2011年9月22日木曜日

隈 研吾(東京大学教授)    ・建築の魅力、都市の魅力

隈 研吾(東京大学教授)    建築の魅力、都市の魅力
世界建築会議 日本で開催される 専門家1万人が集まる
東北との建築での繋がりある  1997年から東北中心に仕事をやっていた時があって
一番のきっかけは石巻から北に上がっていた処ですが、
森の中に木造の能楽堂をつくりまして、 北上川沿いに運河交流館 等小さな建物を点
々と作って行った  思い出深い場所
地形自身が纏まりが良くてそこの場所に力がある、個性がある 
日本の財産である そこが元気が無くなってしまってはまずいなと思った
どうしたらもう一回空間を残せるか 考えていろんな事を始めた
 
帰心の会を立ち上げたそうですが→5人の建築家の頭文字を並べた 隈(K) 伊東豊雄(I)
 妹島和世(S) 山本理顕(Y) 内藤廣(N)
定期的に集まって定期的に東北に行って地元の人たちと意見交換をしたりしている
今まで東京の建築家が地方に作る時はどうしても東京の流行を地方に持ってゆくみたいな
一番現代的なデザインで地方に元々あった文化を破壊すると云うような事があったように思う
そういう作り方じゃなくてその場所というものをもっと大事にした作り方、場所の文化、
伝統 そこに居る職人の技 その場所の力を吸い上げるような建築を作るべきじゃないか
「帰心の会」を付けたもう一つの理由なんです いくつかプロジェクトをやっている

みんなの家というプロジェクトは仮設住宅は面積を確保するだけで潤いがなくなっちゃう
のでその仮設住宅の脇に、のんびり出来るような心温める事が出来るような
小さな居間、リビング、囲炉裏端と言っていいかも知れないが、そういう小さなスペースが
出来ないか 世界中から募集した
欧米の有名な建築家からもスケッチが寄せられたりして、アイデアをちょっとでもいいから
実現したい
仮設住宅の中から作ってほしいと要望のあるところを対象に、お金も寄附が沢山集まって
来ていて(海外のブランドからもぱっと来たりしている)

家自身はちっちゃなものなのでいくつか実現できそうな勢いが出てきた  これから作ってゆく
仮設住宅に住んでいると人と人とのつながりが無くなってしまうんで、・・・
20世紀の建築の作り方は機能主義という言葉があったように人間の生活というものを、
機能に振り当てて、その機能にどのくらい面積が必要かと言って
人間を機械に見立てたような家の作り方をしていた それは個人住宅でも集合住宅でも
機能主義で本当の意味での人間と人間とが絆を結ぶ空間というのが無くなっちゃた
それが20世紀の大きな問題だったと思うので「みんなの家」はもう一回機能の空間から
心の空間に戻すと云うのが目的です

昭和30年代はちゃぶ台を挟んでみんなで食事をしたり、団らんを取ったりして居たのが
、段々一人一人の部屋が確保されて、そういう方向になってきた
N-LDK N人の人用の機能を言って居るだけの住居 そのような住居はもう卒業しなければ
いけないなと思っている
日本の畳みの部屋なんて機能はすごく曖昧だけれども、その曖昧の中に人間と人間を繋ぐ
絆の仕掛けがいっぱいあった
絆の仕掛けがいっぱいあるような家を作りたい

1995年の阪神大震災の復興住宅がいろいろある中でお年寄りが孤立してしまって、
自殺する人が多くなったと云うような 孤立というか そのような問題が阪神大震災
の時には出てきた  建物が壊れる異常にこわいのは孤立という事だと思う 
孤立を救えれば多少建物が小さくても、隙間風があっても人間というものは生きてゆける
機能主義を越えた新しい住居観みたいなものを打ち出してゆきたい …→「みんなの家」
仙台市の若林区に民間の復興支援プロジェクトを「ハートクエイク」 ボランティアの人達が一杯いるが
、その人達の溜まり場がない
「ハートクエイク」という活動を始める その拠点になるような建物を瓦礫を再利用して作れな
いかなあというプロジェクトをやってまして まず東京の大学のキャンパスの中に
作ってばらして現地に持ってゆくと云うようなことを考えている

瓦礫を骨にして発砲ウレタンを吹き付け(材料費はタダみたいなもの)てユニットを作り、
ユニットを組みあげていってキャンプの為の施設にする
ボランティアの人が集まったり、寝泊まりしたり、瓦礫を使って何かを作りだしたいと云う人
の作業場にもなる
大学生、卒業してデザイナーを目指している人とか一杯いる 
私も加わりいろんな事やり始めている  
出来上がるものも大切だと思うが、それに至るプロセスが大変大事だと私は思う
 建築とか都市って、できあがったものばっかり考えるんですが
実はそこに至るプロセスが物凄く大事でそのプロセスこそが一番の財産じゃないかと思う
現在は瓦礫をどうやって纏めてゆくか 意外と難しかった 
瓦礫を管理しているひとたちともいろいろ交渉しなくてはいけなくて、新しい人間と人間の
関係が生まれている

素材というものが建築に命だと思っている 建築が何で出来ているか というのが私の
建築の命だと思っていて 例えばそこの場所の森の木を使うとか石を使うとか
していたのですが、瓦礫というのは今回の震災の物凄く大事な記憶を残している材料なので
、それを命にして建築を作りたいと思っている
20世紀の建築の材料は外から持ってくる 上等なものというイメージがあって、
上等な大理石を貼って作るといい家になるとか、ぴかぴかしたアルミを貼ると新しい感じの
家になるとか
そういう感じで材料を選んできたけれども、材料ってもっと自分たちの中から探してくるもの
だと思う
 
ゴミだと思っていたものが使い方次第で宝石よりももっと凄いものになる
というのがこれからの建築の作り方ではないかと思う  
そういう点でも瓦礫ミュージアムは一つの社会に対するメッセージになるんじゃないかと思っている
全壊しないで残った建物を手直ししてカフェにしたり、ボランティアの人達の宿泊所にしたり、 
手直しのプロジェクトもとっても大事で 価値転換(新しい建物をつくることだけが建築ではない)
20世紀的工業社会の価値観だと全部つぶして新しく作る方がいい事 それが経済も活性化するし、
それがいいことである それが建築の目的である
これからの社会というのは今あるものをどれだけ大事にして磨いて行って 
それを価値に替えてゆくか という方向転換になると思う
建築の歴史をおさらいしてみると、災害が物凄く大きな影響を与えている 

関東大震災1923年 震災後都市は燃えてはいけないと言って不燃化が一気に進む
それまでは木造の2階建都市東京だったのが、一気に建築の法律も変えて不燃都市に
変えようと  当時としてみると必然性があったが今となってみると
木造都市の魅力の大事な部分が失われてしまった  
木造の都市の魅力というのはスケールが小さいと云う事 路地にしろ建築物本体にしろ
 木はおおきな空間が作れない
人間の身体と余り大きく違わないスケールで建築が作られていた 道路も人間とあんまり
違わないスケールで出来ていた 全て人間と違ったスケールの都市になってしまった
日本の都市にとって非常に残念なことであったと思う  今回の震災はそれを逆転できる
震災ではないかと思う 
工業社会的な文明ではなくて、その逆の文明に舵を切るためのきっかけになるんじゃないかと
 震災はショックだがそれを逆の力に変えてゆく
 
住と職を別に考える政府の考えが出てきているが→20世紀には職の場所は騒音出す
ので町中に纏めて、静かな郊外に住む ・・・職住分離で20世紀には理想的かも
郊外で自然破壊をしていてしまって、エネルギーを沢山使うライフスタイルになってしまった  
今コンパクトシティーというのが言われ始めた
もっと住む処も働くところも一緒 近くにあったらいいんじゃないか 
移動のための車も必要ないし、エネルギーもそんなに使わないし、にぎわいもそこそこあるし
寂しくない町ができるのではないか コンパクトシティーが世界中で注目され始めている 
政府の考えはコンパクトシティーとは逆行する考え方 これからの人間のライフスタイルとして
はどうかなあと思う

東北の職人さんとのコラボレーション 新しい民芸みたいなものを作って世界に発信して
いけないかなあと思って 世界に売れないかなあと思って世界の美術館に売り込みに
行っている
世界の皆さんが日本に対して温かい目で見ていてくれて 今はチャンス、売り込みを始めている  
今まで職人さんと若い人との接点がなかった 若い世界と繋いでしまおうと云う流れが
出来て来つつある 
新しい文化交流が出来るのではないかと思う   
都市計画のアイデアは→白紙から絵を描くのではなく、今のものの上に絵を描いてゆく
都市計画 コンパクトな都市 文化、伝統を生かした上で再構築してゆく
都市計画の究極の姿というのは家の改修みたいなものだと思う 手直しみたいな
このと云うと都市計画と全く逆なコチョコチョしたものと思われるかも知れないが
これからの都市計画というのは今の都市をよく観察して手直しのうえに新しい強くて
住みやすい都市をつくると云うそういうものだと思う