2011年9月27日火曜日

野村進(ノンフィクションライター)     ・アジアと日本を見つめ続けて

野村進(ノンフィクションライター 拓殖大学教授) アジアと日本を見つめ続けて
父は通信社に勤務 大学は上智大学英語学科へ→トレーナーになりたかった (ボクシング)
 大学3年目からフィリピンへ交換留学に行く 
ベトナムへの関心から東南アジアに向かう 
「フィリピン新人民軍従軍記」を帰国後書く フィリピン作家の家に下宿するようになる→反マルコス運動
を地下でやっている人だった、フィリピン共産党のシンパだった人 
ゲリラ地区に招待され行く 貧富の格差のひどい処で問題意識を持った スラム街、農村の子供は
学校にはいけない状態 
紛争地で怖くはなかったのか→生きて帰れなかったときはそれまでだみたいな考えがあった
4か月半ゲリラ軍と一緒に生活する 神父でフィリピン新人民軍に入る人がいた(インタビューは世界初)
 マルクス主義と宗教は相いれないのになぜか

神父として貧しい人達を救おうとするのであるが、そのたびに妨害に会う カトリック組織の上から
、地域の警察、軍から嫌がらせを受けて、彼自身の命が危ない状況になる
追い込まれてゆき最後には暗殺されてしまう 
叫ぶ男→伝達方法がなくて大声で連絡する ジャーナリズムの根源 ・・・ジャーナリストとして現代版
「叫ぶ男」になりたかった
2年間フィリピンにいた 得たものは→今思うに 一番得られたものは許す力、許容力 
いろんなものを受け入れる力を一番学んだのではないか
反日感情が一番強い時期であった 35年経って今一番親日的な国 
フィリピンはマレー系の人達 スペインの植民地になってカトリックの信仰を押しつけられた
それをうまく取り入れて土着カトリシズムという独特な信仰を持っている 

そこに許しの心があって日本軍は確かにフィリピンでひどい事をいろいろしたけれども、もう許そうと
そこが他のアジアの国と違う 日常いろんなところで許しの心がある 
3/11の大震災の時にすぐに募金が始まり、生活レベルを考えたら決して募金を呼び掛けている
様な状況ではない 40~50人が呼びかけ 泣きながら募金を訴えている
本を書く 大変さでは事実しかかけないのでどうしてもうずまらない部分がある 
一番大事な部分を知っている人が亡くなっていたりとか、空白を空白のまま出さなければならない
サイパン移民の話 「海の果ての祖国」 「天才たち」 時代への関心から人への関心と移っている
 その時代の最先端にいる人達はどのような人なのだろう
時代を動かしている突端にいる人に会いたいと云う気持ちはある 「救急精神病棟」 
「コリアン世界の旅」(大宅壮一賞、講談社ノンフィクション賞) 
コリアンへの興味は→前から在日外国人には関心があったのですが、自分自身が日本社会に居場所
がないと云うか、居心地が悪いところがどこかに有って、
マイノリティーの方がその社会の事がよく見えているんじゃないかという思いがずっと有った
いつか在日韓国朝鮮人をきちっと取材して書いてみたいと云う気持ちがあって、たまたま依頼が
あって(雑誌連載)取材して書いてみようと思った

いろんな角度からコリアン世界を書いていてパチンコ屋、焼き肉屋、済州島であったり、ベトナム戦争
に参加していた韓国兵とかアメリカで商売をやっているコリアンの人とか
Jリーグ等々幅広く取材 ある程度納得できる作品が書けたのがこれが初めて これが賞を戴けた
のは嬉しかった(39歳の時)
読者からの反応→在日コリャンの方々から多くの手紙等を頂いた 
日本人にこういう者を書いてもらったのが、非常に嬉しいと云う反響が多かった
初めて自分が日本社会で存在していいんだと日本の人に語ってもらったという反響もあった
インタビューするときに心がけている事→私自身結構辛辣な人間なんです 
人の欠点とか嫌なことがすぐ目についてしまう人間なのでなるべくいいところを見ようとしている
なるべくその人のファインプレイを引き出して書くようにしている 
人生の中で必ず人はファインプレイをしていると思う そのファインプレイをその人から引き出したいと
思っている

作家はイマジネーションで作品を作り上げている 英語での表現はノンフィクションライターという
 作家ではないのでノンフィクションライターとしている
私がアジアに関心を持った1970年代 アジアに関心を持つ人が非常に少なかった 
日本人の目は欧米に向いていて、変わったところがあったので
アジアの中でどう生きて行くかというのがこれから私にとって大きなテーマになるだろうと思っていた
マイノリティーになった日本人の目で見たそれぞれの地域、マイノリティー程その地域が良く見えている
ので 例えばカンボジアに定住した日本人から見たカンボジア社会
ジャカルタに定住した日本人から見たインドネシア社会というのはもしかするとその国で生まれた
人よりも良く見えているかもしれない
同時に離れた処に居るので日本社会、日本人の事も良く見えている 2つの意味でこの様な人達を取材した
浮かび上がってきたアジアとは何か、日本とは何かがテーマだった 
「日本の老舗企業 1000年働いてきました」 →アジアを30年位取材してきて 30数年前に私が感じ
てきたアジアと云うのが、違う方向にアジアが行っている様な気がしてきた

中国もインドも経済的に確かに発展しているのだけれども、経済主導主義といえば聞こえはいいが
、拝金主義に侵されつつあるわけです
そういうものの防波堤にアジアはなるんではないかと思っていたが、意外と簡単に飲み込まれてしまった  
拝金主義はアジア全体に広がりつつあって、アジアは経済発展
で沸き立っていると云う見方ばっかりされるが、精心的な荒廃が進んでいると思っている
それは私の中で失望させられるものがあって、30年ぐらい取材して日本に帰って来て、足元の日本
をきちっと見てみたいと思って、日本と日本以外のアジアとは何なんだろうか
行ったときにたまたま新聞で世界で一番古い会社が日本にあるという記事が有って、それが
金剛組という大阪の建設会社で飛鳥時代から1400年続いていると吃驚する
日本には100年以上続いているのが沢山ある 
調べてゆくと老舗が古いものをつくっているわけではなく、携帯電話の最先端の部品を作って
いたり、暖められた技術が
使われている事が判り、これは面白いと思い、老舗を書く事で日本文化が書けるし、ひいては
日本とは何かみたいな私がずっと自分に問いかけてきた問いに答える

一つの糸口になるんじゃないかと、調べて行ったらどんどん面白くなってきたと云う事です
どちらかというとアジアに比重が多かったが、バランスが変わって来て今は日本への関心が強く
なってきている
30年の前アジアでは貧しいけれども何か人間としての優しさがあった世界 変わってきたのでは→
東南アジアに惹かれたのは東南アジアが持っていた根本というか
カオスと言いますか、あの中に惹かれるものがあったが、今や都市部はどんどん東京のように
なって来ている
私にとってはアジアが段々つまらなくなってきている 日本の真似をしてきた 
日本のように成長したくてやって来てその通りになって来ているのだけれども
日本が高度成長で背負いこんだマイナス部分を全然見ていない 
結局同じ問題を背負っている 公害問題、精神面でのいろんな問題にしても 何でちゃんと日本を
見なかったのか

グローバリズムが押し寄せてきたわけですが、インドが防波堤になるかと思っていた 
(インドは強固な文化、文明を持っているので)
意外ともろく崩れつつあるような気がする ITの潮流にのってITで伸びてゆこうとしている 
昨年行ったが貧富の格差がますます拡大していっている
高層ビルのとなりがスラムが広がっている様な光景が段々ひどくなっている 
アジアンの魅力が薄れてしまってきているなあと思う
精神面の輝きみたいなものに惹かれていたが、そこがどんどん薄れて行って、やはり荒廃しつつある
日本の高度成長期みたいな事が短期間に繰り返されていて、人の心の変わり方も激しい  
拝金主義もかつての日本以上のよう 残念ですが