と思いました。
お酒を飲んで車を運転すると言う事は人の命を奪う大変危険な行為であると言う事を知っていただく活動をしますと言うのが、出棺の挨拶になってしまいました。
毎日毎日朝から晩まで泣いていましたが、マスコミの取材は断りませんでした。
訴え続けていかなければ世の中は変わらないんだなと思いました。
福岡県は飲酒運転が多い、2006年の事故からたった5年で又飲酒運転の事故でした。
その事故は一家5人が乗った車が後ろから飲酒運転の車がぶつかり、車ごと海に落ちてしまって、幼い子3人とも亡くなってしまいました。

わたしは一人の人間として、2006年の事故の時に飲酒運転撲滅を叫び続けなかったんだろうと後悔、反省しました。
我が家の事故をきっかけに飲酒運転は駄目と言ってくれる様になりました。
飲酒運転撲滅のステッカーマーク、ハートのスットップマーク  3つのハート ①隼人(一緒に亡くなった友人) ②寛大(長男) ③二人の想い、飲酒運転撲滅を願う思い、 この三つのハートがかさなっています。
ある自動販売機のわきにこのマークを張っていただいて、ジュースを買っていただいた皆さんから全国から寄付金を募っていただいて、ステッカーを無料で渡す、次世代ステッカー配布プロジェクトをさせてもらっています。
5年間で179校7万枚のステッカーを無料で渡しています。
車が大好きなので車が犯罪を起こさない様にステッカーを他県でも広げますと言う様な手紙ももらいました。
飲酒運転がはじめて犯罪であると言う事を知りましたという様な手紙ももらいました。

息子の事故は歩道を歩いていて加害者はよく酒を飲む再犯者で以前もつかまって30万円払ったこともあるそうです。
加害者は相当飲み過ぎてしまって、居眠り状態で75km/H以上で真後ろから二人にぶつかり殆ど即死の状態でした。
刑事裁判で周りに飲んでいた人も、店の人もまさか加害者が運転するのを知りませんでした、といったが、一人位タクシーを呼んでくれる人がいなかったのか、一人ぐらい運転するのはいけないと言わなかったのか、叫びたかった。
同級生が裁判に来て、加害者に一言文句を言ってやろうと来たと言う事でした、一緒に法廷に入りました。
懲役14年と言われて息子の命は14年なのかと思うと、ワーッと泣いてしまって、同級生も一緒に泣いてしまいました。
同級生は文句を言おうと思ったが、加害者の顔を見たらあまりにも普通の人なので吃驚したと言っていました。
飲酒運転は重大は犯罪ですが、たまたま酒を飲んでたまたまハンドルを握ったが為に起こしてしまう犯罪です。
加害者35歳、年老いた両親がいて、深々と頭を下げる姿を見て、同級生たちが「いかんよね、こんなにご両親にみじめな思いをさせたらいかんよね、だってご両親には関係ないやん」と言ったのを本当に私もそうだと思いました。
「被害者を出さないのは当たり前、本当に大事なのは加害者を作らないことだ」といってくれました。
被害者の周りの人達はとんでもない悲しみを背負って生きています。
加害者の周りにいる方も或る意味被害者かもしれません。
加害者を作らない世の中にしないといけないと思っています。
講演の中から出会いが出来、応援してもらいました。
飲酒運転ゼロ、交通事故もゼロになる様に 福岡県の皆さんで目指すのは「飲酒運転ゼロ」