2016年2月21日日曜日

原 晋(大学陸上競技部監督)   ・めざせ!大学駅伝3冠

原 晋(青山学院大学陸上競技部監督) ・めざせ!大学駅伝3冠
大学駅伝は出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の3つの大会を学生3大駅伝と呼んで競合校はこの3冠を目標に掲げているところもあります。
原さんは広島県生まれ、48歳、子供の頃から走る事が大好きで、地元のマラソン大会などに 出場していました。
中学からは陸上部で活躍、広島の世羅高校では全国高校駅伝で準入賞、その後、中京大学、中国電力では全国大会に出場しましたが、大きな記録は残せませんでした。
中国電力では怪我もあり、5年で引退しました。
原さんは心機一転、営業マンとして1から努力して、上司にも恵まれて大成功、会社内で表彰され順風満帆のサラリーマン生活を送っていました。
青山学院大学から陸上競技部の監督として指導してほしいと声をかけられました。
監督要請を受けました。
就任当初、3年で箱根駅伝出場の大学からの願いにはこたえられませんでしたが、5年目で箱根駅伝の本選に出場、去年就任11年目で優勝、今年2連覇を果たしました。

私自身、能力は単純に身体能力だけではなくて、内面に潜んでいる能力をどう引き出すかという事を考えて指導させてもらっているが、その一つが言葉です。
学生たちが自ら考え、言葉に責任を持って行動している、それが強さの根底にあるものではないですかね。
4年間の育成力をもってしてどう強化してゆくか、内面能力をどう引き上げてゆくかがポイントになると思います。
指導者の言う事を黙ってついてこいという様なのが主流だったが、その子の能力をどう引き出してアイデアをどう伸ばしてゆくか、18~22歳の4年間を預かるので、卒業するときにはおとなへの一歩をかけ上がってゆく姿を見て、やはり内面に住んでいる能力をどう引き上げてあげることが、選手の成長に変わってくると思います。
話をする、提案をして行く事はいいことだと思います。
明るいムードでさせてもらっています、それがわくわく大作戦、ハッピー大作戦につながってくるんですね。
やるべきことをやった結果、3冠、箱根連覇に繋がるので、地道な努力をして、その一つの指標として3冠を掲げています。
全日本大学駅伝は準優勝、やるべきことをやっていなかったのではとの思いがあり、その悲しさが強かった、負けて良かったと思いました。(見つめなおすきっかけになった。)

男兄弟の末っ子、やんちゃだった。
家から海に飛び込むことができて、海で泳いだり、ソフトボールをしたりして育ちました。
父が小学校の教員をしていたが、勉強をしなさいとは言われなかった。
小学校入学の直前に海で遊んでいて、ブロック塀ごと海に落ちてしまって、右足くるぶしあたりに20針縫うけがをして、松葉つえを使って入学式に行きました。
ほどけた瞬間に走ることを身体の中から出てきたように思います。
マラソン大会があり、自分からでたい思いがありました。(小学校4年頃から)
マラソンの新聞記事を切りぬいて、自分も世羅高校に行って優勝を目指したいと思いました。
宮崎・小林、広島・世羅、愛知・中京が御三家と当時言われていました。
中学3年生の時に市の大会でキャプテンとして優勝しました。
高校時代は辛かったです。
ハードな練習に耐えて、準優勝しました。
ハードなトレーニングと共にチームの和を学びました。
駅伝は世羅が制すると言う風になってゆきたいと思いました。 
高校は世羅、大学は青山、実業団は中国電力、世羅高OBで優勝するぞと言いましたが、青山は優勝していなかったのでホッとしています。


練習の厳しさには苦にはならなかったが、理不尽な序列の中でやるのは何か抵抗がありました。
大学3年生に時にインターカレッジで3番になることが出来ましたが、もっとやっておけばよかったとの思いはあります。
ほとんどが凡人ランナーなので、凡人ランナーをどう育ててゆくのか、根底にあるものをちゃんと見てあげないといけないと思います。
18歳の学生は遊びたいものなので、それを少し我慢させて辛いことを喜びに変える為にはどうするかを常に考えています。
中国電力に入社、陸上部1期生となる。
1年目に足をねん挫して、残念な思いをしました。
営業マンとしてスタートするが、後輩におそわるという事に内心プライドは傷つきました。
営業所で3年間、その下のサービスセンターで2年間地道な仕事をして、地道な経験をもとに新しい営業マンとして成長出来ましたし、新しい会社の立ち上げにも参画出来ました。
陸上を引退して2年目、28歳で結婚。
空調エアコン販売で全社一番の成績を収めて、表彰を受けることになりました。

本来は大卒一期生として将来の幹部候補生として(監督候補として)入社した訳ですが、成果をだせなかったわたし自身の反省、迷惑をかけた中国電力の幹部の皆さんに対しての恩返し、腐ること無くやってゆくのが最大の恩返しと思って仕事をやってきました。
高校時代の後輩から話を貰って、失った陸上界への思いがあり二つ返事で受けました。
青山学院大学に行く事になりました、(後輩が世羅・青山学院大学のOB)
周りは誰一人賛成しませんでした。(妻、親、友人等)
3年で箱根駅伝に出場してほしいとの要望がありました、
中長期で物事を考える社風と、わたし自身の考えで、長期プランを考えました。
5年で箱根駅伝出場、7,8年でシード、10年で優勝争いをするチームに、というようなプレゼンテーションをしました。
裏付けを持って組み立てて強化してきたので、勢いで勝ったわけではありません、地道な積み重ねです。
前の監督はこうだったとか、対立はいろいろありました。
衝突を繰り返しながら、賛同してくれた多くの学生がいたので心強かったです。
1期生の学生だけが箱根駅伝には出場していない、彼等の礎があるからこそ今日の連覇があると思います。

ものごとの考え方の根底にあるのが、陸上界があって世の中があるのではなく、世の中があってその中に陸上界があるという事を、ベースが私の中にあり、世の中に受け入れられない業界は衰退すると思っている。
世の中は変わるので、陸上界は変わっていない現実があるので、進化しないといけない、そうしないといい組織に成れない、愛されない、注目されない、そうすると内面能力が上がってこない、レベルが下がる。
年間目標管理シートを学生に書かせる。(中国電力時代の目標管理ノウハウの応用)
チームの目標と共に個別の目標を自分自身で管理する様な選手にならないと、自立は生まれない。
同じ材料、レシピで作っても料理の味は違う様に、スポーツの現場も一緒でさじ加減が違ってきます。
真似されても良いと思っています、そうすると業界の発展になると思います。
新しい陸上界の時代を作ってほしいと思っています。
言葉を大切にして、明るい事はいいことだという事を訴えています。
新しい形態の組織にする、20年計画でやっていかないと無理なので、教え子たちが指導者になって変えていってほしいと思います。